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遠野ー(2) 東北の旅11

2015-11-14 | 気まま旅
東北の旅に戻ります。

遠野の民話の語り部として知られた岩手県遠野市の「鈴木サツ(故人)」さんが語る昔話。
鈴木サツさん自身が選んだ50話で構成されている。
遠野市の鈴木サツさんは、1911年の明治44年、上閉伊郡綾織村長岡(現遠野市綾織町)で、農業を営む菊地力松、サノの長女として生まれる。
幼いときから父親力松さんから昔話を聞いて育ち、32歳に資格を取って開業した床屋で子供たちに昔話を聞かせることもあったと云う。
「遠野むかしばなし」の語り部としての本格的な活動は、昭和45年、頃からで、各地から招かれるようになる。
1984年「第2回NHK東北ふるさと賞」受賞。
1996年亡くなるまで生涯遠野むかしばなしの継承の第一人者として活躍した。

鈴木サツ自選「遠野むかしばなし50話」
「お月お星」・「二度咲く野菊」・「田螺長者」・「唖がよぐなった話」・「食わずの女房」・「上方テンポ」・「寒戸の婆さま」・「天狗の衣」
「糟餅と地蔵様」・「駒形神社」・「愛宕様」・「おふたご様」・「卯子酉さん」・「古屋の漏り」・「神様と二人の爺様」
「豆とおぎりど薬」・「エンサにヨイサ」・「蜂のおがげ」・「箕の輪曲げする人の話」・「天に上った男」・「人ど蛇ど狐」・「笠地蔵」
「三枚のお札」・「トラ猫ど和尚さん」・「父親買ってきた男」・「蛙の江戸見物」・「化げ猫」・「和尚様と猫」・「山鳩」
「フクベの始まり」・「観音様の申す子」・「オシラサマ」・「竜神のお告げ」・「天狗のおっかね物」・「とうふとこんにゃく」
「狢堂」・「鬼の豆」・「カッパ淵」・「カッパの恩返し」・「小峠の化げ物」・「上の爺ど下の爺のドッコかげ」・「若水」
「嬶の首」・「池端の石臼」・「狐をだました爺さま」・「狐の恩返し」・「狐の話」・「狐と獅子頭」・「座敷童子」・「母の目玉」の50話。

「カッパ淵」-カッパ伝説が多く残る遠野で一番知られている場所。
その昔、武将が馬の足を洗っていたら、この淵からカッパが出てきて悪さをしたらしい。今はその淵らしきものはないが、
幅2~3mの川原には、夫婦のカッパが鎮座する祠があり、拝むと胸が大きくなるという噂も。駅前にも。

津軽、喜多方、八戸、仙台、十文字、酒田、米沢、青森など東北地方のラーメン。
煮干や鶏ガラをつかったラーメンが多い 。


出羽神社の入り口には湯殿山の石碑が建っている。
出羽三山とは羽黒山・月山・湯殿山となっているが、本来は「羽黒山・月山・鳥海山」であったと云う。
「羽黒山伝」によれば、羽黒三社は羽黒・月山・鳥海で三所権現と号しているのだが、湯殿山はこの奥の院にあたると云う。
今では、地域の区分から鳥海山は外れてしまったが、古来は結びついていたようだ。
湯殿山・鳥海山等、全てを「羽黒」。

「愛宕神社」は、市街地から猿ヶ石川に沿って西へ、 道路脇、少し降って、境内入口の階段がある。
階段を上り、欝蒼と茂る 木々に囲まれて社殿が鎮座。その、 愛宕山の下には、卯子酉様の祠がある。

    

「卯子酉様」
愛宕山の東麓に鎮座の神社。卯子酉神社、卯子酉大明神とも呼ばれ、恋愛成就の神として若者に知られ、創建は、江戸時代。
祭神ー卯子酉明神を祀る。
かつて一帯は大きな淵でそこに「淵の主」が住み、その主に男女の縁を祈願すると不思議に叶い、特に信仰の篤い者には時として主自らが姿を現したといい伝えが、現在では祠の前にある木々の枝に、左手だけで赤い布を結びつけることができたら、縁が結ばれると云われている。
江戸時代、遠野の商人港屋平兵衛が、普代村鳥居の卯子酉明神(鵜鳥神社)を勧請して創建したと伝わる。
岩手県内には、遠野市を中心に各所に卯子酉様と呼ばれる祠があると云う。

  

     五百羅漢ー遠野市にある江戸時代天明期に刻まれた石像群。


天明の大飢饉による餓死者を供養するために、
天明3年の1765年、大慈寺の義山が山中の自然石に500体の羅漢像を刻んだものと伝わる。
羅漢像は立体的な彫刻ではなく、絵画のような線彫りと云う。 大雨の為途中で下山した。

   200年前余りの大飢饉で、義山和尚が羅漢像を彫って供養した
    

「対泉院」ー曹洞宗ー
門前の道路は、市街のはずれの桝形のクランク状に折れ曲がっている。
門前の道を入っていくと、黒光りした塗り瓦の四脚門と本堂が。

    

六地蔵堂と水子地蔵堂が、本堂の右側に、八角堂に金剛力士像、(日本一大きいと云うが)昭和55年に、
「東京大空襲」の犠牲者の冥福を祈るために作られたという。

    

                   境内には、石仏が
    

「福泉寺」ー市松崎町駒木 ー入門料¥300
山号ー法門山・真言宗豊山派 ・本尊ー聖観音菩薩・創建年ー1912年の大正元年・開基ー佐々木宥尊 。

            札所ー東北三十六不動尊霊場21番


境内は総面積20万㎡、山内には、県内唯一の四国八十八箇所と西国三十三所の写し霊場があり、

            春には桜、秋には紅葉の名所
    

福徳観音像、総高17m、木彫として日本最大の観音像。 樹齢1200年の大木の一木造である。
20年の歳月を費やして住職自らが刻んだと云う。
    

「妻の神の石碑群」ー松崎町駒木ー
妻の神は塞の神などとも書き、村境にあり外から悪霊が入ってくるのを防ぐ神とされる。
の駒木地区にある石碑群は、多くの石碑が並ぶことで古くから知られ ており、遠野を代表する石碑群の一つ。



                   大小の石碑


「陸奥国・横田城」-別称 護摩堂城。
鎌倉期から戦国期の城郭。
「阿曽沼氏」の居城、護摩堂山にあり。
両側を沢で囲まれた扇状地で猿ヶ石川に面した緩斜面地となっており、300x200mの台地に幅の広い空濠が残っている。
城下には家臣屋敷が配されて、一日市などがあったと云う。



猿ヶ石川がたびたび洪水を起こし、対岸に居住する諸士の往来の被害を避けるため鍋倉山に新城を築いて移り、
天正年間に放棄されるまでの数百年、遠野地区の政治的中心である。(前回の鍋倉城を)

    

                高清水山のふもとの丘陵地が一望


「阿曽沼公歴代の碑とシダレザクラ」
阿曽沼氏は、源頼朝が奥州を平定した1189ー1600年、の滅亡まで13代400年間に渡って遠野の領主。
中央の五輪塔は室町期と伝えられ遠野最古のもの。
シダレザクラそして芝桜が美しい所で、墓碑の裏手にはリンゴ畑が広がる。

                阿曾沼公歴代の墓・碑
    

                   供養記・石
    

「緑蔭小舎・遠野サロン」
遠野物語の柳田國男氏の義理のお娘さんが開いているギャラリー。

                   本日は休館していました。
  

「岩手県も、米どころ・酒どころ」
平成4年頃は、蔵元―29家・-銘柄数ー66種ありましたが
「3.11」後、不明です。銘柄ではーあさ開・岩手川・遠野路・南部美人・八重桜・風の又三郎、、、、、、、等が。

    

次回は、花巻方面へ。

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