城と歴史歩きを楽しむ

専門的でも学術的でもなく、気楽に
山城中心に城巡りと歴史歩きを楽しみましょう!

武蔵・八王子城 東海古城研究会の特別見学会

2018-05-26 | 歴史
東京都八王子市の八王子城は豊臣秀吉の小田原の役で、城主北条氏照が
小田原城で籠城中に前田利家・上杉景勝軍に攻められて落城しました。
八王子城の落城が決め手となって小田原城は開城し北条氏政とともに氏照も
切腹して北条氏は滅びました。
八王子城は秀吉の関東侵攻に対応して補強・改修工事を続けていたという
ことですが、今回見た遺構だけでも巨大な山城と、山下の居館の規模の
大きさが判ります。


金子曲輪 削平地には土塁などが見当たらない
本丸に至る城道には数箇所の曲輪が有るが、削平されているだけで土塁などの
防禦施設が見当たらなかった。


本丸 見張台程度の面積の削平地
本丸とは言うものの、最高所に有る見張台ではないだろうか? 今は樹木で見通しが利かないが往時はさぞかし遠くまで見通せたことだろうと思った。

縄張図によると、八王子城は、更に奥まで遺構が残るらしいが今回はここまでだった。ここまで見た範囲では、大きいが脆弱な山城という印象だったので、補強・改修は奥の方で続けていたのかもしれないと想像しました。


山下の御主殿虎口 見どころはこっち!
安土城の大手道を思わせるような、総石垣づくりの大手虎口と主殿に至る階段は
見事でした。


山下の御主殿 居館跡の礎石遺構がしっかり残る
この付近は、国有林だったため、開発の手が入らず遺構が国有地の森のなかに
手付かずで眠っていたようです。

発掘調査が行われた範囲だけでも、主殿の礎石建物跡、道路跡、庭園跡などが
検出され、大切に保存されていました。ここには、北条氏の権威を示すものは
有るが戦いに備えたものは殆ど見当たりませんでした。

関東武士のチャンピオンの北条氏は、豊臣秀吉が動員した、かつて無い大軍を
前にしても屈するより潔く滅びる道を選んだのでしょうか・・・

城主不在の中、前田利家、上杉景勝という名だたる敵と戦って討ち死にした
人たちも関東武士の意地を示せたのではないか、などと想像しました。