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syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

七沢温泉

2015-07-07 | 気まま旅

「大山の東麓に点在する温泉郷」-七沢温泉、広沢寺温泉、かぶと湯温泉など。
山裾の斜面に旅館が建ち並ぶ温泉郷。


      村中山観音寺や日向薬師・大山眺望散策・七沢森林公園森林セピラー基地・猪料理が。
  

「七沢城址」
室町時代中期の1450年、に勃発した鎌倉公方「足利成氏」と関東管領「上杉憲忠」と戦いでは、
「憲忠軍がこの城に篭もった」との記録があり、城の成立もこれ以前とされている。
七沢城は扇谷上杉定正に継がれ、定正の兄朝昌が城を守ったとされるが、長享二年の1488年、扇谷上杉氏と勢力争いをしていた
山内上杉顕定率いる兵に攻められる。この戦いにより朝昌は戦死する。
山内上杉軍を撃退し、後、七沢城は朝昌の子朝寧・憲勝兄弟へと引き継がれるが、永禄五年の1562年、小田原より進出してきた
後北条氏の攻撃により七沢城は落城。以降、七沢城は利用されることなく廃城になったという。


  

「上杉憲顕」 1306-68 足利氏の姻戚 初代関東管領に任じられた。山内上杉氏の祖で基礎を築いた。

        七沢城跡は現在七沢病院が建ち、遺構は全く残っていない


            厚木七沢ー伊勢原日向を結ぶー薬師林道ー 
  


           熊が飛び出そうな林道(やっと道標が)


「山中にある巨岩 亀石」
木が生え、岩の上に堆積した土に木が根を付けている。幅15m・高さ8mー推定重量は不明の謎の巨岩。亀のように見える事から「亀石」という。

                    そそり立つ謎の巨岩


26点の仏像安置ー日向薬師ー

奈良時代初頭の霊亀2年の716年、「僧行基」により開山。

「僧行基が熊野を旅していた際、薬師如来のお告げにより、相模国のこの地(現在の神奈川県伊勢原市)に、日向山 霊山寺を開山したと伝えらる。

                     日向薬師
    


本尊ー薬師瑠璃光如来(鉈彫り 国重文)

薬師信仰は、奈良時代に盛んになり全国に広まり、薬師如来は東方瑠璃山に在って現世のご利益を願う尊。
寺は、かつては勅願寺とされていましたが民衆の篤い信仰を受けて、法燈が受け継がれいる。

                    日向薬師
  


山号ー日向山・宗派ー高野山真言宗・本尊ー薬師三尊・創建ー(伝)霊亀 2年(716年)。
別称ー日向山霊山寺(近世以前の寺号)・札所ー東国花の寺百ヶ寺 神奈川7番

文化財ー<重要文化財>本堂(改修工事中)
木造薬師三尊像、木造阿弥陀如来坐像、木造四天王立像、木造十二神将立像、梵鐘など。

平成23年、本堂の大規模な改修工事、「平成の大修理」が行われていた。平成28年の12月には復元された本堂を公開予定とのこと。



「日本三大薬師寺」
日本三大薬師といえば、いろいろな言い方があるが、奈良の薬師寺と日向薬師、それに会津の勝常寺の薬師如来が知られている。
日向薬師は、地元では日本三大薬師に数えられているが、薬師如来は国分寺の多くで祀られているなど古刹に薬師如来は極めて数が多く、したがって日本三大薬師にはいろいろな言い方がある。まあ、定説がないと言える。
日本三大稲荷といえば、伏見稲荷と豊川稲荷と笠間稲荷である。佐賀の裕徳稲荷などを数えることもあるが、古刹としては伏見稲荷と豊川稲荷と笠間稲荷ということでほとんど異論はないようである。
薬師如来・三大薬師の本命かは判らない。
奈良の薬師寺とこの日向薬師と、もう一つは会津の勝常寺を挙げている人が多い。

源頼朝を語るとき政子との関係から日向薬師を抜きにできない。

日本三大薬師ー奈良の薬師寺は有名ですが、あと2箇所はどこでしょうか。


日向薬師は、平安時代の歌人
  相模の歌「さして来し日向の山を頼む身は目も明らかに見えざらめやは」であるとされている。
相模は相模守大江公資と結婚して、1020年、、夫の任地である相模に下向、1024年、には帰京しているので、前出の歌はその間に詠まれたもの、、
このことから、日向薬師は平安時代後期には霊場として栄えていたことがうかがえる。
鎌倉時代の史書「吾妻鏡」にも日向薬師にかかわる記事が見られる。
1192年には、源頼朝の妻「北条政子」の安産祈願のために読経をさせた寺院の1つとして霊山寺の名が。(この時生まれた子が後の源実朝)。
1194年には、源頼朝が娘の大姫の病平癒祈願のため自ら「日向山」へ参詣したとの記載もがある。

本堂改装中
  

「村中山観音寺」
観音寺は、奈良時代後期、元正天皇の頃の創設と伝えられ、不幸にも野火に遭い消失している。
元禄初年頃村民の協力により再建し、 日向一之沢浄発願寺の木食空誉弾阿上人が天台宗の寺として開山。
本尊ー馬頭観音菩薩が安置されていると云う。
上杉定正の愛馬月影を祀ったことによると伝えられている。
その頃は馬を飼っていた村人が、馬の安全と供養を、さらには五穀豊穣の祈りをこめて信仰されていたと云う。
古くは観音様の祭りに境内で草競馬が催されたこともあり、参道の途中には数多くの馬頭観音碑が建立されていると云う。


                     丘陵に観音像が
  


これで、相模湖から旅は終わります。