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日常生活のあれこれ

特別展  「仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護」

2011-03-07 10:02:34 | Weblog

            日本画家の平山郁夫氏が永遠の眠りにつかれてから1年が過ぎた東京国立博物館で

            6日まで開催していた特別展に出かけました。

            平山氏は、自身の被爆体験から、世界の平和を希求し続けました。

            そして生涯のテーマとなったのが、仏教伝来の道であり、シルクロードです。

            平和への祈りを、インドから中国を経て日本へ伝わった仏教に見いだしました。       

            特別展の会場で平山氏筆の絵画とともに心に残った石仏、壁画等も紹介したいといます。

 

 

                   

 

 

                   

 

 

                   

                       第一部 

 

          平山郁夫氏はシルクロードや仏教伝来の道を中心に、150回以上にもわたって海外で取材を行った、

          アジアばかりでなく、欧米やアフリカにも足を伸ばし、取材先では必ずといってよいほどスケッチを描いて、

          それぞれの地域の実情を脳裏に焼き付けていった。

          こうして取材を通じて、世界文化遺産や文化財がいかに危機的な現状にあるか、痛切に認識し、

          それが文化財保護を目的とした「文化財赤十字」活動へとつながっていった。

 

 

                   第1章 インド・パキスタン   マトゥラー・ガンダーラ

          紀元前5~6世紀、シャーキャ族の王子として生まれたシッダールタがインドのボートガヤーで

          悟りを開いて仏陀(釈迦牟尼)となり、サールナートで教えを説いて仏教が始まった。

 

 

 

             天堂苑樹 (てんどうえんじゅ)  1966年    (169x364)

 

  1955年に「仏教伝来」から仏陀の生涯に取材した名作を次々に世に送り出し、仏伝シリーズの最後を飾ったのが本作です

 左側にひときは大きく描かれた金色の立ち姿の人物が釈迦(仏陀)で深遠な樹木の中、20人近い菩薩達に向けて

 説法している。  

 会場でこの絵の前に立った時、実物を前にした感動でドキドキしました、大好きな作品です。

 

 

 

                     

                    仏陀立像 クシャ朝2~3世紀 パキスタン・スワート

      木の葉文で縁取りされた頭光の内側に、カローシュティー文字・ブラークリット語銘を刻んだ珍しい作品です

 

 

                    

                    仏陀座像  クシャ朝 2~3世紀  パキスタンガンダーラ

                    仏陀の顔には端正にして静寂な表情が漂うガンダーラ仏像

 

 

                    

                   仏陀座像    7~8世紀 パキスタン・ガンダーラ・スワート

                   こちらも仏陀、作られた年号は違うが興味深い

                   台座左右には獅子が配され、その間にヤクシャ(夜叉)が座って

                   仏陀を支える

 

 

                   

               菩薩ハンカシイ座像  クシャ王朝 2~3世紀 パキスタン・ガンダーラ

               古代インド鰐形海獣マカラで装飾された豪華なターバン冠飾を戴く菩薩座像

 

 

           

                 仏伝図 「納棺」  クシャ朝 2~3世紀 パキスタン・ガンダーラ

          釈迦牟尼仏は80才で病没したと伝記は記す、クシナガラの沙羅双樹が描写され

          遺骸を納めた棺の周りには弟子が様々な仕種で、仏陀の死を悲しんでいる有様が

          リアルの描写されている。

 

 

                     第2章  アフガニスタン   バーミヤン

 

           東西と南北を繋ぐ道が交わる、文明の十字路に位置するアフガニスタンは仏教が北上し

           イスラーム経が南下していった、歴史に彩られた多様な文化世界が混在する重要な土地である。

           バーミヤン壁画は法隆寺金堂壁画の源流のひとつと言われ、平山氏も金堂壁画の現状模写を

           完成させた後、この地を訪れている。

 

 

                    

                   バーミアン大石仏を偲ぶ   平山郁夫筆  (116.7x80.3)

           7世紀、真の仏法を求めてインドを目指した旅の途上、大仏教国バーミヤンを訪れた玄奘は

            西大仏について、「石像の高さ百4,50尺のものがある、金色に輝き、宝飾がきらきらしている」と

            「大唐西域記」に記している。

            平山氏がはじめて訪れた1968年すでに大仏の顔は大きく切り取られ、左脚に大きな傷を負っていたが、

            天頂や側壁には法隆寺金堂壁画に通じる壁画が残存していた。

 

            2001年3月、アフガニスタンを支配していたタリバーン・イスラム原理主義政権が命令を下し、

            大石仏は東西二体とも爆破された。

            平山氏をはじめ世界中の人々が保護を訴え続けていたさなかの暴挙であった。

            平山氏はすぐにかつての大仏の姿に思いを馳せながら一気にこの作品を描いたといいます。

 

 

                  

                      破壊されたバーミアン大石仏

 

                タリバン政権が倒れた翌2002年8月、平山氏は新政権が安定して間もない

                         アフガニスタンを再訪しバーミアン調査団に同行している。

 

 

           

                1936~37年に発掘された浮彫

             中央に仏陀像を置き仏弟子達が仏陀を礼拝する姿が表されている

             玄奘はこの地方にクシャ族の夏の王宮があったと書き記している。

 

 

                      第3章  中国   西域  

         西域は、古来中国人が西方にある国々を指した呼称で、新彊ウイグル自治区にあった諸国を指す。

         西域には天山北路、天山南路そして西域南道の三道があり、いずれも仏教東伝に重要な役割を演じた。

 

 

         

               楼蘭の遺跡     昼  平山郁夫筆  1990年  (169x363)

       楼蘭は敦煌と西域を結ぶ要衝にあってオアシス国家として栄えたが4~5世紀に滅び、

       歴史から姿を消した。

       1900年になってスエーデンのヘディンによって発見され、後にイギリスのスタインが

       大規模な遺構を明らかにした。

       1986年楼蘭の地をはじめて訪れた平山氏は滞在40分ほどであったが、夢中になってスケッチしたという。

       1989年には再訪を果たし、テント滞在して劣悪な環境の中、中心の仏塔を様々な方角からスケッチした。

 

       仏塔の大きさは町の在りし日の繁栄ぶりを物語っているが、今は見わたす限りの静寂と生あるものを

       寄せつけない死の世界が広がっている。

       「1500年の歳月が凍り付いてしまった感じがする。気の遠くなるような時を刻み、荒されることなく

       自然のまま廃墟となった楼蘭である。

 

 

 

                       

                舎利容器  6~7世紀新彊ウイグル自治区  木製布張り彩色

 

                円錐形の蓋と円筒形の身からなる舎利容器(骨灰入れ)である。

                蓋と身それぞれ一材から掘り出して上に麻布を張り、一種の油絵

                (蜜陀絵)によって表面に様々な図柄を表現している西域工芸を

                代表する傑作です。

 

 

                  

                 壁画 持香炉菩薩  10世紀頃新彊ウイグル自治区の石窟

                 左膝をつき、両手で香煙が立ち上がる香炉を捧げ仰ぎ見る

                 姿の菩薩が描かれている。

                 表情や衣文をはじめ、装身具から周辺の文様にいたるまで、

                 細部まで入念に描かれ、工人の優れた手腕が遺憾なく発揮された

                 秀作といえよう。

 

 

                          第4章  中国  敦煌

 

                西方世界から中国への入り口として、また西域への玄関口となった敦煌は

                紀元前90年頃に創建されて以来シルクロードの要衝として栄えた。

 

                現存するものでも492窟を有す大仏教石窟群(莫高窟)がある、

                内部は壁画に被われ、仏や供養者達の朔像・彫刻が2千体余りある。

 

                1979年に現地を訪れた平山氏はこの貴重かつ重要な石窟群が

                砂塵に埋没する危機に瀕しているのを目の当たりにし、日中政府機関に

                保護を訴え、1980年代前半に、東京藝術大学から学術調査を派遣して

                壁画を調査、壁画の保存修復に携わる人材の育成、共同研究に力を尽くし

                1988年には文化財保護振興財団を立ち上げて、支援体制を整え、

                「敦煌石窟文物保護研究陳列センター」設立に尽力した。

 

 

           

 

           

                 敦煌鳴沙 敦煌三危  平山氏筆  1985年 (各縦193x386)

 

           敦煌はかつて西域に入るシルクロードの起点に位置し、至宝からの文化や文物を

                 受け入れる玄関口として栄え、悠久の歴史をはぐくんできた

 

 

                         

                            地蔵菩薩立像幡

                            唐・8世紀  敦煌莫高窟

                 絹地に地蔵菩薩の姿を大きく描き、上下に装飾を施した幡(ばん)

                                 幡は仏教における荘厳・供養具の一種で、寺院の柱にかけたり、

                   竿に吊すなどして用いた。

 

 

                        第5章  中国  西安・洛陽・大同

 

           西安は古来政治の中心地として13の王朝が1100年にわたって都となった長安である。

           かつてはシルクロードの出発点で、唐代には世界最大の国際都市であった。

           洛陽は河南省の西部、黄河中流域にあって、しばしば王朝の首都・副都となった。

           山西省大同市にある雲崗石窟は雲崗期と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成した。

 

 

                   

                     雲崗石仏  平山郁夫筆 1980年  (132.5x99)

 

                大同市は北方遊牧民に対する軍事拠点として大きな役割を担った。

                西方15キロメートルにある中国三大石窟のひとつ雲崗石窟には約50窟、

                5万余体の仏像が刻まれた石窟寺院群で、中国仏教彫刻史に雲崗期

                (460~494年)と呼ばれる一時期を形成した。

                ユネスコ世界遺産にも登録されている。

                雲崗石窟を代表する堂々たたる大仏、第20窟の高さ14メートルにもおよぶ

                禅定印の仏陀座像です。

 

 

                   

 

                   

                       三尊仏   唐・長安   中国・西安市「宝慶寺」

 

 

                           

                                十一面観音

 

 

                     第6章  カンボジア   アンコールワット

 

              クメール建築の傑作と称えられる大伽藍と美しい彫刻のアンコールワット、

              カンボジア北部のトンレサップ湖畔に栄えたクメール王朝時代のアンコール遺跡群は、

              20世紀前半にフランスによって修復が施されたが、後半になって内戦が20年以上も続き、

              遺跡は破壊が進み、仏像は砕かれて敷石にされたものもある。

 

 

           

                アンコールワットの月   平山郁夫筆  1993年  (80.5x117)

 

      歴史を遠ざかり、台地を被う緑豊かなジャングルに久しく眠り続けていたアンコールワットの遺跡は、

      19世紀の終わりにフランス人によりその巨大な姿を現し、世界の人々の驚嘆の眼差しを集めることになった。

 

       12世紀にクメール人によって建立された寺院址で、ヒンドゥ寺院として創建され、のちに仏教寺院に

       改修されたという。

       須弥山を象徴する天に向かってそびえ立つ力強く荘厳な塔と、これを取り巻く三層の回廊からなる

       複雑精緻で、最下層の一辺が100メートルを超える巨大な建物である。

 

       1991年平山郁夫氏は戦火の終わらないカンボジアを再訪し、アンコールワットを訪ねた。

       遺跡の惨状を目の当たりにして「アンコール遺跡救済展」を開催した。

       「戒厳令下のアンコールワット遺跡を夜に訪ねると、満月が遺跡を浮かび上がらせ、

       平和な夢幻の世界に導いた」と語っている。

 

 

                    

                        仏陀立像  6世紀  カンボジア

 

                カンボジアないしクメール人の古代の歴史はまだ不明な点が多い

                この作品はアンコールボレイの寺院跡から発見されたもの

 

 

                  

                        ナーガ上の仏陀座像   12世紀

 

                   三段にとぐろを巻いた蛇神ナーガの同体を台座とし、

                   その上に禅定印を結んだ仏陀が座り、頭の周囲に

                   背後から覆いかぶさるようにナーガが鎌首をもたげている。

                   長雨の中で瞑想にふける仏陀を守るため、ナーガが

                   地中から出現して自らの体を傘として仏陀にさしかけたという

                   仏伝の一場面を造形化したものである。

 

 

                 

 

                この作品は頭上に冠帯を付け、弓状に湾曲した眉、切れ長の目、

                肉厚の唇を持つことなどで、12世紀前半頃のアンコールワット様式の

                特徴をよく示している。

                この像の元の所在地点はアンコールトム。

 

 

             特別展 仏教伝来の道の第一部、図録を元に会場で印象に残った作品を

             紹介しました。

             平山郁夫氏のこと、仏教伝来のこと、まだまだ知らないことが多くありました。

             そして感動と驚きもいっぱいでした、拙い紹介の仕方ですが、第二部に続きます。

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (雲母舟)
2011-03-09 08:12:25
しなこじさん

おはようございます。
しなこじさんも、行ってこられましたか!
素晴らしい展覧会でしたね。
私は「アンコールワットの月」にも
強く惹かれました。
TBさせてくださいね。
よろしくお願いします。
Unknown (しなこじ)
2011-03-09 20:37:14
雲母舟さん
TBありがとうございます。
行きたいと思いながら閉会の1週間ほど前に出かけました、
素晴らしい展覧会でした。
イヤホーンで解説を聞き、図録も買ってながめて、
自分で印象に残ったものを選びました、もっと多かったのですが、
まとまらなくてこの様になりました。
雲母舟さんのようにスッキリまとめられるのが理想なのですが。

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