「上沢寺」日蓮宗の寺、山号法喜山(逆さ銀杏で知られている)
上沢寺 楼門 葉つき銀杏
史蹟名勝天然記念物の銀杏の杖は、七百余年の歳月と共にいよいよ茂り栄え、この霊木は枝がみな下に向って垂れさがっている所から古来
さかさいちょう、と一般に呼ばれ、葉は消毒の秘妙符として、尊とばれ、毒消いちょうとも称されている。
お葉つき銀杏の実が、すべて犬の牙の形をしている点でも有名。
本堂 楼鐘堂 梅の古木
「長栄山本国寺」は、上沢寺と同じ日蓮宗。
開山は最蓮房日浄で、敷地は下山氏あるいは穴山氏の居館跡と伝えられている。境内の「オハツキイチョウ」には日蓮聖人植樹の伝説があり、国指定天然記念物になっている。
県指定文化財の磐、町指定文化財の木鼻獅子などを保有しています。穴山氏館跡は、本国寺及びその周辺が館跡といわれている。
下山は戦国時代には穴山氏の河内領支配の中心地。「下山城址」の碑がある。
本国寺と穴山氏との関係は深く境内にある。
本国寺 山門 楼門
銀杏が鈴なり 本堂 古木
「法城山 長泉寺」は、曹洞宗 龍雲寺末。大永2年3月創立の古寺、開基は済庵首座、開山は澆屋順壑大和尚(龍雲寺3世)である。
本尊は火防将軍地蔵菩薩、甲斐守穴山武将の守護神として愛宕堂に祀られている。古くから河内領の鎮防火災の祈願所として煙火を上げ、旧7月23日に愛宕祭を行ない、
450年の伝統を持ち今は8月16日に行なわれているという。
長泉寺 弘法大師像
「国道52号線」、静岡県静岡市清水区の興津交差点から始まり、山梨県甲府市甲府警察署前交差点までの 100.1 km。
この辺りは、南アルプス、十谷温泉に近く赤石山脈の山と富士川で緑が気持ち良い。
「一宮賀茂神社」鎮座 身延町下山菖蒲沢 小さい神社。御祭神 天津日高彦穂瓊々杵尊。天平勝宝年間・七百五十年代の古い神社。現宮司の始祖「稲葉左近」が土地の人とはかり創立したと伝えられている。
武田氏並びに穴山氏の尊崇極めて篤く河内領一七社の社頭として一ノ宮と尊称され、往昔葵祭には領内の神主ことごとく神事に奉仕したと伝えられている。
武田氏より三貫五百文地を、徳川氏におよんで同領の朱印地を代々受けている。
穴山氏より勝千代祈祷料として岩間の地に一九八アール寄進されていたが古文書だけ現存し場所は不明。
賀茂神社 鳥居 拝殿
歴史と落ち着いた境内でした。小高い神社を背に鳥居の向かいの山々の景色は素晴らしい。
拝殿内 高台の神社前から
「八日市場八幡神社のケヤキ」
天然記念物 ケヤキは、樹高 30m/12m、目通り幹囲 6.5m/5.6m、推定樹齢 300年以上、身延町八日市場
案内板による。拝殿横のケヤキと鳥居近くのケヤキとある。
ケヤキの独立巨木が3本かたまっていたと云うが、残念ながら、3本とも主幹を途中で失っており、鳥居近くの1本は、1966年の台風、
拝殿横の1本は、1987年の突風の害を受けたと云う。
八幡神社 ケヤキ 狛犬奥本殿
八幡神社隣の三守皇山長光院「大聖寺」は、真言宗醍醐派の寺、本尊 不動明王、
重要文化財・不動明王座像・県指定文化財・絹本著色地蔵菩薩十王図 ほか。
大聖寺 山門 欅の古木
里山の木立ちにあり、歴史を感じる。
この寺は、1105年に、新羅三郎義光(八幡太郎義家の弟)によって開かれたという。
その後、義光の曾孫に当たる加賀美遠光が京都で宮中守護の任務につき、"鳴弦の術"で魔物を退散させた功で、時の高倉天皇から清涼殿に安置されていた不動明王と「三守皇山長光王院大聖明王寺」の勅額を賜わったと云う。
遠光はこれをこの寺に収め、以後は三守皇山長光院大聖不動明王寺と称し、不動明王はいまも寺の本尊として祀られている。
不動明王像 本堂 鐘楼
「身延町なかとみ和紙の里」
富士川の豊かな流れと、四季折々の自然に恵まれた身延町は、風雅な趣きを持つ西嶋和紙の名産地。
はるかな山々をいだく、のびやかな地にたたずむ「なかとみ和紙の里」は、工芸美術にふれる「なかとみ現代工芸美術館」、手漉きが体験できる「漉屋なかとみ」、全国の和紙をとりそろえた「紙屋なかとみ」がある。
現代工芸と呼ばれる分野は、紙・陶磁器・染色・漆から、ガラス・皮・金属など多彩な材料と技法・技術を駆使して生まれる作品。
美術館は、新しい時代の美をいつくしみ、現代に息づく工芸美術作品を展示・収集する個性的なカルチャースポット。
数々の特色ある展覧会を企画している。
和紙づくり体験もできる。¥1000から、入館料¥500.
一面芝の 庭園 展示館
「身延町中富」は、山間部で耕地面積がわずかであるため、林業や焼畑、狩猟、製紙原料となる三椏の栽培など山の資源を利用した生業が成立し、西島は紙漉職人が多く、和紙を生産している。
富士川沿いには青柳河岸(増穂町)に属した切石河岸・八日市場河岸や黒沢河岸(鰍沢町)に属した下田原河岸などの富士川舟運に関わる河岸があり、渡船に携わるものもいた。
富士川沿いには甲駿を結ぶ駿州往還(河内路)が通り、沿道は宿場や町場で賑わった。
石の彫刻 入口 有料
次回は、甲府南IC方面に。
上沢寺 楼門 葉つき銀杏
史蹟名勝天然記念物の銀杏の杖は、七百余年の歳月と共にいよいよ茂り栄え、この霊木は枝がみな下に向って垂れさがっている所から古来
さかさいちょう、と一般に呼ばれ、葉は消毒の秘妙符として、尊とばれ、毒消いちょうとも称されている。
お葉つき銀杏の実が、すべて犬の牙の形をしている点でも有名。
本堂 楼鐘堂 梅の古木
「長栄山本国寺」は、上沢寺と同じ日蓮宗。
開山は最蓮房日浄で、敷地は下山氏あるいは穴山氏の居館跡と伝えられている。境内の「オハツキイチョウ」には日蓮聖人植樹の伝説があり、国指定天然記念物になっている。
県指定文化財の磐、町指定文化財の木鼻獅子などを保有しています。穴山氏館跡は、本国寺及びその周辺が館跡といわれている。
下山は戦国時代には穴山氏の河内領支配の中心地。「下山城址」の碑がある。
本国寺と穴山氏との関係は深く境内にある。
本国寺 山門 楼門
銀杏が鈴なり 本堂 古木
「法城山 長泉寺」は、曹洞宗 龍雲寺末。大永2年3月創立の古寺、開基は済庵首座、開山は澆屋順壑大和尚(龍雲寺3世)である。
本尊は火防将軍地蔵菩薩、甲斐守穴山武将の守護神として愛宕堂に祀られている。古くから河内領の鎮防火災の祈願所として煙火を上げ、旧7月23日に愛宕祭を行ない、
450年の伝統を持ち今は8月16日に行なわれているという。
長泉寺 弘法大師像
「国道52号線」、静岡県静岡市清水区の興津交差点から始まり、山梨県甲府市甲府警察署前交差点までの 100.1 km。
この辺りは、南アルプス、十谷温泉に近く赤石山脈の山と富士川で緑が気持ち良い。
「一宮賀茂神社」鎮座 身延町下山菖蒲沢 小さい神社。御祭神 天津日高彦穂瓊々杵尊。天平勝宝年間・七百五十年代の古い神社。現宮司の始祖「稲葉左近」が土地の人とはかり創立したと伝えられている。
武田氏並びに穴山氏の尊崇極めて篤く河内領一七社の社頭として一ノ宮と尊称され、往昔葵祭には領内の神主ことごとく神事に奉仕したと伝えられている。
武田氏より三貫五百文地を、徳川氏におよんで同領の朱印地を代々受けている。
穴山氏より勝千代祈祷料として岩間の地に一九八アール寄進されていたが古文書だけ現存し場所は不明。
賀茂神社 鳥居 拝殿
歴史と落ち着いた境内でした。小高い神社を背に鳥居の向かいの山々の景色は素晴らしい。
拝殿内 高台の神社前から
「八日市場八幡神社のケヤキ」
天然記念物 ケヤキは、樹高 30m/12m、目通り幹囲 6.5m/5.6m、推定樹齢 300年以上、身延町八日市場
案内板による。拝殿横のケヤキと鳥居近くのケヤキとある。
ケヤキの独立巨木が3本かたまっていたと云うが、残念ながら、3本とも主幹を途中で失っており、鳥居近くの1本は、1966年の台風、
拝殿横の1本は、1987年の突風の害を受けたと云う。
八幡神社 ケヤキ 狛犬奥本殿
八幡神社隣の三守皇山長光院「大聖寺」は、真言宗醍醐派の寺、本尊 不動明王、
重要文化財・不動明王座像・県指定文化財・絹本著色地蔵菩薩十王図 ほか。
大聖寺 山門 欅の古木
里山の木立ちにあり、歴史を感じる。
この寺は、1105年に、新羅三郎義光(八幡太郎義家の弟)によって開かれたという。
その後、義光の曾孫に当たる加賀美遠光が京都で宮中守護の任務につき、"鳴弦の術"で魔物を退散させた功で、時の高倉天皇から清涼殿に安置されていた不動明王と「三守皇山長光王院大聖明王寺」の勅額を賜わったと云う。
遠光はこれをこの寺に収め、以後は三守皇山長光院大聖不動明王寺と称し、不動明王はいまも寺の本尊として祀られている。
不動明王像 本堂 鐘楼
「身延町なかとみ和紙の里」
富士川の豊かな流れと、四季折々の自然に恵まれた身延町は、風雅な趣きを持つ西嶋和紙の名産地。
はるかな山々をいだく、のびやかな地にたたずむ「なかとみ和紙の里」は、工芸美術にふれる「なかとみ現代工芸美術館」、手漉きが体験できる「漉屋なかとみ」、全国の和紙をとりそろえた「紙屋なかとみ」がある。
現代工芸と呼ばれる分野は、紙・陶磁器・染色・漆から、ガラス・皮・金属など多彩な材料と技法・技術を駆使して生まれる作品。
美術館は、新しい時代の美をいつくしみ、現代に息づく工芸美術作品を展示・収集する個性的なカルチャースポット。
数々の特色ある展覧会を企画している。
和紙づくり体験もできる。¥1000から、入館料¥500.
一面芝の 庭園 展示館
「身延町中富」は、山間部で耕地面積がわずかであるため、林業や焼畑、狩猟、製紙原料となる三椏の栽培など山の資源を利用した生業が成立し、西島は紙漉職人が多く、和紙を生産している。
富士川沿いには青柳河岸(増穂町)に属した切石河岸・八日市場河岸や黒沢河岸(鰍沢町)に属した下田原河岸などの富士川舟運に関わる河岸があり、渡船に携わるものもいた。
富士川沿いには甲駿を結ぶ駿州往還(河内路)が通り、沿道は宿場や町場で賑わった。
石の彫刻 入口 有料
次回は、甲府南IC方面に。
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