毎日が時差ぼけ

大阪発、いろいろな交通機関の搭乗記録

1992年4月26日-5月1日の北海道旅行の記録 [3]

2024-04-13 15:35:30 | 日記

[3] 1992年4月28日 旭川から稚内に行く

朝、ホテルから旭川駅に向かう途中にミスタードーナツとマクドナルドがあった。どちらにするか迷って、ミスタードーナツにした。


急行礼文 旭川8:49発 稚内12:45着で稚内に行く

旭川駅の改札口にはすでに十数人の列ができていた。この人たちまさか全員稚内行きに乗るわけではないだろう、と思っていると、「ただいまより、網走行き特急オホーツクの改札を行います」というアナウンスがあった。それで半分ぐらいの人が改札を通って行った。

しばらくして稚内行き急行礼文の改札がはじまった。改札を通ってホームに上がると、列車はすでに来ていた。2両編成のディーゼルカーだった。禁煙車の方に入り、席をとった。この車両には指定席か自由席かの表示がない。この車両は自由席だろうな、と考えていたらわかった。この列車は自由席しかない。

出発までにかなり乗ってきた。7割ぐらいの埋まりようだった。

窓際の席にはテーブルもポケットもなかったので、ディスクマンは隣の席に置いた。ディーゼルカーはうるさい。それに良く揺れる。やはり客車が良い。

北海道の列車らしく窓は二重窓になっている。窓から駅弁を買うのは面倒そうだ。


稚内駅から宗谷岬に行く

12:45に稚内駅に着いた。もう少し大きいターミナル駅を想像していたが、線路1本だけの小さい駅だった。ホームのすぐ先でレールが終わっている。

駅舎を出ようとしたら、初老のおじさんが立っていて、観光案内をするからわからないことは聞いてくれと言っていた。そこで、宗谷岬ヘはどうやって行けばよいか聞いてみた。今は観光シーズンではないので宗谷岬に行くバスの本数が少なく、次のバスは16時とのことだった。それまで市内を見て回ったらどうか、とのことだった。バスの本数が増えるのは5月1日からそうだ。

タクシーで宗谷岬まで行くとどうか、と聞いてみると、タクシーだと往復で12000円ぐらいかかるそうだ。そんなにかかるとは。

そこで、レンタカーを借りたらどうかという提案があった。ちょうど近くにいたおじさんがレンタカー屋の人だった。ところが、そのおじさんの店もレンタカーは5月1日から営業だそうだ。ここでちょうど良いところに日産レンタカーのお兄さんが通りがかった。

「おまえさんのところの小さい車、空いてるか?」とおじさんが聞いた。「パルサーですか、空いてますよ」とお兄さんが答えて、日産レンタカーでパルサーを借りることになった。7200円である。12000円に比べてずいぶん安くなった。

観光案内のおじさんが、「宗谷岬はここより北だから寒いよ」と言った。そんなに違うわけないだろうと思っていたが、宗谷岬まで来ると本当に稚内市街よりも寒かった。

宗谷岬までの道の横に線路があったが、その上を小学生が歩いていた。何かと思って後で調べたら、天北線の廃線跡だった。

宗谷岬は気温が低いうえに風が強くて寒い。

宗谷岬付近の店で北海ラーメンを食べている間に観光バスが2台やってきて、おばさんの観光客を大量に吐き出した。日本最北端の碑の所に列を作り、順番にその前に立って写真を撮った。観光地では観光客はみな同じことをする。

観光バスのおばさんたちは、土産物屋や軽食の屋台をひととおりまわったあと、観光バスに乗り込んで去って行った。屋台の食べ物がほぼなくなっていた。イナゴの大群のようだ。

稚内市街に戻り、レンタカーを返した。定食屋で夕食をとった。うに・いくら丼、2500円。高いが美味かった。


急行利尻 稚内22:03発 札幌6:00着で札幌に戻る

稚内駅の待合室で油断していたら、改札口にすでに長い列ができていた。すぐにその後ろに並んだ。改札がはじまって列車に乗った。座れないことはなかったが、自由席禁煙車のドア近くの席になってしまった。特急だと自動ドアなので良いのだが、急行の古い車両は自動ドアではない。ドアを通る乗客の約半分はドアを閉めずに過ぎて行く。ドアが開いていると騒音が入ってくるし、この時期でもまだ外の冷気が入ってくる。結局ドアに一番近い席の人がドアを閉める役になっていた。

明日は休日だからだろう、学生らしい乗客が多かった。

今朝の稚内行き急行礼文は垂直ボックス席ではなかったがリクライニングしないシートだった。この利尻はディーゼルカーだったが客車のはまなすとおなじような、リクライニングするシートだった。少し快適だった。

23時になったら車内の照明が半分ぐらい消えて暗くなった。寝ろということか。

 



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