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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

不得手な計算。

2012-10-30 06:28:02 | 日常
 計算というものが苦手である。したがって家計簿もつけていないし、財布に入れたお金がなくなっても(そんなもんかな)という感じで、あれが幾らでなどとは計算しない(というか出来ない)。倹約の精神があればそれ以上の事はないし・・・という曖昧なやりくりで今日まで来ている。

 昨日のブログで、40才の折り返し点からすでに15年と書いても疑問すら持たなかったわたし。今朝読み返して、40の倍は80だけど、80から65を引くと15。15+15=30・・・(40に足りない、おかしいなぁ)と考え込んでしまった。(笑)
 うーん・・。
 わかった!40才からすでに25年経っているんだわ。(と、やっと気づいた)


 そんな風である。

(そんなわたし、満点というものを二回だけとったことがある。計算は出来なかったけど、応用問題は得意だったので、難解とされればされるほど沸き立つような興奮をもって解いたのかもしれない。応用、証明問題のたった二回の100点である。)


 でも結局、計算の方が大事だったのではないか。
 計算や計画性の欠如した性格・・・ミスだったのか正解だったのか、未だに答えを出しかねているわたしの人生。
 

『城』1079。

2012-10-30 06:03:46 | カフカ覚書
こうした発言には、すべて職務上の意味はありません。それに職務上の意味づけなどなさると、迷路にはいりこんでしまうだけです。そのかわり、そういう発言がもっている個人的な重要さは、好意から出たにせよ、敵意からにせよ、非常に大きいのです。たいていは、職務上の意味なんかよりずっと大きいのです」

 職務上/amtliche→Ende/死。
 ずっと/sehr→Seher/予言者。
 大きい/gross・・・権力。

☆すでのこうした発言には死の意味などありません。それに死の意味づけなどなさると、それはたいてい当惑するだけです。内密の重要性は好意からにせよ敵意からにせよ、予言者の権力が大きいのです、たいていは先祖の死の意味よりずっと大きいのです。