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近江・浅井郡 丁野山古砦之図を楽しむ

2019-10-12 | 歴史

滋賀県長浜町の丁野山城、中島城、山脇城を訪れた際には「図解 近江の城郭Ⅲ」等を参考資料として出かけましたが、資料の中に度々登場する「丁野山古砦図」が気にかかっていました。
※丁野 は「ようの」と読みます。
 今回、ブログ作成に当たって、手持ちの資料を引っ張り出して見ていると、以前入手した「近江浅井氏 小谷城と城下をゆく」 2010 発行:小谷城下まちめぐりウォーク実行委員会の書中に丁野山城の項目ページが有り「浅井郡丁野山古砦之図」が掲載されていて「本書で初公開の新発見絵図」として個人蔵の丁野山古砦之図の写真版が載っていました。 

 

同書の図の説明によると「彦根藩井伊家文書(重要文化財)中の同絵図写で知られていたが、本図は所在不明のその原本に極めて近い。今のところ知られる中では最古作と推定される。」となっています。


「近江浅井氏 小谷城と城下をゆく」掲載の丁野山古砦之図と同書を参考に砦跡や武将名を部分的に落とし込んでみました。

前回の中島城のブログで主郭の南側下に堀と土塁がない理由を掴めませんでしたが、絵図によれば南側の山下には蓮池と沼池が描かれていますので、この池が要害だったので、堀や土塁を省略したのではないかと思いました。

南の山脇山から北の八幡之岡まで、往時は尾根が連続していましたが、北陸自動車道、278号の道路工事で分断されたのが判ります。

現在、谷田神社が祀られている場所には弥勒寺が有ったようです。

南の山脇山にも砦が描かれています。現在山脇城とされている場所と思われます。付近に寄手明智日向守光秀、森蘭丸の文字が書かれていて、織田軍が南から攻撃したのが判ります。

西の馬渡川となっている川は現在の高時川です。馬渡は「もうたり」と読み下流に湖北町馬渡の地名があります。東の餅井は餅ノ井と呼ばれる灌漑用水で、古くから流血の水争いが絶えない用水として、多くのエピソードがネットで紹介されています。

 岡山にあるのが本丸と記されています。中島城は出丸となっています。
岡山には越前玉泉・、平泉寺衆徒の書き込みもあります。武将名に朝倉勢が多く見られ、援軍出来た朝倉氏主体だったことが判ります。平泉寺の衆徒は大嶽が落ちて丁野山城を織田軍が攻撃すると、詫び言して退散したと伝わります。

大雑把に絵図を見た感想を書きましたが、入門者の僕でもとても興味深く大いに楽しめました。
ベテランの方が絵図を見ると、さらに貴重な多数の情報を得られるのではないかと思います。

なお、「近江浅井氏 小谷城と城下をゆく」に関心をお持ちの方はネット検索すると購入先などが載っています。

 

 

 


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