故郷≪新潟≫の日々

満65歳で中国・黒龍江大学を定年退職した後、生まれ故郷の新潟に戻り、日々の生活を写真とともに日記風に綴っていくもの。

No.44 「写真展」のお話。  

2014年02月13日 | 日記

先日、私は久しぶりに新潟市中央区西堀にあるNEXT21ビル6階で開催中の「写真展」を見学してきた。主催者は「新潟市退職者カメラ同好会」で、今回で第3回目の「写真展」を迎えるという。2月3日から9日まで開催されていた。


作品の出展者は女性1人を含め7名の方々で、その中には私の所属している還暦野球チーム≪新潟エージレス野球クラブ≫の西山先輩も弥彦山公園の「紅葉」や「桜」など数点の素晴らしい写真を出展されておられた。この同好会は3年目を迎え、撮影会などで撮影した作品を中心に展示しているという。


「海」、「祭り」、「桜」、「山」、「萬代橋」、「富士山」、「ラクダ」、「花」、「白鳥」など写真のテーマは幅広い。私も昨年、海外旅行で訪れたカンボジアの「アンコールワット遺跡」などを懐かしく拝見させていただいた。1月18日付けの私の「ブログ」(No.18)で、いい写真を撮る秘訣は次の3点と書いたが、4番目に「いいカメラを持つこと。」も大切のようだ。


 (1) 撮影場所まで時間をかけて足を運ぶ。

 (2) 根気よくシャッターチャンスを待つ。

 (3) 天候などの≪運≫を味方に付ける。


「新潟市退職者カメラ同好会写真展」



 


No.43 「野球部総会」のお話。  

2014年02月12日 | 日記

先日、新潟市中央区幸西にある新潟会館で、私が所属している「新潟エージレス野球クラブ」の総会が開催された。このクラブは60歳以上の選手21名による≪還暦野球≫の部と70歳以上の選手29名の≪古希野球≫の二つの部で構成されている。部員数は総勢で50名の大所帯である。


年齢とともに≪還暦野球≫から≪古希野球≫に移動する部員が増えており、≪還暦野球≫の部に新人選手を発掘することが大きな課題となっている。総会は野球部会則に従い(1)事業報告、決算報告(2)26年度計画、予算案(3)優秀選手の表彰、退部者・新入部員報告と続いた。


長年、活躍された選手が体調不良や家庭の事情で退部されたり、中には逝去された方もおられた。また、70歳になる新入部員2人の紹介もあった。総会終了後の「懇親会」では美味しい料理とお酒で会場は盛り上がった。やはり野球の話が中心であるが、医者や薬、膝に水が溜まるなどの健康問題、家族のこと、孫のこと、仕事のことなど話題は多岐にわたった。


総会の席上≪好球必打、右方向の進塁打、スキのない走塁≫を目指せ!!!  と挨拶された監督さんの言葉を胸に、私は春から始まる試合に臨みたい。


新潟会館で「新潟エージレス野球クラブ」の総会が開催された。

「野球部総会」         花輪会長の挨拶。

昨年度活躍した選手に「優秀選手賞」、「技能賞」、「功労賞」が授与された。 

「優秀選手賞」を受賞された宮島選手と記念の「盾」。

「野球部総会」     懇親会でも花輪会長の挨拶から開始された。

「野球部総会」       全員で元気よくワインで乾杯。

「野球部総会」      懇親会」では美味しい料理とお酒で会場は盛り上がった。

「野球部総会」

「野球部総会」


「野球部総会」

「野球部総会」      最後は「一本締め」をしてお開きとなった。


No.42 「新潟市も雪」のお話。  

2014年02月11日 | 日記

尾上さんからの「メール」によれば、讃岐地方は初雪で約10cm程の積雪を記録したとのことであるが、新潟市も同じ日に今年一番の積雪を記録した。我が家の前の細い小路には雪が積もり、スコップで除雪をしなければならない。この日は汗が出るほどの除雪作業をすることになった。一方、小さな子供たちは「雪だるま」を作って喜んでいた。


また、近くの駐車場に停めてあった自転車があっという間に雪で自転車の形が見えなくなってしまった。我が家から徒歩で約15分ほどにある新潟市の「白山公園」の池や樹木も雪をかぶり、綺麗な雪景色が見られるということで私は公園を訪れた。そこには想像した以上に雪の「白」と樹木の「黒」がまるで≪墨絵≫のような雪景色を展開していた。


この「白山公園」は春になると桜の名所として、多くの人びとが訪れる場所となっているが、この日は約25cmほど降った新雪のためか、雪景色を撮影に来たカメラマンや散歩を楽しむ人を除けば、訪れる人は少なかった。また、公園内にある「新潟市音楽文化会館」周辺の歩道には「融雪施設」が設置されており、雪もなく快適に歩くことができた。私はこれには驚いた。


同じく公園内にある「白山神社」の本殿前では多くの参拝者が訪れるため、屋根からスベリ落ちる雪に気を付けるようにと「落雪注意」の看板が何枚も設置されていた。


雪で自転車の形が見えなくなってしまった。(下の写真と見比べてください。)

「新潟市も雪」      駐車場の車も雪をかぶり、簡単に運転できない状態。

「新潟市も雪」      白山公園の入口。

想像した以上に雪の「白」と樹木の「黒」が墨絵のような雪景色を展開していた。

「新潟市も雪」    曲橋の上から見た雪景色。

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」    新潟最古の石灯籠の説明看板。

「新潟市も雪」     新潟最古の石灯籠。

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」   中国・黒龍江省ハルビン市の「太陽島公園」にもある曲橋。

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」   白山神社への参道。

「新潟市も雪」     狛犬も雪をかぶって目が見えない状態。

屋根からスベリ落ちる雪のため、「落雪注意」の看板が何枚も設置されていた。

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」      白山公園内の「蓮池」に架かる橋。

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

歩道には「融雪施設」が設置されており、雪もなく快適に歩くことができる。これには驚いた。

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」

「新潟市も雪」      正面に県政記念館の建物が見える。

「新潟市も雪」     融雪施設のない歩道。

「新潟市も雪」

歩道には「融雪施設」が設置されており、雪もなく快適に歩くことができる。これには驚いた。

「新潟市も雪」

久しぶりの雪で子供たちは大喜び。


 


No.41 「讃岐地方でも雪」のお話。  

2014年02月10日 | 日記

≪讃岐地方≫とは四国の「香川県」を指し、懐かしい私の友人が住んでおられる場所である。私が黒龍江大学に勤務していた時、当大学の留学生として熱心に勉強されておられた方が、尾上さんご夫妻である。また私の「ブログ」の愛読者であり、嬉しいことにタイムリーに「コメント」を送ってくださる方でもある。その尾上さんの故郷が≪讃岐地方≫で、先日久し振りに私宛に「メール」と「写真」が送られてきた。


≪讃岐地方≫では今年初めての雪が降り、珍しく約10cmの積雪を記録したという。中国・黒龍江省で毎年記録している氷点下30度に比べれば気温は高いものの、送られてきた「写真」を見る限り本当に寒そうである。ここ数日、新潟市内も≪讃岐地方≫と同様、今年一番の積雪を記録し、私はスコップを持ち出し除雪作業に精を出すことになった。


尾上さんは黒龍江大学での留学生活を終了後、香川県高松市と姉妹都市関係にある中国・江西省南昌市にある大学で日本語教師として大活躍された方でもある。現在でも中国・山東省青島市から高松市に来られる研修生8名に日本語の指導をすることになり、毎日、張り切ってその準備にとりかかっておられるそうである。


民間大使として尾上さんご夫妻のご尽力で日本語指導の成果があがり、日中友好交流の輪が更に広がっていくことをお祈りしたい


 「讃岐地方でも雪」                        (写真提供 :  香川県高松市在住の尾上さん)

 「讃岐地方でも雪」         「山茶花(さざんか)」の上に積もった雪。

 玄関に写っておられるのは尾上さんの奥様とのこと。残念ながら雪で顔がよく見えない。

 「讃岐地方でも雪」


No.40 「送別会」のお話。  

2014年02月09日 | 日記

先日、私の所属している「英会話教室」(サークル名⇒「スティーブ先生と話そう!」)に長年にわたり在籍していた女性会員が中国へ行かれるため、2月で退会することになった。「英会話教室」の講師であるイギリス人のスティーブ先生と会員8人が集まり、新潟市のシンボル「萬代橋」の西詰にあるホテルオークラの斜め向かいのレストラン「Cafe EigetuDou」で彼女の「送別会」が盛大に開催された。


この日はレストランの支配人のご配慮で、なんと入口には私たちのために「貸切り」の看板が掛けられていた。当サークルの代表による挨拶の後、ワインによる「乾杯」があり、すぐ「懇親会」に入った。白ワインと赤ワインは本場のポルトガル産であった。お酒の飲めない会員一人を除き、酒豪が揃っている当サークルである。


≪忘年会≫や≪お花見≫などでは先ず冷たい「ビール」で乾杯し、次に「ワイン」や「日本酒」などの順番で飲んでいくが、この日注文したのはアルコール分13%の「ワイン」だけであった。英語での会話が続いている途中、ギターを抱えた美しい女性が登場した。中国語も話されるヴォーカル・ギターリストの≪さとう みえ≫さんであった。


席上、ボサノバとサンバの曲を心を込めて歌っていただいた。これも「送別会」の趣旨をご理解していただいたレストラン支配人の心温まるご配慮であった。お陰様で私たちは楽しい心に残る時間を過ごすことができた。この日の主賓の中国でのご活躍をお祈りしたい。


「送別会」           レストラン「Cafe EigetuDou」で女性会員の「送別会」が盛大に開催された。

「送別会」       サークルの代表による挨拶の後、ワインによる「乾杯」で始まった。

「送別会」

この日注文したのはアルコール分13%の「ワイン」だけであった。

「送別会」

「送別会」      素晴らしい料理がテーブルに運ばれた。

「送別会」       英語での会話が続いている途中、ギターを抱えた美しい女性が登場した。

「送別会」

「送別会」       席上、ボサノバとサンバの曲を心を込めて歌っていただいた。

「送別会」        おいしい料理の数々。


「送別会」      最後は「コーヒー」まで出された。


No.39 「天寿園」のお話。  

2014年02月08日 | 日記

「新潟市水族館」を見学した後、私たちは「天寿園」へと向かった。新潟市に住んでいて中国を感じさせる場所のひとつに本格的な中国庭園を鑑賞できるこの「天寿園」がある。最初に入口付近に車を止めて≪遊楽橋≫を眺めてみた。この≪遊楽橋≫のたもとには中国・黒龍江省ハルビン市の≪市の花≫である「ライラック(中国名⇒丁香)」が植えられていた。


この≪花≫も≪遊楽橋≫の材料も新潟市とハルビン市との友好都市提携20周年を記念して、ハルビン市から寄贈されたもの。また「天寿園」の入口前の道路は「ライラック通り」と名付けられているという。次に「天寿園」に入ると≪人は生まれながらにして自然から与えられた寿命があり、これを天寿といいます。「天寿園」はこの世にある人々に生きる喜びを与えてくれるところ≫という意味とのこと。


当時の中国国家副主席の王震先生が命名された、という説明看板が立てられていた。「天寿園」は中国人による設計・施工で資材も全て中国から運び込んだ本格的な中国庭園で、極彩色の建物や芸術的な岩、滝などを楽しむことができる。園内にある「瞑想館」では新潟県亀田郷土地改良区と中国・黒龍江省との農業技術交流の歴史を中心とした「日中交流のあゆみ」展が開催されていた。


「天寿園」は昔は入場料が大人1人「800円」であったが、嬉しいことに現在は「無料」となっている。手入れの行き届いた庭であるが、来場者もほとんどなく、新潟市内の穴場的観光地でもある。教え子の朱さんも故郷の中国を思い出してくれたようだ。


「天寿園」

「天寿園」の入口。     遊楽橋から天寿園の入口が見える。

「天寿園」         当時の中国国家副主席の王震先生が「天寿園と」命名された。

「天寿園」

「天寿園」     大島先生と教え子の朱さん。

「天寿園」    教え子の朱さん。

「天寿園」       美しい日本庭園。

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

中国庭園「天寿園」の入口。

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」     福が来るようにと逆さまになっている石。

「天寿園」     こちらの福と刻まれた石は逆さまになっていない。

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」

「天寿園」をバックに記念写真に収まる大島先生(左)と朱さん(右)。

「天寿園」


No.38 「新潟市水族館」のお話。  

2014年02月07日 | 日記

新潟市水族館の「マリンピア日本海」で人気があるのは≪イルカショー≫だけではない。潮風の風景、日本海大水槽、暖流の旅、信濃川、体験・学習、ペンギン海岸などいくつかのゾーンもそれぞれ魅力がある。中国・黒龍江大学で私の教え子である朱さんも初めて見る珍しい≪魚≫や美しい≪クラゲ≫の姿などに感動し、盛んにカメラのシャッターを押していた。


私も久しぶりに「新潟市水族館」を訪れた。大改修されたと聞いていたが、思ったよりも昔のままのコースが残っていた。これまで中国・黒龍江省ハルビン市内を流れる大河「松花江」に生息していた魚が展示されており、中国から来られたお客さんに大変喜ばれていた。係員の方にその魚の展示場所を聞いてみたが「現在は展示されていない」という返事であった。


理由は不明であるが残念なことであった。私は青白くなって泳いでいる≪クラゲ≫の幻想的な姿に感動した。また、ペンギンの歩く可愛い姿を見て、朱さんはここでも楽しそうに何枚か記念写真を撮っていた。


「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」    新潟の寿司屋で出される「南蛮エビ」のホッコクアカエビ。

「新潟市水族館」        日本海大水槽のトンネル部分。

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」      朱さん(右)と大島先生(左)。

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」      私は青白くなって泳いでいる≪クラゲ≫の幻想的な姿に感動した。

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

ペンギンの歩く可愛い姿を見て、朱さんはここでも楽しそうに何枚かの写真を撮っていた。

「新潟市水族館」

「新潟市水族館」

 

 


No.37 「教え子との再会」のお話。  

2014年02月06日 | 日記

これまで私が勤務していた中国・黒龍江大学から新潟大学、秋田大学、新潟産業大学などへ留学生として毎年、10人前後の学生が来日している。一方、黒龍江大学卒業後、日本の企業に就職した学生もいる。先日、私は新潟県柏崎市で自動車部品・生産設備部品を製造している「株式会社テック長澤」という会社に就職した教え子と再会することができた。


彼女の名前は朱永嬌さん。大学生の頃から明るい笑顔の目立つ学生であった。現在、一時帰国で新潟市におられる黒龍江大学日本語教師の大島先生から「朱さんが休日、新潟市に来るのでお会いしませんか?」との電話を頂戴した。当日、私たちは新潟駅前の高速バスの終点で彼女を待つことにした。定刻より5分ほど遅れたバスから元気で明るい笑顔の彼女が降りてきた。


中国・黒龍江大学の教え子と私の≪故郷≫である新潟市内で会えるなんて、世界は狭いものである。彼女は新潟市水族館の「マリンピア日本海」が見たいということで、最初にそこを訪れた。水族館へ行く途中、大島先生が運転する車の中で彼女は上達した流暢な日本語で久しぶりに私たちとの会話を楽しんだ。


以前から私は中国からの友人が訪ねてくるとこの「マリンピア日本海」へよく案内し、一番人気のある「イルカショー」を多くの中国人から楽しんでもらったものである。教え子の朱さんも約20分間にわたり、水面を高くジャンプする「イルカ」の豪快な動きを楽しんでくれたようだ。

 

《与我的学生再会》

 

从{我曾经工作过的}中国龙江大学,每年都会有大约10个人作为留学生来到新潟大学、秋田大学以及新潟产业大学留学。并且,也有龙江大学毕业之后,在日本的公司就业的。前几天,我就在新潟县柏崎市的长泽技术株式会社见到了我的一个学生。�好的名字叫朱永娇。�好的工作是制造汽车的零部件和生产设备的部件。 

 

在大学的时候,�好非常开朗、出�異。我给{暂时回国的}大岛老师打电话:“朱同学在休息日要来新潟市内,我们一块儿见面�頑。”当天,我就等�好。公共汽车晚到了五分钟。我看到{非常有精神、满脸笑容的}�好下了车。 

 

我能,见到{来自中国龙江大学的}自己的学生,我感到世界真的很小。因为�好非常想看新潟市水族馆“Marinpia日本海”,于是,我们就先去了那里。我们坐{大岛老师开的}车去水族馆。路上,我听到了{很久没听到的}�好熟练的日语。我们愉快地聊天了。 

 

以前,我也经常带中国的友人来到“Marinpia日本海”水族馆。在这里,让很多中国人观看了非常有人气的海豚表演。我的学生小朱也在二十分钟内,看到{跳的很高的}海豚,非常开心。(完)


「教え子との再会」       新潟市水族館の「マリンピア日本海」の入口。

「教え子との再会」   入口に置かれた英語、韓国語、ロシア語、中国語のパンフレット。

「イルカショー」で観客席まで水槽の水が飛んでくることもある。

「教え子との再会」     朱さん(右)と記念写真。

「教え子との再会」     イルカの説明からショーが始まった。

「教え子との再会」     赤い輪を首にかけ器用に回すイルカ(左)。

「教え子との再会」

「教え子との再会」     いよいよ空中高く飛び上がるイルカショーが始まった。

「教え子との再会」        観客の子供と握手するイルカ。

「教え子との再会」        イルカと握手した観客に記念品が渡された。


「教え子との再会」      豪快に飛び上がるイルカ。




No.36 「節分」のお話。  

2014年02月05日 | 日記

辞書によると『≪節分≫とは立春の前日。2月3日頃。この夜、鬼打ちの豆をまいたり、柊の枝に鰯の頭を刺したものを戸口に挟んだりして、邪気を払う習慣がある。』と説明されている。私の家の近くの≪白龍大権現神社≫で毎年恒例の「節分」の豆まきが行われた。人気の「赤鬼」に扮装した女性と一緒にカメラに収まる人も現れた。


今年の干支である「午年(うまどし)」の小学5年生10人ほどが豆をまく人に選ばれ、神社の前に集まった。そして新潟県議会議員の小島先生の挨拶の後、午後5時に太鼓の「ドーン・ドン・ドン」という豆まき開始の合図で「鬼は外!!」「福は内!!」という元気のいい掛け声とともに一斉に「豆」がまかれた。


「豆」をまく台の前には「ビニール袋」を持参した子供たちからお年寄りまで、約150人ほどの近所の住民らが集まっていた。「豆」だけでなく、「キャラメル」、「チョコレート」、「飴玉」、「米菓」、「ミカン」なども次から次へとまかれ、会場は大きな歓声に包まれた。邪気が払われ、≪福≫が来てくれるといいのだが・・・。


「節分」

「節分」

「節分」        人気の「赤鬼」に扮装した女性も登場した。

「節分」

「節分」

「節分」    人気の赤鬼と記念写真。

「節分」       新潟県議会議員の小島先生の挨拶。 


午後5時に太鼓が打ち鳴らされ、豆まきが開始された。 


「節分」

「節分」      赤鬼も豆をまき始めた。

「節分」         豆をまく新潟県議会議員の小島先生。

「節分」

「節分」

「節分」

「節分」

「節分」


No.35 「冬季練習」のお話。  

2014年02月04日 | 日記

2月から私の所属している60歳以上の選手で構成される還暦野球チーム「新潟エージレス野球クラブ」の冬季練習が新潟西総合スポーセンターで始まった。今シーズン最初の練習である。最初に花輪会長から「先ずケガをしないように。そして今年も素晴らしい成績を収められるよう頑張りましょう!!」との挨拶があり、70歳の2人の新入部員が紹介された。


そのうちの1人は私が高校時代に所属していた軟式野球部の先輩であり、70歳以上で構成される「古希野球チーム」では一番若い選手となった。練習の最初は入念な「ストレッチ体操」から始まった。その後、軽いランニング、ダッシュ、キャッチボール、守備練習と続いた。最後にバドミントンの「羽根」を使ったバッティング練習をして2時間の練習を終了した。


自主トレをやってきた選手の中には、軽快な動きをする姿も見られた。私はランニングをしながら、当クラブの最年長で80歳になられた小川選手に体調をお聞きした。「今年は身体でどこも悪いところはない!!」という。正に鉄人である。私もケガ防止に留意しながら、無理をせず、これからの冬季練習に励んでいきたい。

 

「新潟エージレス野球クラブ」の冬季練習が新潟西総合スポーセンターで始まった。

花輪会長が「ケガをしないように。今年も素晴らしい成績が収められるよう頑張りましょう。」と挨拶。

「冬季練習」

「冬季練習」         70歳の2人の新入部員が紹介された。

「冬季練習」

「冬季練習」       練習の最初は入念なストレッチ体操から始まった。

「冬季練習」       軽いランニング、ダッシュ、キャッチボール、守備練習と続いた。

「冬季練習」

「冬季練習」

「冬季練習」

「冬季練習」     最後にバドミントンの「羽根」を使ったバッティング練習をして2時間の練習を終了した。

「冬季練習」       内野ノックと守備の練習。

「冬季練習」        練習の最後はストレッチ。

「冬季練習」




No.34 「春節を祝う会」のお話。  

2014年02月03日 | 日記

先日、中国の春節(旧正月)を「祝う会」が新潟市中央区礎町の「クロスパル新潟」で盛大に開催された。この会は≪新潟・ハルビン友好市民の会≫が主催し、私は事務局の高橋さんから丁寧なご案内を頂戴し、初めて参加させていただいた。中国に関心のある方々や新潟県に住んでおられる中国人ご家族など多くの人が参加された。


昨年の参加者は約80人。嬉しいことに今年は約100人となり、この「祝う会」も年々盛んになっていくようだ。参加者が会場の隣りの調理室で料理した美味しい本場の「餃子」、「肉料理」、そして「ちらし寿司」が会場に持ち込まれた。また、ハルビン市出身で新潟市内で中華料理店を経営されている「張園」の社長さんからも多くの中華料理が大皿で持ち込まれた。


ご来賓の中華人民共和国駐新潟総領事館のご挨拶や乾杯のご発声の後、昨年の秋にハルビン市の小学校を訪問した小学生の「感想発表」や「太極拳」が披露された。引き続き「カラオケ大会」や「踊り」、「紙芝居」などを参加者全員で楽しんだ。会場ではNHKテレビや新潟日報の取材もあり、「インタビューされた私の顔をテレビでみました」という多くの友人から電話やメールを頂戴した。


私は『こういう現在の日中関係だからこそ、私たち一人ひとりが「民間大使」になり、地道に日中友好交流の輪を広げていくことが大切ではないでしょうか。』とNHKのインタビューに答えさせていただいた。


「春節を祝う会」        日本語で司会をすると、すぐ中国語で通訳された。

参加者が会場の隣りの調理室で料理していた美味しい本場の「餃子」や「ちらし寿司」。

「春節を祝う会」      美味しい肉料理を作っているところ。

「春節を祝う会」            本場の「餃子」を作っているところ。

「春節を祝う会」

「春節を祝う会」       調理前の餃子。

「春節を祝う会」       調理前の餃子。

「春節を祝う会」

新潟市内で中華料理店を経営されている「張園」の社長さんからも多くの中華料理が大皿で持ち込まれた。


「春節を祝う会」     テーブルの上は中華料理で埋め尽くされた。

中華人民共和国駐新潟総領事館の代表ご挨拶。

昨年の秋にハルビン市の小学校を訪問した小学生の「感想発表」。

昨年の秋にハルビン市の小学校を訪問した小学生の「太極拳」の披露。

中華人民共和国駐新潟総領事館の乾杯のご発声。    NHKテレビや新潟日報の取材班も。

「春節を祝う会」     日中友好交流が始まった。

「春節を祝う会」    本場の「餃子」もあっという間になくなってしまった。

「春節を祝う会」         カラオケ大会が開始された。

「春節を祝う会」

「春節を祝う会」       友好交流の輪があちらこちらに出来た。

「春節を祝う会」

アルコール度52%の中国「白酒」も登場した。

「春節を祝う会」     コーラスグループによる歌が披露された。

「春節を祝う会」

「春節を祝う会」        子供さんやお孫さんを連れた参加者も多かった。

「春節を祝う会」     楽しい「紙芝居」も披露された。

「春節を祝う会」


No.33 「墓参」のお話。  

2014年02月02日 | 日記

先日、私は新潟市中央区西堀にある「正福寺」へ久しぶりに「墓参」に行ってきた。ここにある墓に30数年前から私の古い友人が眠っている。樹木がきれいに剪定された「正福寺」の参道を通り過ぎると、左側に立派な「鐘楼」が見える。そして右側に目をやると大小の庭木には大雪から樹木を守るため、縄や竹で芸術的な「雪囲い」や「雪吊り」が施されている。


これまで私は毎年1月下旬になると5~6人の友人と一緒に「墓参」のため、この「正福寺」を訪れていた。友人の眠る墓前に花、ロウソク、線香を持参し、古い友人が好きだった新潟の「地酒」と「ビール」をお墓に供え、お参りをしてきた。30数年の間、大雪の日や猛吹雪の日もあった。ある年は強風のため、「ロウソク」に火がつかず苦労したことを覚えている。


私が中国・黒龍江省ハルビン市で生活している期間は、残念ながら訪れることができなかったが、先日、久しぶりにお墓参りをさせていただいた。この日は天気に恵まれ、雪もなく薄日の差す穏やかな日であった。驚いたことに、今年も綺麗な「お花」と「ロウソク」が手向けられていた。心ある人たちが私たちと同じように友人を偲び、毎年「墓参」に訪れているのだ。


私は「地酒」と「ビール」の栓を抜き、一人静かに墓に向かい手を合わせ、ご冥福をお祈りしてきた。


私は新潟市中央区西堀にある「正福寺」に久しぶりに「墓参」に行ってきた。



「墓参」

「墓参」

「墓参」       「正福寺」への参道を通り過ぎると左側に立派な「鐘楼」が見える。

「墓参」

「墓参」

「墓参」      立派な「鐘楼」が見える。

多くの庭木には大雪から樹木を守るため、縄や竹で芸術的な「雪囲い」や「雪吊り」が施されている。

「墓参」

「墓参」

「墓参」

「墓参」          驚いたことに、今年も綺麗な「お花」と「ロウソク」が手向けられていた。

「墓参」

「墓参」        都会の中心部にあるため、マンションに囲まれた「正福寺」の墓地。



No.32 「退会」のお話。  

2014年02月01日 | 日記

「退会」とは私が毎週火曜日の夜、通っている「英会話教室」での出来事である。有志による自主的なサークルのため、見学者も含め毎年いろいろな方々が私たちの「英会話教室」に顔を見せてくれる。英会話を勉強したいということで来られるのであるが、イギリス人講師による授業の内容、メンバーの構成、会話レベル、会費など様々な要因で次の週に教室に来ない方も多い。


毎年、入会者、退会者が出てくるサークルでもある。そんな中、長年メンバーでおられた女性会員が今月末で「退会」することになった。彼女にお聞きすると、来月から中南米の「パナマ」、「コスタリカ」への旅に出発し、その後「東京」に転居されるという。そして今年の8月頃には「中国」へ行かれるとのこと。壮大な計画である。


この日、彼女は私たちのために心のこもった「手づくり」の≪パイ≫を持ってきてくれた。教室で私はまだ温かい≪パイ≫を美味しく頂戴した。私も中国・黒龍江大学に赴任している間はこの「英会話教室」を一時「退会」したことを思い出した。現在、新潟大学で外国人留学生に教え、何事にも積極的に対応し、バイタリティ溢れる彼女の世界を股にかけた今後の活躍をお祈りしたい。


 

《退会》

 

所谓的“退会”,是指在每周二晚上我参加的英语会话教室发生的事情。这个班是同学们根据自己的需要成立的。每年包括参观者在内,各种人来听课。虽然希望提高英语会话能力而来的人有很多,但是,又因为英国老师教授的课程、同学们的会话水平等情况、学费等种种缘故,下一次课不来的人很多。

 

 

在英语班,每年都有入会者和退会者。其中,一位{已经入会很长时间的}女同学,这个月末就要退会了。我问她退会的理由,她告诉我,从下个月开始她要去中南美的巴拿马、哥斯达黎加旅游,然后再搬家到东京,今年八月去中国。她的计划实在了不起。

 

 

这天,她带来了{亲手做的}派。在课堂上,我们吃到了好吃的派。我想起来,当年去龙江大学赴任时,自己退会的情形。她现在在新潟大学教外国留学生,什么事情都很积极,精力充沛地去各国旅行。我祝愿她:今后活跃在中国。


「退会」とは私が毎週火曜日の夜、通っている「英会話教室」での出来事である。

「退会」       ユーモアのあるイギリス人講師のスティーブ先生。

「退会」         長年メンバーでおられた女性会員が今月末で「退会」することになった。

「退会」

「退会」        彼女は私たちのために「手づくり」の≪パイ≫を持ってきてくれた。

「退会」

「退会」

「退会」         私は作りたてのまだ温かい≪パイ≫を美味しく頂戴した。