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熱田神宮と大古墳

2014-07-14 | 気まま旅
旧石器時代の牛川原人・縄文・豊田酒呑ジュリンナ遺跡・一宮馬貝塚・吉胡貝塚・西志賀貝塚・古墳時代の二子山古墳・船山古墳、、。
686年草薙神剣が朝廷より「熱田神宮」へ返送。741年三河国分寺建立。1160年源頼朝が尾張豪族長田忠致に暗殺される。
1522年今川氏親尾張那古野城築く。1560年桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を征す。1610年名古屋城築城着工する、、、、。

「旗屋町」
伏見本町通り沿いに熱田神宮の第一の鳥居跡があり、 熱田区役所のところには第二鳥居の碑があったと云う。
このあたりは熱田神宮の境内で、摂社として高倉神社があったと云う。

玉の井という地名を調べたところ賀城園(料亭)の向えに威徳院というお寺があり、そこが熱田神宮の大宮司のお屋敷で、 そこにあった湧き出る泉を当時の人は「玉の井」と呼んだのがそもそもの由来で、地名も玉の井となったと言われている。

「夜寒町」という町名の由来は、熱田神宮でお供えで使われる皿の窯が、ちょうど旗屋小学校の近辺にありで、夜寒焼きという言葉が残る。
「旗屋」の地名も、神宮さんの衣装を織っていた所から 「旗屋」という地名がでたという。

旗屋交差点・付近
    

「白鳥庭園」は、開園ー平成3年・敷地面積ー約3.7ヘクタール 。池泉廻遊式庭園で中部地方の地形をモチーフに、築山を「御嶽山」、そこからの流れを木曽川、流れの水が注ぎ込む池を「伊勢湾」に見立て、源流から大海までの『水の物語』をテーマにした市内随一の規模を誇る日本庭園。
残念ながら定休日。

昔とは変わっていた白鳥庭園
    

「白鳥山・法持寺」
天長年間、空海が熱田神宮に参詣した際に日本武尊を敬い、延命地蔵菩薩像を彫って小祠を建立したのが始まりとされる。
白鳥陵の宝物を護持する寺である事から当時は宝持寺と称し、1449年、1469年 - 1486年に圓通寺2世・明谷義光によって曹洞宗の寺院として再興と云う。
1652年 - 1654年に現在の寺号である法持寺に改称している。
古くは熱田神宮大宮司・千秋氏の菩提所でもあったと伝わる。1757年 の大火で寺院の建物全てを焼失するも復興、その繁栄の様子は
「尾張名所図会」にも描かれ、かつては塔頭10ヶ所を数えたが、後に3ヶ所を残して廃絶。
残った3ヶ所も末寺となり、末寺は先の3つを含めて23ヶ寺あったという。

法持寺には多くの俳人が立ち寄り、松尾芭蕉や林桐葉、若山牧水が句会を開いた事でも知られ,
芭蕉の紀行文「野ざらし紀行」には、同寺で芭蕉、桐葉、若原叩端を連衆として三吟歌仙を催した事が記されている。
    

「白鳥古墳」
6世紀初頭に築造されたと考えられている前方後円墳で、法持寺のすぐ隣に位置する。
かつては法持寺が管理していたが、1876年からは熱田神宮に、戦後は名古屋市に管理が移された。
全長 70mなどとされる。
前方部南端は道路建設で、後円部の東側は鳥居の建設などで、また西側も法持寺の移転改築などに伴って墳裾部が掘削されており、元々の形を留めていない。前述の調査で前方部が削平されている可能性が指摘されているほか、墳丘東側に幅5メートルほどの平坦面があった事から、2段築造であった可能性もあるとされる。
墳丘には須恵質の円筒埴輪が巡らされていた。またかつては墳丘の東側から北西側にかけて幅10メートルほどの周濠があったと推定されるが、現在では確認できない状態となっている。

伊勢湾に面し、縄文・弥生遺跡・大型古墳が残っている。


1837年の台風の際に陵上の樹が倒れて内部の石室が露出。
「尾張名所図会附録」によれば、石室は全長約3.7メートル、全幅1.2-1.5メートル、深さ1.5-1.8メートルの石垣組みで、5枚の蓋石によって覆われていたという。遺物等は、銅鏡 六鈴鏡、馬具 楕円形鏡板、f字形鏡板など。

  

「断夫山古墳」は、熱田神宮公園内にある古墳。
東海地方最大の前方後円墳で 6世紀初頭に築造されたと考えられている。
熱田神宮公園の敷地も含めてかつては熱田神宮の管理下にあったが、第二次大戦後に名古屋市の戦災復興事業に伴い借換地となり、1980年に愛知県の所有となって現在に至る。1987年に国の史跡に指定された。

断夫山
  

形状は、前方後円墳・規模ー全長151m、前方部幅116m、後円部径80m、墳高16.2m ある。出土品ー円筒埴輪、須恵器など。

    

「熱田神宮」
通称「あつたさま」「宮」。三種の神器の一つ、草薙剣を御霊代に熱田大神を祭神とし、相殿天照大神・素戔嗚命・日本武尊等を祀る、武将の崇敬厚く、豊臣秀吉・徳川幕府など、1893年神明造の伊勢神宮の社殿に準じて大きく改造されている。

熱田神宮
    

1945年第二次世界大戦の戦火で本殿など焼失、55年に伊勢神宮の旧本殿を移築された。
    

約20万M2広い境内に本殿・神楽殿・能楽殿・文化殿などで、国宝に来国俊銘刀一口。
重文に木造舞楽面12面・菊蒔絵手バコ27件93点など多数。

熱田神宮
    

境内には、古木のクスノ木・ムク・欅・榎等が生い茂っている。

熱田神宮
  

6月に熱田祭・1月踏歌神事、歩射神事・5月に舞楽神事など年間60以上の恒例行事が行われていると云う。

熱田神宮
    

次回は、名古屋城へ。

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