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ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

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生産衣料の5分の3が廃棄処分の現実

2024-04-05 12:13:42 | 珍しいモノ・商売
@『砂漠にできたファッションの墓場』ナショナルグラフィック誌記事。
ここはアンデスのチリ、砂漠地帯に広がるファッション衣料の墓場となった場所だ。記事には『2000〜14年の間に、衣料品の生産量は2倍に、消費者の購入量は6割増えたが、着用期間は半分に減った。製造から1年以内に処分場や焼却炉に行き着く衣類は、全体の5分の3と推定される。毎秒、トラック1台分の古着が、廃棄または焼却され、チリの通関統計によると、2023年の合計は4600万トンだった。』とある。主にヨーロッパやアジア、南北米大陸からと言う。
日本人の感覚だった「もったいない」はもうここにもない。食品等の廃棄処分量もそうだが今の世の中売るために多くの無駄を犠牲にするが常習となり、どうにもならなくなっているのか!!
今後大きな問題は「ゴミ処理」(他国への放棄ではなく)自国での処理を可能にする能力を早々に開発すべきだろう。




「推絵本」で一気に広がる江戸時代『和本への招待』

2024-04-05 07:39:07 | 歴史から学ぶ
江戸時代の江戸には、意外に多くの読書人がいたことが分かる。当時の貸本屋の読者数は約10万人にも上っていた、と言う。また、尾張藩主や豊後・佐伯藩主など、高額で多くの書籍を読まれていた有力者もいた。
特に印象的なのは、平安時代の絵巻物を題材にした黄表紙「堪忍袋緒〆善玉」や、吉原のガイドブック「吉原細見」、洒落本「大磯風俗 仕掛文庫」など、挿絵本が流行したことです。当時の文字認識率が低かった人々でも、挿絵本を購入して楽しむことができたため、これらの本の流通量が大きく増加したと考えられます。
『和本への招待』橋口侯之介
「概要」平安時代の『源氏物語』から、蔦屋重三郎が手がけた黄表紙をはじめとする草双紙、山東京伝の洒落本、歌麿や北斎の挿絵入り絵本。1300年以上の歴史を持つ和本は、日本人の知恵と美意識の結晶である。結び綴とも呼ばれる、組紐を使った大和綴。高度な製本技術を必要とし、数葉ずつ重ねて糸で縫う列帖装など、手にとって愉しめる伝統文化を、神田神保町の老舗・誠心堂書店の店主が丁寧に解説。豊饒な書物の歴史を解き明かす。
ー「和本」奈良時代から明治初期
    巻子(巻物)・折本(折り畳んだ)・粘葉装(糊付け冊子)・列帖装(重ね糸で括る)・大和綴(組紐と括る)・袋綴(表紙を付けて糸で括る)・写本(手書きに書物)・版本(活字か木板に印刷)・板木(文字や絵を彫った板)・古活字版
ー「物の怪」怨念・悪霊などの物語(平安時代からの物語)
    漢字は真名と言い男文字、仮名は女文字とされた(源氏物語・紫式部日記など)一話完結の構成で、現代の54巻長編ではなかった
    平安時代は写本が重傷櫃に入れられ神社などで保存された
江戸時代の嫁入り本が「源氏物語」で嫁入り道具に黒棚とお厨子とともに入れた
ー朝鮮では高麗時代から印刷が行われ「大蔵経」、14世紀には銅活字印刷が導入された
ー日本は中世より木版印刷で1593年以降から活字印刷へと変わる、明治から活版印刷
    ヨーロッパの26文字は数千を超える文字では活字印刷は向かなかった
書籍目録が1658年~あり刊行物は約6千点で「仏書」が多かったとある、本屋は京都が多く1716年には2百軒あったとされ大阪、東京へと増える。その後本屋巻での株仲間が増えた。株仲間の目的は重板、類板を摘発。(処罰:家財欠所、十里四方追放、課料鳥目20貫文など)
ー書籍の売り方は店に並べるほかに新本を持ち歩き貸し出す気に入ってもらえば購入して貰う、さらに目録を見せて外売り、貸本屋(江戸で656軒=10万人の顧客数)での販売など
ー大口顧客は尾張藩(8代藩主徳川宗勝と宗睦)と豊後・佐伯藩(藩主毛利高標)60~260両
ー奉行所が本の製本申請をもとに許可した(草稿と手数料を払う)年間目録465点、江戸時代の草紙屋は演劇と本の連携から始まった、その後歌舞伎の人気となる。蔦屋重三郎(本屋から様々な黄表紙、洒落本、吉原細見などを出版、演劇などにも結びつけた)