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続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

修羅場。

2012-10-18 06:32:14 | 日常
 AさんもBさんもそれぞれそれなりの人である。けれど、生まれ育ち諸の事情により価値観に相違が生じる。二人の距離が離れていれば何の問題も起きない。

 けれど、元警視であった老人の潔癖であるが故の許しがたい近隣トラブルは、殺人事件という残念な結果に終った。


 従妹が亡父の法事を頼みにお寺に出かけたら「お坊さん、息子さんに足で蹴られていたわよ。ビックリしたわ」と言っていたことがある。お坊さんは高齢であり、息子さんも50才は過ぎていたと思われる、まさに喧嘩の現場だったらしい。


 昨日家に訪ねてきた元教師は「妹はね、わたしがいろいろお土産を買っているうちに頼まれたお豆腐を買い忘れたからって、買ってきたみたらし団子をわたしに投げてぶつけたのよ」とその憤懣をこぼした。(元教師は80才を過ぎており、妹という人もわたしより年上である)「悔しいわ・・・」といい、更なる経緯も。

「でもね、あなたは研究者の静かなご主人と二人暮らしだったから世間を知らないと思うけど、どこの家庭でも起こりうることなのよ。」
「そうね、」と肯いた彼女を見送りながら、人間幾つになっても思いがけない修羅場が待っているものだと自らにも言い聞かせたわたし。

 越えてはならない尊厳の壁、踏みにじられることがあっても、静かに笑っていられる人でありたい。

『ひのきとひなげし』24。

2012-10-18 06:19:05 | 宮沢賢治
「なりますね。まあ三服でちょっとさっきのむすめさんぐらゐといふところ。しかし薬は高いから。」
 ひなげしはみんな顔色を変えてためいきをつきました。テクラがたづねました。

 三服はサン・フクと読んで、Sun(太陽)、福。
 薬はヤクと読んで、躍。
 高いはコウと読んで、講。
 顔色はface・シキと読んで、faith(信仰)、識。
 変えてはヘンと読んで、片。

☆太陽の福(幸い)を躍(喜ぶ)講(話)である。
 信仰の識(物事の道理を見分ける)は片(二つに分けたもののうち一つ)にある。

『城』1067。

2012-10-18 06:00:52 | カフカ覚書
酒場とか、それに類した場所では、電話も、お金を入れたら音楽の鳴りだす自動ピアノとなじようにおおいに役に立つかもしれませんが、それ以上のものではありません。

 酒場/Wirtsstuben→Wort sturm/言葉、警報。
 自動ピアノ/Musikautomat→Muze matz/詩神、策略。

☆言葉の警告(警報)とかそのようなことはもしや先祖の神話の策略かもしれません。それ以上のもではありません。