syuの日記・気まま旅

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赤ひげ診療譚で有名な小石川養成所 2

2019-02-20 | 季節だより
東京都文京区小石川は、区の中南部、小石川台地と旧千川上水にまたがる地域、1889年東京市に編入・昭和22年本郷区と合併し「文京区」に。
東に「白山通り」・南に「春日通り」・台地上に「伝通院」と寺が多い。
大正期の「太陽のない街」徳永直が描いた労働闘争の町が小石川・多くの文士・芸術家が移住している。出版印刷業の商工業地域でもある。
小石川植物園は白山で、元5代将軍「綱吉・館林藩主」時代の下屋敷で「白山御殿」とも呼ばれた。徳川綱吉死後、幕府の御薬園に1721年。
1722年小石川養成所が、1877年の明治10年現東大の植物実験地とな多。

徳川綱吉 1646-1709 5代将軍(家光の4男)35歳で将軍に  犬公方
就任当初は名将軍・「生類憐みの令」を出して陰口で犬公方、儒学に親しんだが自身の戌年で大事に扱えば後継ぎに恵まれると妄設を信じたが世継ぎは生まれなかった。兄の綱重の子を養子に迎えている。

青木昆陽 1698-1769 農民を飢えから救った甘藷の普及に尽力した。「甘藷先生」と呼ばれた。
江戸の魚問屋に生まれ、京都で儒学・本草学を学んだ。8代将軍吉宗の内旨を受けオランダ語の研究行った。学興隆の基礎を築いた。
関東地方の甘藷は盛んに栽培され、特に伊豆大島産は絶品と云う。


平瀬作五郎 1856-1925 明治・大正の植物学者
福井藩士の子、1996年ここ植物園で「イチョウ精子」を発見。



            昭和44年本郷構内の「旧東京医学校 本館」を移築。


                         日本庭園


山本周五郎著「赤ひげ診療譚」で有名な小石川養生所」。
その養成所は、長崎から江戸へ帰ったばかりの青年医師保本登。
小石川養生所へ呼び出され、そのまま養生所で働くことになる。
しかし登は、許嫁の天野ちぐさに裏切られたこと、御目見医師に任じられる約束を反故にされたこと、長崎で得た最新の医学知識を医長の新出去定に全て無条件で差し出すことなど、全てが不満だった。ささやかな抵抗として登は、養生所の規則やそれを決めた新出に逆らい続ける。
それでも飽き足らず、登は養生所で働く娘・お杉に愚痴をこぼし、次第に彼女と親しくなっていく。
お杉は養生所の一角に監禁された狂女・おゆみを世話する女中だった。
登は医師としておゆみに興味を持つが、殺人癖があり情事の最中に相手の男を殺すおゆみは、新出以外の者が診察できる状況ではなかった。
そんなある晩、お杉は「新出先生の見立ては間違っている」と、おゆみの身の上を語りだす、、、、。
























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