「一歩竜王」番外編 藤井システムに影響をあたえた棋士たちと、ある女性のフリフリ

2019年02月20日 | 将棋・シリーズもの 中編 長編

 「おいおい、藤井猛九段と女のフリフリの話って、なんやねん」


 先日、近所の立ち飲み屋で、そんなことを言ったのは将棋ファンの友人エビエ君である。

 あー、あれね。あったなあ。

 前回まで私は竜王時代の藤井猛九段と、それにまつわる「一歩竜王」というキーワードについて書いた(→こちら)。

 そこで、世にいう「藤井システム」というのは、奥に深遠な研究があり、その歴史がすこぶるおもしろいのだが、そこに



 「あの女性のフリフリ」



 が関わってくるとは知らなんだ。

 といったことを書いて、あとはそのまま忘れていしまったのである。

 というか、今さら取り上げるのがめんどいので、忘れたままでいたかったものだが(将棋ネタは楽しいけど、調べものなどが、ちょっと手間なのです)、つっこまれたらしょうがないといううことで、ここに説明してみたい。

 「藤井システム」というのは、

 「居飛車穴熊に組まれる前に、攻めつぶす戦法」

 というのが、一般的なイメージである。

 かくいう私自身、特に疑問もなくそう思っていたのだが、藤井猛九段のインタビューや各種将棋の本を読んで、実はもっと奥の深い思想があったことを知ったのである。

 くわしいことは各種「藤井システム」の専門書などを参照してほしいが、ここで簡単に流れだけでも、説明してみたい。

 まず「藤井システム」のスタートは、穴熊ではなく「左美濃」攻略からはじまった。

 システム前夜の将棋界では、腰の重い棋風の森下卓九段高橋道雄九段南芳一九段といったところが、左美濃で勝ちまくって、振り飛車党は激減していたのだ。

 そこでまず、藤井猛は、ここをつぶすことにする。

 得意の「タテの突破力」を生かして、▲87玉型天守閣美濃を、玉頭攻めで攻略することに成功したのだ。 

 



 1994年棋聖戦 藤井猛vs室岡克彦 これが「藤井システム」の基本図

 

 左美濃を玉頭から攻めるのは、奨励会時代の杉本昌隆八段が指していたそうだが、そこから藤井猛は独自に研究を進めていく。

 そして、△83金という新手を編み出し、ここに対左美濃の、必勝定跡を生み出す。

 

 

 

 これがなんと74手目で、勝又清和七段の連載記事をはじめ、当時この図はあらゆるところで取り上げられたもの。

 ここまで事前に研究し、あらゆる膨大変化をつぶして登板させたとあっては、プロでも恐れをなすというものだ。

 

 

 
 上の図の、さらに3か月後の将棋で、またも室岡を圧倒。これで左美濃は完全に崩壊


 その破壊力に恐れをなした居飛車党の面々は、あわてて穴熊に避難するが、それは我々もおなじみの「居玉で攻めつぶす」形で破壊する。

 囲う形を徐々に減らされ、やむをえず竜王戦羽生のように急戦を選択すると、それこそが藤井猛のねらいだった。

 藤井猛九段といえば、振り飛車の達人であった、大山康晴十五世名人に傾倒していることで有名。

 そこで、その将棋を徹底的に研究し、あいまいで大山のアドリブに近かった急戦対策(大山は研究されることを嫌ってわざとそうしていた)を完璧に体系化して、定跡を整理し、それを自らの血肉としていた。
 
 このあたりは藤井九段と鈴木宏彦さんの共著『現代に生きる大山振り飛車』という本(超名著です!)にくわしいが、そういうこと。
 
 藤井システムにおいて、穴熊に囲う前に攻めるというのは、あくまでオプションのひとつ。

 その真の狙いは、相手の選択肢をひとつずつせばめていき、その網をしぼった先にある、居飛車急戦の土俵に誘いこむことにあったのだ。
 
 そうすれば「大山康晴とのタッグ」で、いくらでも白星を稼げる。

 本や、将棋雑誌のバックナンバーをひっくり返しながら、そういった「藤井システム・サーガ」をひとつひとつ読み解いていくと、
 
 
 「やっぱ藤井猛は天才や!」
 
 
 さらなる感嘆の声を呼ぶのだが、そんな藤井が受けた様々な影響も、また興味深い。

 いくら藤井猛が、すぐれたクリエイターとはいえ、そこに「触媒」がなければ錬金術も生まれない。

 左美濃攻略の先駆者である杉本八段は、序盤で▲15歩と端を突き越す形も昔から指していた。
 
 
 
 
 
 また、穴熊への攻撃には小林健二九段の「スーパー四間飛車」もかかわってくる。



 
居飛車穴熊退治の猛威を振るった「スーパー四間飛車」。
▲65同歩、△同銀、▲66歩に△76銀と飛びこむのが必殺の一撃。
▲同金に△67歩と打つのが激痛で、▲59銀(▲同銀は△57桂成)に△57角成で後手必勝。
このタテの攻めが、小林のA級復帰の原動力になった。




 対穴熊で桂馬をいきなり跳ねる攻撃は、あの井上戦の2か月前に行われた、竜王戦がつながっている。
 
 羽生善治九段が、佐藤康光九段に見せた、△93桂からの展開(今でいう「トマホーク」のような形)からひらめいたという(くわしい内容は→こちら)。



 
 「藤井システム」に羽生善治の影響があることは、藤井本人も語るところ。
 
 
 
 また、対左美濃の新手「△83金」も、1993年の日本シリーズ。
 
 羽生善治五冠と、郷田真隆五段との一戦から、発展させたものだ。
 
 
 
 
 「七冠王」へ向かって走り出そうかというころの羽生将棋。結果は郷田勝ちだが、この自陣飛車が話題になった。


 もちろんこれらは単にマネしただけでなく、それこそ「居玉で攻める」など、画期的アイデアを加えて、自分のものにしている。

 そんな中、左美濃対策で藤井が、ある将棋について言及していた。
 
 これがめずらしく女流棋士の将棋であり、おもしろいなと思って、そのアイデアを参考にしたというのだ。

 まずは対局者の名前を伏せて見てもらおう。
 
 

 

 
 
 天守閣美濃に、一回振った飛車を戻してロックオン。
 
 これだけなら「先手 藤井猛」と言われても、信じてしまいそうだが……。



 (続く→こちら



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 藤井システムと「一歩竜王」... | トップ | 「一歩竜王」番外編 藤井シ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。