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野性派でいこう!

日々の徒然です。子供四人。自然派。遺跡発掘事務所でお仕事。遺跡発掘調査で働き、やっぱり描いたり書いたりする日々。

おべんきょう、しています。

2015-05-12 21:21:06 | お仕事話
この年になって改めて考えると、今までの人生で『勉強』に夢中になったことがあるだろうか。

いつも、嫌で嫌で、さっさとやっちゃお。と、言う感じ。
それでテストが終わったら、全部忘れる。を繰り返し、今はなんにも残っていない。


今もって歴史は、全く興味がない。
時の権力者がどうとかは、本当にどうでもいい。

なのに、お仕事で扱う市井の人々の使った器となると、とたんに面白い。

江戸時代の香炉の縁がガタガタに欠けている。キセルの灰を香炉に落としたらしくトントン叩いたからですよ。

とか、

この戸車は、器の底を転用したものかな?

とか、

便所瓶のいつも糞尿が入っていたラインには、白いなにかがこびりついている。
とか。

生活の様が想像できる
江戸時代も面白い。
けど、今は縄文土器。

キリスト様だって産まれていない5000年くらい前の人たちなのに、とても、親近感がわく。

縄文土器でも、精密に作ってあったり、いい加減に作ってあったり、作り手の顔が見える。

この地域になんでコレ!?とか。
この時代のおうちに、この時代は変!?なぜ?なぜ?なぜ?

意味があるのかないのかわからない模様には、
指紋や指の後がバッチリついている。

わたしは距離感には疎くて、地球の真裏の人もご近所と思ってしまうところがあるのだけれど、
縄文時代の人々ともシンパシーを抱いてしまう。

シンパシーを抱いたら、ちょっとのなぜも放っておけない。先生を追いかけて質問ぜめ。
質問しても、質問しても、まだまだ知りたいことがでてくる。
(先生、いつもすみません。)


本当の勉強って、世界と出会ってゆくことかも。

学生時代に、こんな風に勉強できなかったわたしは、自分の子らが、こんな出会いをするように、と、祈って見守るしかできない。

そして、また、先生質問です!と自分が手をあげるのに必死。

たくさんあるから、いっぱいお食べ。

2015-05-11 21:50:23 | 日記
ちょっと前に、お友達親子がきた時に、
蕎麦を10袋茹でた。

友達親子。
わたし
わたしの子四人。

お友達が、そんなに!?とびっくりした。

けど、やっぱりすぐになくなってしまった。

わたしの子は、子だけど、大学生と高校生女子二人は大人以上に食べる。

高校生の女子二人なんかは、ご飯の後にもなんか食べている。

気が遠くなる。

ちょっと。ちょっと。と言いたくなる。


斎藤公子先生は、戦後のどんなに食料が厳しいときでも、たくさんあるからいっぱいお食べ。
と、言ったと著者にあった。

先日、高知に遊びにいかせてもらって、

たくさんあるからねー!

が合言葉みたいに飛び交っていた。

スーパーマーケットの食料品売り場も、キラキラしていて、たくさんあるからねーと言われているような気がした。

なんだか。そんなところが、高知の居心地の良さだったのかもしれない。

それにしても…このミレービスケットのたくさんあるからねーぶり!?
高知の底力だ!

うちのよく食べる娘たちも、高知に行って、たくさんあるからねーと言われたら、心からホッとするだろうなぁ。

箱根っ子の我想う。

2015-05-10 23:13:46 | 箱根だより
母の日。だからと言うわけではないけど、
父と母に会いたいなと思った。

朝電話すると、熱海に遊びにいくというので、末っ子と一緒に落ち合う事にした。

久しぶりに会う両親は、やっぱりちょっと老けたかな。

箱根に暮らす両親である。
どう?
と、聞くと、
震災以後地鳴りのような小さな地震は常にあったけど、最近のはちょっと違うねぇ。

とのこと。

いま話題の大涌谷から、両親の暮らす家まで直線距離で3キロ。

溶岩だったら、流れて来るだろうか。
粉塵は飛んでくるかな。

と、話している。


大丈夫とも言えないし、絶対噴火するとも、誰にも言えない。
両親は観光資源で食べてないから、なんとなくのんきだけど、この微妙な状況下では、もっと深刻な人たちがたくさんいるだろう。

実際、爆発したら、規模によっては普通に生活していても命を落としかねない。

それで、後になって、専門家やら評論家やらいろいろ言うだろう。

そして、また人間は再び営みを続けていくことになる。

そういう事は歴史にいつもあって、むしろ、今の箱根みたいに通行止めなどなんかなく、たいてい突然にそれは起こってきた。

でも、いま、どうしたらいいのかは、誰にもわからない。

科学なんてもんは、あんまり進んでないんだな。と、思う。


わたしが子供の頃、遊んだ仙石原の土にはたくさんスコリアが混じっていた。火山灰だ。

かつての箱根山の噴火の時のものか、富士山の噴火の時のものかはわからない。
そうか。でも、だから全てが美しかったのだ。
生きている自然の中でわたしは過ごしていたのだ。


両親と、穏やかな日差しの暖かい日曜日に、熱海で天ぷらを食べる。

この日曜日も後から思い返すと美しいと思うのだろう。

神様。
いるかいないかわからないけれど、とてつもなく大きなものの手のひらの上でしか生きられない人間であるのだな。

今日はとりあえず、元気な父と母に会えた、良かった。

近くに思うのは、なぜ。

2015-05-09 20:03:42 | 旅行
と、言うような壮大な旅をゴールデンウィークにやっていた末っ子とわたしである。

いつもと変わらぬメンバーで一台の車にのりこみ、いつもの調子で進み、いった先でも懐かしい人々と再会したので

なんだか、すっかり、友のお引っ越しというシチュエーションを忘れていた。

正確に言うと忘れていたわけではないが、
感覚的にわからなかったのである。


いよいよ、お別れというとき、小学三年の友の子に秘密の話を、しようと近寄ると、
「ヤギくさっ!」
と、引かれた。

昼間のクロちゃんの匂いが、自分のシャツに染み付いているなぁとは知っていた。

知っていたけど、なんか、これもいいかなと思ったのだ。

そして、
なんだかあっさり、バイハーイと、
わたしたちは夜行バスに乗り込んだ。

それで、夜行バスではカーテンが閉められ、灯りも消灯したまま進んだので、気づいた時には、足柄サービスエリアのトイレ休憩。
遠い、というのが最後まで感覚的にわからない旅だった。

そしてやっぱりまだ、友が遠いところに引っ越してしまったというのが感覚的にわからない。

距離は二次的なものなんじゃないかな。

でも、それってとても、すてきな事だと思う。

結局わたしは出合う人みんなに大切にしてもらって、距離感が消滅しているのだ。

ああ。誰しもが、日本中に、世界中に、帰りたい場所があったなら、これ世界平和の極意だなぁ。


わたしも出合った人を、大切にしなくっちゃなぁ。

しみじみ。

日本一人口が少ない村(離島除く)

2015-05-08 20:46:39 | 旅行
神様が魔法を使うときにはいつもお天気だ。

「大川村って日本で一番人口の少ない村(離島を除く)に、川上さんってご夫婦がいてね」

今回の旅の前に友からなんとなく聞いていた。

「ヤギがすごいの。中国雑技団並みの芸をするの」

水を飲んでいる牛を、もう水牛という友だ。

中国雑技団並みのヤギ!?一体どんなヤギだろう?


大川村は土佐町から車で40分くらい。
どうしよう。どうしよう。と、大人たちが話していると、
「いったらいいがぁ!」
元気な声。泊めていただいたお宅の1年生の男の子だ。

よし!行こう!大人たちの気持ちも一気にアップ!!
それからは、車に揺られて山道をいく。
早明浦ダム脇のクネクネ道。

箱根の山の中で産まれ育ったわたしである。
山が迫る感じが懐かしい。

そして、大川村役場などのある大川村銀座?からさらに10キロもゆくと、川上さんご夫婦の家に到着。


というか、このあたりなら農園なのか、いや、芝桜が咲き誇る庭園というか、ヤギの匂いが漂い、ニワトリの鳴き声が始終聞こえる様は動物園か。

とにかく、個人宅、というよりはずいぶんオープンな佇まいである。

ご夫婦にこんにちはとご挨拶。60歳前後のご夫婦である。
どうぞどうぞと、敷地の斜面を登って、展望デッキみたいなところを目指す。

斜面に石垣。の合間に芝桜。

わたしが子供の頃、父が庭をいきなりロックガーデンにした。

山から石を運んできて、毎日毎日積み上げて、間に草花や植木を植えていた。

「川上さん。
これ、お作りになったんですよね?」

(まだあの頃、30代だった父だって、相当しんどそうにやっていたんですよ。
それを、こんな規模で、このお年で作っちゃったの!?)

ご主人の文人さんは
「うん。そう。」

何気なく答えたけど嬉しそう。


更に登ると小屋がある。
話しているうちに、これも自作とわかる。

えっ!水平とるのだけでも相当大変なはず!!(わたくしも遺跡発掘のお仕事の時、測量するのに水平とる。)

しかも、話しているうちに、一人で作ったとわかる。
柱を一人で、垂直に土台の石の上に立てる。

本当にそれはすごいことなのだ!

「一人しかおらんからねぇ。支えながら立てれば、できるよ。」

えーっ!!
単管組むのだって、歪まないように絞めるのが、どんなに大変か、わたし、知ってるよ!川上さん!!!(わたくし発掘現場で苦労したんである)

もう、そこで川上教に入信。

「いやぁ!せっかく生きてるんだから、楽しまないと!!」

うわぁ!教祖様の御言葉だぁ!!


それから、川上さんはあたり周辺を案内してくれた。
近くの川で子供たちは釣りをして、川上さんの山菜講義をうけた。

キラキラお日様が輝いて、新しい木の芽がコバルトブルーに輝いている。

人口が日本一少ない(離島除く)村。
なんにも、ない?

いや。むしろ、全部ある。
いらないものがないだけだ。


それから、奥様の千代子さんに噂のヤギの芸を見せてもらった。

肩たたき、という芸で、ヤギのクロちゃんが千代子さんの細い肩をドスドス叩くので、ちょっと心配になった。

真剣に、ユーモアをやる方々なのだ。日本一人口が少ない村(離島除く)での生活がユーモアというしなやかさを育んだのか。それとも川上さんご夫妻が天から与えられた才能か。


さようならをするときに、何回もクロちゃんが鳴いてくれた。


高知に入ってからは、ずっとどんより雲だったのに、川上さんちを訪れてからは、晴れ!!

天晴れ!!


あああ!どうしよう!!
わたし、きっと、ここに帰ってきたくなっちゃうなぁ。すぐに!!!

すっかり、満喫。いよいよ、高知。

2015-05-07 20:38:46 | 旅行



高知県の地理がよくわからない。

高校の修学旅行で巡った桂浜のみがわたしの高知のイメージだったのだが、今回目指す土佐町は山の中にあるらしい。

移住する友の話にも、土佐町、本山町、大川村、大豊町
いろいろ出てくる。
滞在中にもウロウロとこの4つの中を走り回った。どうやら、これらが嶺北地区というものらしい。

うねうねと走る河沿いを国道は走っている。河にゴロゴロしている岩が大きい。道の両側には杉の林が迫っている。
なんとなく、暗い。お天気もイマイチだからか。

道とは対岸に牛が放牧されている一体があるらしく、水辺で牛が水を飲んでいる。
それから、もうそこは、水牛のところ、と友は言う。
わたしに負けず劣らず、だいたい感覚な友である。

今回友の移住の縁を作ってくれたのも、かつての保育園で仲間だった方である。
その方のお宅に一泊お世話になる。

「お久しぶりです。」
挨拶すると、お変わりない、と言うのは嘘で、子が一人増えていた。

この家の子は小学3年の女の子。小学1年の男の子。
新たに出現した2歳になるかならないかの女の子である。

雨がしとしと降っている。お宅に上がらせてもらう。
大きな本棚には絵本がたくさん。おもちゃもたくさん。
家中が子供部屋みたいなお宅である。

それでも、子供たちは飽きたらなくて、表に駆け出していった。

家の裏手が、山から流れる川である。
うちの末っ子なんぞは嬉しくて岩から岩へ。

そんな、こんなをしていると、知りあいの方がお昼を用意してくれているから行こうと言う。

移住する友はまだしも、行きずりのわたしなんぞに、ご馳走してくださるとは。

うねうねした山道を車で上がる。棚田の一帯を抜けると、それを見下ろすように立つ一軒家。

大阪から戻られた姉妹とお母さんが暮らしている。
地域の子供たちが、たびたび訪れるお宅らしい。聞けば、お姉さんはかつて大阪では小学校の先生をしておられたそう。

その方たちの親戚の方が貝を持ってきてくださっていて、炭で焼いていただいた。
ほら、これも焼けてる、これも。
と、じゃんじゃんいただいた。
人生で一番貝をいただいた。
タケノコやら山菜やら、お赤飯のおにぎりやら、
本当にたくさんいただいた。
ビールいかがですか?生ですよ。
昼間から二杯もいただいた。

おまけに、ちょっと離れたビニールハウスの花をもう出荷が終わって次の花にしちゃうから、好きなだけと、摘ませていただいた。

末っ子は意外とブーケをつくる事に熱中していた。
男の子でも、美しいものをつくる手作業は大好きだ。

子供たちだけでも、明日も遊びに来たらいい。

帰りがけには、そんな言葉をかけていただいた。

いただいた貝も今まで見たことのないオレンジや紫だったし、摘ませていただいた花も白、赤、ピンク、紫。

この一軒家から見下ろした棚田には雲がかかっていた。杉の生える黒い山肌に、白い雲がたなびく。

雨は降っていたけれど、なにもかもが、色彩豊かだった。

不思議なところにきたと思った。ビールが効いてきたのかもしれない。
みんな、優しい。大きくて、深くて、厚い。

ジリリジリリと、太陽が昇る。淡路島にて。

2015-05-06 22:17:27 | 旅行


淡路島のサービスエリアで、目を覚ますと、朝の5時半。

トイレへ行くのに外に出ると、明石大橋が遠くに見える。

東西南北がわからない。日の出はどっちだろう。

サービスエリアの建物の裏手がぐるりとテラスみたいになっている。そちらの空がオレンジにグラデーションしている。

急ぎ足で、車に戻り、末っ子と友達の子の小学3年のほうを連れ出してくる。

間に合った。
日の出である。オレンジの塊がジリリジリリと音をたてているかのように昇ってくる。

これまでも何度か、日の出を子に見せようと、奮闘したことがあるのだが、うまくいかなかった。

この旅に出る前に、日の出を子たちと一緒に見れたらいいなと思った。
それも、今、現実になっている。

「オレ、日の出みたことある。2015年の初日の出。」
小学3年の子は、もっと寝ていたかったらしい。

「いいの!毎日、こんなすごい事が起こってるの!
地球が回る速度の確認にもなるから、日の出は何回見てもいいのーっ!」

思ったより、子らの反応が淡々としたものだったので、
わたしも少々ムキになる。
「ねぇ。うどんはどこで食べるの?
うどん!うどん!」

早くもうどんコール。
日の出についての感想などは一言もない。
別にいいけどね。やはり、食い気が一番。生きる活力である。

そこから、二時間。
香川の街へ車は降り立った。

国道沿いにはいつもの大型量販店たち。
最近の地方都市は、遠くに来た演出にイマイチ欠ける。そんなものなのか。

朝早くから営業しているうどん屋さんを調べてやってきたのだが、
もう行列!!

おとなしく、列に加わり、しばらくジリジリしたあとに、いよいよ、
「いっただきまーす!」

やはり、うまい!!
関東でも近頃見かけるセルフうどん店と、なにが違うのかは、わからない。けど、うまい!!

うどんは絶対食べたいと、リクエストしておいて、本当に良かった!
満ち溢れる幸福感。

なんとなく、自分の中で、この旅の目的は達した気になっている。

ゴールに到達したかのように、一瞬錯覚したのだが、
さぁ、本来の目指すゴールの高知県に突入である!


真夜中の、大阪で。

2015-05-06 12:44:58 | 旅行
夜、21時、すっかり眠る支度をして、友の車に乗り込んだ。

バイバイまたね!と声を張り上げる子供たちだけど、ご近所迷惑になるようなご近所とは、かなりの距離があるから大丈夫。

そして、わたしも子供たちと一緒に瞬く間にグー、バタン。

車が泊まる気配で目を覚ますと、友人もちょっと寝ると、お疲れの様子で高速道路のサービスエリア。時計を見ると22時すぎた頃。

トイレに行って、夜空を見上げると、意外と星が見えない。満月が近いのか。

夜中の山の空気に触れたら目が覚めた。

よしっ!進もう!

ナビのいう通り、高速道路をぐんぐん進む。

地名の看板に法隆寺などと出てくるけど、真っ暗でわからない。

元来のザックリ物事を把握する性質である。
とにかく西に進む。
うどんを食べるには、淡路島を通る高速に乗る。
とだけ思って運転しだしたので、途中で阪神高速だの、第二京阪だの近畿なんだかだ言われても全くピンとこない。

関東なら、まだ大まかにでも東と西と上と下で感覚的にわかる部分があるのだが、笑っちゃうくらいちんぷんかんぷんなのである。

瞬発力でナビの表示に従うと言う荒業を繰り出しつづけたら、ついに、間違えた。

ナビが頑張って、新しいルートを検索してくれている。
一回一般道に降りて、Uターンしてくるらしい。

暗闇の中をずっと高速道路で移動していたので、それまで空気感に変化を感じなかったのだが、
一般道に降りると、ちょっとワクワクした。
どうもそれは大阪のど真ん中らしい。

大阪の皆さんのちょっと個性的な運転に翻弄されつつ、湘南ナンバー代表のわたくしも、三車線道路を堂々と右から左へ車線変更。


と、それは突如現れた。
右手に大きな大きな、思っていたのよりはるかにデカイ、太陽の搭である。

しかも、目からこちらにレーザービームの如く光線を発射してくる。

うわぁ!びっくりした!

「なに、やってんだよ」
太郎先生が話しかけてくる。

「ちゃんと、創れ。」
また、太郎先生。

創れ創れと、いつも太郎先生に言われている気分であるのに、子育てやら生活を言い訳にして、全然創れてないわたしは、ここでもまた太郎先生にガツンとやられた。

はい。すみません。

そこで、頭上にモノレールがゴオーッと音をたてて追い越していく。
喝までいれられちゃったよ。そんな気分。


イソイソとおとなしく高速道路に戻る。

今まで、パーフェクトにナビの表示に従えたのに、ここで間違えたのは、、、太郎先生に呼ばれたなこりゃ。
なにはともあれ、ご挨拶できて良かった。


ガソリンもそろそろ給油しなくてはならない。
ちょうど淡路島ハイウェイオアシスという大きなサービスエリア。
今夜はここで寝て、朝進めばいいか。
うどんはすぐそこである。
車中泊2日目。

こないだまで、枕が違うと眠れなかったのに、どうしちゃったのわたし。

そして、安眠安眠。

おやすみなさい。

寄り道、癖になっちゃうよ。まだ、奈良。

2015-05-06 07:00:00 | 旅行
それで、あんまり近場をうろうろし、家でゴロゴロしていると、Tさんの夫が、近所の古墳群に連れていってくれた。

車中、歴史っぽい話をすると、夫さんはとても詳しかったので、頭が良い方だなぁと思った。

この夫さん。自分の仕事のあらゆる事をなんとかして、家族で奈良に移住を実現させたのだ。密かに尊敬しているすごい方。

さすがの夫さんに、
「さすが奈良なんですよ。この道なんかはね最初の天皇が通ったと言われている道。」

言われると急に、おーっ!と言う気になって感動しているわたしに
「ホントかウソかはわからないけどね。」
と、ニヤリ。


さて、到着した古墳群は小さな小高い丘。
不自然な地形を古墳と言われればなるほど、だけど、山菜やタケノコがニョキニョキ生えている。

説明の看板を見ると、4世紀頃の最古級の古墳群とのこと。

てっぺんまで登ったら、毛穴が逆立った。

昔、熊野で気功の先生が自宅の庭に気の流れの良い場所を作った、立ってみて、と言われて立ったら、そこでも毛穴が逆立った。

よって、この古墳群も、相当なパワースポットだと思われる。

息子は、そのパワースポットを駆け下りようとして手をついて、草が刺さって血を出して大騒ぎ。

我々はのんきに山菜をとり、タケノコをとった。

それから、もう一ヶ所、石仏群を見た。こちらは1700年代にできたものらしく、
「新しいのか。」
と、あまり興味を示さないわたしに、
「1700年が新しい?」
と、怪訝な顔をしている夫さんの表情が一瞬目に入ってすみません。今は、ちょっと、縄文マニアのわたしなんである。
歴史マニア同志としてシンパシーを抱きつつあった我々にちょっと溝ができた。

夕飯は、地元の野菜づくしのご飯をいただいた。
うちの末っ子がT家の高校2年生の長女に、本当の姉みたいになついている。
こういうのって、いいなぁ。誰んちの子が、どれかわからない。


日中外を駆け回って、美味しい野菜たっぷりの料理をいただいて、ゴエモン風呂にいれてもらって、子供たちは最高にいい子っぷりだ。

四角い部屋とアスファルトの生活でおとなしくちゃんとできないからと責められるのは子供にしたらキツイ事だと思う。
生理的に、いろんな事がちゃんと整う生活なら、子供はすぐご機嫌にいい子になる。
工夫して変えていかなきゃいけないのは、いつも大人側なのだ。


そうだ、奈良は通過点という事を忘れてしまうところだった。


寝る支度をして出発。さらに、進め!ゴールは!!どこだっけ?

長い寄り道は、素敵。奈良へ。

2015-05-05 16:50:37 | 旅行


奈良に住む友人は、
わたしが末っ子を産むとき、お世話になった産婆さんが
「ねぇ。Tさん知ってる?自然育児の権化。」

と、のたまった人物である。

その時点では、直接の知り合いではなかったけど、その名前はやはり、わたしの周辺ではとどろいていた。
娘たちも年頃が同じだった事もあり、いつしか直接の知り合いになり、交流するようになったのだった。

それが、八年前。

しかし、原発事故の後、Tさん一家は奈良に引っ越した。

奈良には、そうした意識の似ている人々が集まっているらしかった。


さて、わたしたちは、夜の22時にこちらを出て、朝方着いたら迷惑かしら、などと話していたのに、結局到着は朝の8時半。

ずいぶん遅かったね。と、迎えてもらった。

子供たちは、いきなり懐かしく意気投合し、あちらの中学2年生の娘さんの作った小屋に夢中。

大人たちは、ご自宅の横の原っぱで、シートを広げて横になり、コーヒーとスープと、巻きストーブで焼いてくれたチャパティをいただいた。

そういえば、わたしは髪が延び放題に延びており、そんな状態でこの旅に出発してしまった事が密かに悔やまれていたのだが、

なんと、まもなく、出張でカットしてくれる美容師さんがやって来るというので、やってもらう事にした。
旅先で髪をカットしてもらうという事を、前から一度やってもらいたかった。

まるで、そこの土地の住民みたいで、旅先の人や土地と親密な時間を持てそうだからである。


11時頃美容師のアマネさんはやってきて、カットを即快諾してくれ、
そのまま原っぱのキャンピングチェアでフードをかぶった。

いつもの美容院と同じ感じ、こんな感じで、と注文して
アマネさんは、はいはいと了解し、手早くカットが始まった。

旅先でのカットは初めてだし、外でのカットも初めてだったけど、何もかもが自然でおかしかった。

そして、やがてできあがったヘアスタイルが素晴らしく良くて、とても嬉しかった。かつてアマネさんは、京都で売れっ子スタイリストだったという。なるほど、納得。


そのまま、土に落ちたわたしの髪がさっぱりしたぶん一山あった。

どうしましょう。
とTさんに聞くと、

「大丈夫。そのあたりに撒いとくから。
昨日も鹿がきて、新芽を全部食べちゃったから。」

わたしが、「?」という顔をしたのだろう。

「人間の髪を撒いとくと、鹿がこないの。人間の匂いがするんだと思う。」
と、補足説明あり。

わたしの髪が、しばらくTさん一家を鹿から守るのか。変な感じ。だけど、ちょっとお役に立てて誇らしい感じ。


子供たちは向かいの川で遊び、探検と言って家の回りをぐるぐるし、全然大人によってこないので、わたしたちは移動の疲れを癒す事に専念した。
(つまり、ゴロゴロ)

昼御飯は、そのあたりの野草の新芽を天ぷらにしていただいた。

午後は元気が出て、Tさんたちが開催するオーガニックマーケットのチラシを近所に配り、ちょっと離れたところにある五平餅屋さんにいった。

五平餅は美味しくて、こんな店が近所にあったら、ヤバい!毎日行ってしまう。

そんな感じで、全くゆったりと奈良の時間は流れているのだった。

奈良編後半へつづく。