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立川基地跡の 国営昭和記念公園

2015-11-23 | syu散歩

東京都立川市は、都の中央部武蔵野台地南端に位置する。市名は武蔵七党「日奉一族・立河氏」に由来すると云う。元は神奈川県北多摩郡立川村。
江戸時代初期は砂川ー玉川上水分水・元禄以降畑作を中心とするの農村地帯。
幕末から「藍染・砂川太織」で知られるようになった。それ以降は養蚕地として発展する。生糸や桑苗の集散地三多摩地域と広がっていった。
大正11年陸軍航空第5大隊が岐阜から移り、「立川飛行場」が建設された。技術研究所・陸軍施設・軍需工業基地となっていった。
立川駅北口と云えば、米軍むけ商店や歓楽街や闇市が形成され、基地拡張で「土地没収」に反対した住民の「砂川事件」があった。
1977年、基地は断念され全面返還された。
その跡地に、自衛隊立川駐屯地と広域防災基地とこの公園「国営昭和記念公園」が出来た。

「多摩モノレール」全長16km
上北台駅ー 玉川上水駅ー(西武:拝島線)- 砂川七番駅ー 泉体育館駅ー 立飛駅ー多摩都市モノレール運営基地 ー 高松駅
ー 立川北駅・立川駅ー(JR東中央・青梅線・南武線)→ 立川南駅ー 柴崎体育館駅ー 根川ー 残堀川ー多摩川 ー 甲州街道駅 (中央自動車道)
-万願寺駅- 浅川-動物園線- 高幡不動駅- 程久保駅ー 多摩動物公園駅ー(多摩丘陵トンネル)ー小田急・京王 多摩センター駅。

                JR立川駅と駅前・多摩モノレール
    

「国営昭和記念公園」
昭和天皇御在位五十年記念事業の一環として、戦後米軍が旧立川飛行場を接収した立川市と昭島市の両市にまたがる立川基地跡地のうち、
「180ha」を記念公園として建設。
1983年の昭和58年、昭和天皇臨席のもとに約70haで開園。
レインボープールや子供の森、日本庭園、砂川口、盆栽苑等次々と施設が整備され、平成17年、みどりの文化ゾーンが共用され、昭和天皇記念館が開館
公園は、震災や火災が発生した場合は、避難場所としての機能を果たすよう設計され、立川市と昭島市の広域避難場所の一つに指定されている。

            立川駅から徒歩10分程で「国営昭和記念公園」


立川口イチョウ並木の106本・うんどう広場脇のイチョウ並木の98本の黄葉は見応え。
日本庭園のモミジはとても風情がある。他にも、メタセコイアの並木やナンキンハゼなど。

             銀杏の黄葉のトンネルを「紅葉祭り」


                  東京ドーム約40個の広さ
    

   パークトレイン(¥310)で・自転車で・搭乗型移動ロボットで、おススメは歩いて
    

                 日本庭園では、いろいろ開催が


出入り口は、あけぼの・立川・記念口・高松・西立川(奥多摩線)・玉川上水・砂川。
    

        水鳥の池・残掘川・日本庭園池・木漏れ日の池がある


        広大な原っぱには、花畑が(コスモスは刈り取られていた)
    

   夢広場記念館は、高松口・立川口(昭和天皇記念館・花と緑文化センター)
    

       ハーブ園・運動広場・バーべキュウーガーデン等も
    

           自転車は、3時間ー¥410


           夏には、レインボープールが営業する
    

               花の丘には、季節の花が


「砂川闘争・砂川事件」
昭和32年・1957年7月、特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定の実施に伴う刑事特別法違反で起訴された事件を指す。
住民や一般の人々と全学連も参加し、その後の安保闘争、全共闘運動のさきがけとなった学生運動の原点の事件。


       公園近くで食事ーランチセット・コーヒー付きで¥750


次回も昭和記念公園続き。

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