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近江・丁野城 織田信長の小谷城攻撃に備えた越前朝倉勢が主体の城

2019-10-16 | 歴史

丁野山城は滋賀県長浜市丁野町、通称岡山にあります。その所在の地名から岡山城とも呼ばれます。
※丁野は「ようの」と読みます。
 元亀四年、信長軍は小谷城の背後にある大嶽を急襲して討破ると、続いて丁野山城を攻撃したとされます。丁野山古砦之図によれば寄手の軍勢は明智光秀、森蘭丸と書かれています。
 今回も「図解 近畿の城郭 Ⅲ」と丁野山城主郭に立つ案内板の縄張り図(作図 長谷川銀蔵、長谷川博美)を資料として見学をしました。


丁野山城 上図の岡山の本丸が丁野山城、大鳳山の出丸が中島城
 丁野城は道路工事を免れて城郭遺構はほぼ完存状態だと思いましが、土の城ですから時の経過による風化はそれなりにという感じでした。
※bの道を車で進みましたが、途中路肩が弱く進めないのでバックで戻るという恐怖を味わいました。a付近のスペースに駐車して見学しましたが、あくまで自己責任で。


丁野山城 主郭に立つ案内板の縄張り図 北を上に回転し加筆
 案内板の縄張図では主郭外周部を帯曲輪としていますが、案内板の図では横堀となっています。幅が狭い部分では横堀のように見え、幅が広い部分は帯曲輪のように見えるので、どちらも有りでしょうか。


丁野山城 南端部堀切Bが尾根を断ち切って西に伸びている。
 堀切Bと東側の竪堀との間を通って虎口Dを進むと虎口Bまでの間は櫓台状土壇から見下ろされるので、敵兵は上からの攻撃にさらされることになったでしょう。


丁野山城 南側の櫓台状土壇から帯曲輪越しに主郭を見る
 主郭Ⅰの周囲には土塁がありません、周囲の切岸が防御の役割を担っています。


丁野山城 主郭から東下の虎口Cを見下ろす 岡山の東面からの攻撃は可能性がないと考えたか
 しゅかく東下に虎口Cがありました。その先の東方向には防禦施設がありません。大嶽から丁野山城に至る防禦ラインが設定されていたとすれば大嶽が敵の手に落ちたら丁野山城は東から直接敵の側面攻撃にさらされる状態になったのではないでしょうか。南からは明智光秀、森蘭丸の軍が迫ったとすれば、詫び言して退散するしかなかったのかと思いますが、想像を膨らませすぎでしょうか。


丁野山城 北西部の虎口A 主郭から帯曲輪越しに見下ろす。虎口右手の土塁に櫓台状の土壇がある
 主郭の北西下に虎口Aがひらいていました。この方面からの敵兵に対しては櫓台状の土壇上からの攻撃を加えられるので、ひがしがわの虎口Cに比べると厳重な防御と言えそうです。帯曲輪とした遺構の左側(主郭西側)は幅が狭いので横堀と言ってもいいのではないかと思いました。


丁野山城 北側の堀切A 尾根をきっちり堀切って北尾根方面を遮断している
 堀切Aは北側の尾根を堀切って北からの通行を遮断しているようにみえました。南側は虎口Dで通行が可能ですから、何かの差があったと思いますが・・・・分かりません。


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