伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

女神のための円舞曲

2008-01-05 09:12:46 | 小説
 四半世紀前に死んだ母が残した自分の名前でのコンサート主催の予約を知らされ、その実現に向けて奔走することになった女性教師を軸に、死に向かいつつある筋ジストロフィーの青年の家族捜しと、殺人事件の捜査が絡みながら進展するミステリー仕立ての小説。
 主人公が人の死の予兆を見ることができたり、埋もれた才能が次々と発掘されたり、まるで世界が100人の村だったらというか冬のソナタというか登場人物が偶然にも事件や血縁で結ばれた人だったとわかっていく展開が、いかにも都合よすぎですが、それを受け容れられれば、ジグゾーパズルのピースがはまった快感で読めていけます。だから「女神」であり、それが運命なんでしょう。非現実的な設定ではありますが、人の運命を動かせるとしたら自分はどうすべきかっていうことを考えさせられます。
 ところで、お話の中で警察官が、やたら裁判員制度を意識して、裁判員だと自白だけじゃ無理だ、物証がいる(203頁、215頁)とか、早く自白すれば裁判は1年くらいで終わる(287頁、292頁)とかいうのは業界人としてはちょっと溜息。裁判員がきちんと証拠にこだわってくれることには期待したいところですけど。自白している事件で1年なんて引き延ばしたってかからないし、何よりもこのお話の設定が2007年8月31日にコンサートがあり(15頁)その日の逮捕ですから裁判員制度の実施まで1年半以上あるのでこの事件が裁判員に裁かれることはおよそあり得ないんですが・・・


大石英司 中央公論新社 2007年10月25日発行
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「言語技術」が日本サッカーを変える

2008-01-05 06:25:15 | 人文・社会科学系
 サッカーにおいても、自分で判断してそれを相手に論理的に伝えるということが大事だということを論じた本。
 冒頭に2006年ワールドカップ準決勝で1人退場して10人になったときイタリアチームの選手は誰1人ベンチを見なかった、ベンチの指示を求めず自分たちで決めたというエピソードが象徴的に示されています(8~9頁)。それに対して日本人選手はプレイの根拠を聞かれると相手の目を見て相手が求める正解を探そうとするということが対照的に語られます(10~11頁)。
 こういう例を引きながら、サッカーには正解はない、それぞれの場面で自分で考え判断することが大事、自分の判断とその根拠を語る習慣をつけることで考えてプレイするようになるということが著者の主張の軸になっています。失敗を繰り返し試行錯誤することから創造性が産まれてくるのに勝敗にこだわりすぎ失敗が許されない環境になりがちとも。
 間違ってはいけない、失敗が許されないというプレッシャーが子どもを萎縮させて伸ばさないという指摘は、サッカー以外も含めて肝に銘じたいと思います。何か聞かれたら「別に」としか答えず、気に入らないことには「ビミョー」でごまかしてしまう若者の対応を許していては、自分で考え判断する姿勢が育たないという指摘も、いまどきの子どもの親として、同感です。


田嶋幸三 光文社新書 2007年11月20日発行
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