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日常生活のあれこれ

特別展  「仏教伝来の道」 平山郁夫と文化財保護

2011-03-11 08:20:06 | Weblog

                第二部  文化財保護活動の結実  「大唐西域壁画」

 

 

                

           2001年奈良・薬師寺の玄奘三蔵院に、大唐西域壁画奉納された。

           構想から20年以上にわたる期間を要し、37メートルにもおよぶこの壁画は、
           玄奘三蔵の求法の旅を重ね合わせて、ひとと自然とが調和し、時間と空間が一体となった。

           いわば理想郷の姿が象徴されているようである。

           世界平和を願い、文化財保護に情熱を傾注した平山郁夫氏の様々な活動や思いが

           集約された大作である    (図録より)

 

          

           西ノ京 薬師寺の興楽門を出ると向かい側にあるのが玄奘三蔵院伽藍 

           1月9日に訪れた時、5日までの公開を終えすでに国立博物館に送る準備中
           だったのでしょう。
           玄奘塔の内部は拝観したことがありますが、大唐西域壁画殿はこの奥です。

 

 

 

         

                奈良 薬師寺玄奘三蔵院 大唐西域壁画殿

 

 

         

           内部  全七場面からなる壁画です 「西方浄土須弥山」  (220x964.8)

          壁画殿北面中央に掲げられたこの「西方浄土須弥山」は本尊という設定です
         
         平山氏は壁画殿の本尊としてヒマラヤ山脈をモティーフに選んだ、昭和56年12月に
         標高4千メートルのエベレストビューへの取材を敢行している。
         高山病に悩まされながら、ヤクに乗るなどして目的地に到達し、世界最高峰の勇姿を
         目の当たりにしている。
         なお昭和59年の玄奘三蔵院起工式の折りに掲げられた大下図では、画面右下に
         ヒマラヤの峠を越えるキャラバンを描いていたが、説明的になるのを避け、完成では省略した。

 

 

        

             左右の両脇侍は「高昌故城」「バーミアン石窟」

 

 

               

                    「明け行く長安大雁塔」  中国  (220x261)

            大雁塔は玄奘三蔵がインドから持ち帰った膨大な軽論を火災や散逸から
            守るために、長安大慈恩寺の境内に築造された煉瓦の塔です。
            創建当時は五層で現在の大雁塔は明代の修築で七層になっている。

            壁画全体の構想からいえば、本画面は玄奘の旅の出発点にあたる。
            大雁塔は玄奘の帰国後に建てられ、後世の七層の姿で表されている。

            平山氏はこのモニュメントを玄奘の象徴として旅立ちの画面に相応しいよう
            燦然と輝く朝陽の中に描き出した。

 

 

        

                 「嘉ヨク関を行く」  中国     (220x582)

          嘉ヨク(山へんに谷)関 黄河から敦煌にいたる河西回廊の万里の長城の
          西端を守る城塞として明代初期(1372年)に造られた。
          玄奘が西へ向かった折にはこの関はなかったわけだが、平山氏は唐から
          出国を象徴する場所として、度々訪れた同地を描いている。

          画面後方、山脈の雪は壁画であることを考慮して大理石から組成された
          方解末を用い、画面左の狼煙台に続く道の部分に、壁画と、玄奘三蔵と
          薬師寺と画家の一体化を念じて、薬師寺の庭土が塗り込められている。

 

 

        

              「高昌古城」  中国     (220x522)

          高昌はシルクロード要衝の地として繁栄した都市、西域に向かった玄奘は
          ここへ立ち寄り、国王の麹文泰から手厚く遇された。
          城内には50あまりの寺院が存在したと「大唐西域記」には記されている。
          その後玄奘がインド歴訪を終え同地を訪ねた時には、高昌はすでに唐に
          滅ぼされたあとだった。
          そのため玄奘は「大唐西域記」で「高昌故地」という表現を用いている。

          平山氏は当初、幻の都・楼蘭をモティーフに下図まで製作したが、玄奘が
          同地へ立ち寄ったのがインドからの帰路であったことから、変更して高昌を
          描くことにした。

          壁画殿の本尊である「西方浄土須弥山」の青と白の冴えをいっそう
          浮き立たせるため、脇侍に当たる「高昌故城」と「バーミアン石窟」では、
          ベースとなる色を砂漠の金茶と黄土色で統一したといいます。

 

 

        

               「バーミアン石窟」  アフガニスタン   (220x522)

           (この「バーミアン石窟」との間に「西方浄土須弥山」が入ります)

         アフガニスタンのバーミアンを玄奘が訪ねた時は、伽藍数十ヵ箇所、僧徒数千人と
         仏教が盛んで「信仰に篤い心はことに隣国より甚だしい」と「大唐西域記」に記されている。
         渓谷の断崖には無数の石窟が掘られており中でも高さ55メートルの大仏は金色に
         輝いていたと玄奘は伝える。

         平山氏の度重なるシルクロードへの旅はこのバーミヤン訪問から始まった。
         そこで目の当たりにしたのは東西文明の壮大な交流の跡であり、さらなる探訪の旅へと
         駆り立てることになった。

         バーミアン大仏がタリバン政権により爆破されたのは、「大唐西域壁画」が完成して
         間もなくのことでした。

 

 

        

                「デカン高原の夕べ」   インド     (220x582.6)

         「大唐西域記」によれば、玄奘は南インドや西インドまで足を伸ばしたと伝えられている
         平山氏もまたインドの南半分をしめるデカン高原を訪れ、太古の地上を思わせる
         荒涼とした台地に地球の息吹を実感する。

         人工による建造物を排除し、自然の道や風景を象徴的に描いた。
         下面の右手から左手に向かって線がなだらかに動いているように描いたのは、
         画面の流れを意識したものだといいます。

 

 

        

              「ナーランダの月」    インド     (220x261)

        インドのナーランダ寺院は大乗仏教の研究の中心地として栄えた学問寺である。
        玄奘は長安を出て丸3年後の631年にこの寺にたどり着き、高僧戒賢(シーラバドラ)の
        もとで5年にわたる研究生活に没頭することになる。

        本画面では「明け行く長安大雁塔」の朝日と対比して、太陽が沈み、月光を浴びた
        ナーランダの大唐を中心とした遺跡が描かれている。
     
        大下図の段階では月を右に描いていたが、壁全体の流れとつながりを考え、
        本画では左に移したといいます。
        最後の仕上げ段階で、平山氏は大塔に向かい合唱する人物を描き込んだ(右下)
        そこには玄奘の姿と共に、画家を壁画製作に導き、その完成を前に逝去した
        薬師寺管主、田後胤氏の姿が重ねられている。

        この壁画を見ながらこの解説を聞いた時、目頭が熱くなり、体中に熱いものが伝わる
        感じがして、とても印象に残りました。 そして右下の道に佇む合唱している人物が
        見えました。

 

 

        

               薬師寺玄奘三蔵院・大唐西域壁画殿 内部(天井)

           壁画殿の天井には、タクラマカン砂漠に広がる夜空が描かれている。
           248枚のパネルを格子にはめ込んだもので、ラピスラズリの群青を
           基調として、金砂子で星を表し、東西に金と銀で太陽と月を配した。

           また壁画殿の本尊である「西方浄土須弥山」付近の天井には、天空に舞う
           金銀の散華が描かれている。

 

 

              「大唐西域壁画」に最後の筆入れを行う平山郁夫画伯

 

        玄奘三蔵が唐の都長安を出発し、インドのナーランダに到着するまでの経路に従って画面を構成し
        壁画殿の東から西へほぼ対応するように配した。
        さらに壁画全体で1日の始まりから終わりまで玄奘の旅の流れと1日の時間の流れが重なる構成が
        とられている。   いずれの画面も玄奘が旅した往時の風景でなく、取材時に平山氏が対峙した
        現状の風景を描いているが、そこに風土と人間が織りなしてきた歴史の重みを籠めようとする
        平山郁夫氏ならではの歴史画の姿勢が貫かれている。


        

 

        今月後半から三蔵院壁画殿でこの壁画が鑑賞できるようです、是非次回奈良を訪ねた時は
        また薬師寺を訪れ、玄奘三蔵院で見せていただきたいと思います。
        新たな感動があることと思います、素晴らしい特別展でした。

 

 

               

                 平山郁夫画伯のご冥福を心よりお祈りいたします