@幕末の女性、それは才覚逞しく、夫に上司に尽くす生き方が多い。近衛家を支え皇室と幕府とのバランスを考え活動した「女怪」とも言える老女村岡、また篤姫を支えた幾嶋、岩倉具視を支えた松尾多勢子など多彩な才能を男勝りに発揮、生き抜いてきた女性たちだ。現代のキャリアウーマンとは違った才能と力量を信念「志」持って男たちの世界を支えた女性がいた事である。
『成し遂げんとした志をただ一回の敗北によって捨ててはいけない』 シェイクスピア -
『女たちの幕末京都』辻ミチ子
「概要」開国か攘夷かをめぐり、幕末の政治の中心は江戸から朝廷のひざもと、京都へ移った。歴史は男たちの活躍する格好の大舞台を提供し、のちに歴史の片隅で取り上げられてきた女性たちの歴史書
・安政の大獄で逮捕された老女村岡
近衛家は五摂家の筆頭、忠煕は孝明天皇を支えた大臣
村岡は金融(金子の貸付)も行なって近衛家を支え、社交的で江戸へも2ヶ月の旅
近衛家と将軍との外交的存在で終盤西郷隆盛、月照などの密議もあった
安政の大獄の犠牲者として江戸の牢獄に一度繋がれた経験者
「勤王烈女」近衛家奥むき取り締まり、あるじ近衛家忠煕を補佐し扶翼に生涯を送った
常に人材育成を考え、命を奪わず、政局が慌ただしくなった時の人物を監視した
・「尊王老婆」の誉高い松尾多勢子
岩倉具視の密偵として志士たちの国事に携わ李、岩倉暗殺を阻止した
平田國學に魅せられ世話付きで誰からでも依頼されれば一肌でも二肌でも脱ぐ豪胆な女性
公卿や有志との連絡役、宮中の内情の密偵として尊王攘夷を信念に動いた女性
・13代将軍徳川家定夫人(篤姫)にに仕えた老女幾嶋、薩摩藩の老女小野島
島津篤姫は慶喜、島津斉彬が将軍問題を有利にするための工作(政略結婚)
篤姫付きの老女は近衛家忠煕の老女藤田が幾嶋と改め支えることになる
姫(大名等)、君(朝廷関係者)、御台所(将軍家)へと名が変わる
室町時代の「君」は売春婦の呼び名であった
幾嶋は中年寄として江戸に入り婚礼の一切を仕切る(御年寄と気苦労が多発)
村岡の小野島は幾嶋との書状で大奥、御年寄歌橋の情報を知らせる役割だった
幾嶋は薩摩藩からの金貨や銀貨で賄賂まがいで情報を得る「局」役であった
・梁川紅蘭は梁川星巌の才女
美濃国の豪農で育ち漢詩、儒学の道を研究「周易」、星巌の妻
「星巌遺稿」を上梓、多才多芸、和順の徳を備え、凛とした気魂があった
・長野主膳の妻(井伊直弼の元妾)村山たか(可寿江)は三条河原で生き晒し
井伊直弼と長野主膳の下働き、密偵、3日間の生き晒しでの生き残る
三味線、茶道、華道荷物うじ祇園で芸者、和歌を嗜み上流階級の場へ
・岩倉具視に「手のつけられぬ女」といわれた若江薫子ら
積極的に女子教育の必要性を説いた
・「京おんな」
色が白くてほっそりと柳腰、着物の趣味や着付けが上品で、礼儀作法、教養を身につけ言葉遣いが柔らかで、控えめでいて芯が強い、と良き女の代表の地位が与えられていた
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