syuの日記・気まま旅

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日向和田  鎌倉古道 吉野梅郷 多摩川散歩(19)

2016-02-06 | 気まま旅

「鎌倉古道・鎌倉街道」
古くは鎌倉道と呼ばれ、鎌倉街道は中世の頃、 東国の武士達が彼らの居館と当時の都、鎌倉との往還に踏み固めた道筋
1192年、源頼朝は始めて武家政権を樹立し、鎌倉に幕府を開 いた「鎌倉幕府」。
東国の武士達は早くから頼朝を武門の棟梁と して臣従し政権樹立に大きな役割を果たした。
鎌倉街道はこうした東国の御家 人達が一朝ことあれば「いざ鎌倉」と馳せ参じる道筋。
鎌倉街道の主 要な道筋は上ノ道、中ノ道、下ノ道の3本であったが、その他にも多数の枝道、 間道があった。
鎌倉幕府崩壊後も、建武中興、南北朝時代、室町時代、戦国時 代と、時代は移ろっても鎌倉は中世における東国の都として生き続け、
鎌倉街 道も幾多の歴史を刻んだが、徳川家康が江戸に入府すると、鎌倉の歴史的 使命は終わりを告げている。

鎌倉街道山ノ道は、秩父から青梅、五日市、高尾等、山辺を縫う様に走る道筋で、 上ノ道の裏街道の役割を担った。
別名「幻の道」とも「夢の道」とも呼ばれ、 武蔵武士の鑑と言われた鎌倉武将「畠山重忠」にゆかりの深い道筋でもある。
鎌倉古道の丘陵 越えには2つのルートがある。
一つは梅ケ谷峠を経由する車道、いま一つは馬引沢峠を経由する山道。
畠山重忠が歩 いたのは古い鎌倉古道の馬引沢峠道、一方梅ケ谷峠道は、戦国時代に大軍を動 かす軍道として開かれたと云う。
馬引沢峠道は、今でも、薄暗く寂しい峠道と云う。

                JR青梅線日向和田駅(無人)
    

「神代橋」
吉野地区 位置/65k100m(河口から)・建設は、昭和44年・構造ーアーチ橋・長さ 132.4m・道幅と車道6.2m 歩道2.7m×2

高さは、21m(水面まで)
    

    石碑ー「ふるさとに 澄める空あり 雁渡る 康弘」と彫られていた。

                   元首相・中曽根 康弘氏の句


即清寺の東を流れる沢を明王沢といい、あるとき本尊の首が落ちていたのでこの名がついたと云う。
沢にかかる橋を「明王橋」
山門下の吉野街道は、大門坂と呼ばれていた。

    

「鎌倉街道・馬引沢峠・二つ塚」
悲しい物語が、-何百年もの大昔、峠の麓に貧しい母と娘が住んでいました。
不幸にして、不治の病にかかった母親は、山に生きたまま埋められることを願い、親思いの娘も、一緒に葬られることを涙ながらに願って、
この地に埋められました。
それ依頼ここを、「二つ塚」と呼ばれ、薄幸の親子をしのんで、心ある村人が、掃除や土盛りをして、今も供養していると云う。



「都道」 ー青梅街道(西東京市東伏見4丁目~東大和市中央2丁目)・ 府中街道(稲城市大丸~東村山市久米川町5丁目) 立川通り(立川市錦町6丁目
~小平市小川町1丁目) ・吉野街道(青梅市友田町2丁目~青梅市畑中1丁目)・ 滝山街道(あきる野市牛沼~青梅市友田町2丁目)
新滝山街道(八王子市戸吹町~あきる野市牛沼)・ 高尾街道(八王子市東浅川町~八王子市戸吹町)・ 町田街道(八王子市東浅川町~町田市鶴間)
多摩ニュータウン通り(町田市小山町~多摩市乞田)・鎌倉街道(府中市本町1丁目~町田市森野5丁目・・奥多摩・・)。

  

「吉野街道」
起点は、都羽村市(新奥多摩街道交点)~終点が、都西多摩郡奥多摩町(古里交差点=青梅街道交点)間を云う。
(終点付近より多摩川南岸道路が建設され、将来的に国道411号現道を経由しないでも奥多摩湖に向かうことができると云う)



「下山八幡神社」
日向和田駅の西、吉野梅郷の中、吉野街道から西に入ったところにある。
長久2年の1041年、創建と伝えられる古社で、梅郷の鎮守として崇敬されてきたと云う。
拝殿の後ろにある本殿は三間社流造りの形式で、この形式のものは、都内では数少なく、青梅市の有形文化財に指定。
社宝として弘安4年の1281年、銘がある木彫神鳩のほか、神鏡や石剣などを保存。
社殿は端正なたたずまいを見せ、凛とした雰囲気を漂わせている。現在造成中
毎年10月半ばに行われる秋季例大祭には梅郷の下郷、中郷、上郷の各囃子連が囃子を奉納される。

    

「曹洞宗ー天沢院」
丘に登ると目の前に、「梅の公園」が一望できます寺。
天沢院は慶長8年の1603年、の開創と伝え、本尊は釈迦如来です。
境内には、石仏・梅をはじめ、サンシュユや季節の草花が植えられている。

    

「梅の公園・吉野梅郷」
梅の名所として吉野梅郷を訪れた人は必ず立ち寄る 「吉野梅郷のシンボル」そして「観光の中心スポット」になっていました。
しかし、平成21年に吉野梅郷地区でウメ輪紋ウィルス(PPV)が発見されて以来、多くの梅樹が伐採されてきました。
感染拡大の防除と梅の里の早期復興のため、平成26年5月には全ての梅樹が伐採されました。
現在、園内には菜の花や福寿草、日本スイセン、ツツジ等が植栽されていると云う。

    

公園入り口に、僅かの蝋梅が迎えてくれた。

    

多摩川を下ります。