それでは、連載第13夜は、平成13年初春の、九州関連をお届けします。
据え付けられても客もおらず、ただ走り去る寝台特急「はやぶさ」を見てしまい、「やはり乗っておこう。」と発起しました。そして往き道は忘れましたが、「はやぶさ」出発前の熊本駅に、立ちました。
DE10 1638が、「はやぶさ」の24系25形客車を、駅裏にあった熊本運転所から引き出します(写真)。
そして、末尾のカニ24、おそらく0番代が見えています(写真)。「はやぶさ」のテールマークも見えています。
オハネフ25の、テールサイン(写真)。今にすれば、懐かしいです。
そして、据え付けられた客車に、牽引機ED76 70が、連結され、出発時刻を待ちます。
当時、この列車を撮る人は、殆どいませんでした。いれば、この写真にも記念撮影の子供等が写っているはずです。
九州新幹線開業前の鹿児島本線は、「つばめ」は1時間ヘッド、博多~熊本間の「有明」はその間に時間2本、つまり20分ヘッドで、「はやぶさ」は、熊本発車から博多到着までに3回電車特急に抜かれました。また、翌朝の「つばめ」と「のぞみ」を乗り継げば、「はやぶさ」より早く東京に着く、ということでもあり、残念ながら運転の意味を失っていたことは認めざるを得ません。つまり、経済性では無い「何か」がなければ、この列車は維持できなかったのでした。
そして、鳥栖からの牽引機、ED76 65が、門司駅で、客車から切り離されます(写真)。
関門の守りは、EF81 411(写真、下関にて)。最盛期には4両あったJR九州所属の400番代でしたが、既に4往復となり、JR貨物機による牽引も無くなり、何時行っても410がほとんどでした。411はラッキーです。
その反対側、スハネフ14の、「さくら」のテールサイン(写真)。「はやぶさ」の24系と、「さくら」の14系の混結でしたが、それぞれ電気系は独立し、ブレーキ関連は車両ごとに個別であったことから、可能でした。
しかし、14系14形の白帯、24系25形及び14系15形のステンレス帯が混在し、編成美が失われ、いかにも寄せ集め編成になっていたのは否めません。使用車両も20年落ちと相当古い車両で、JR化後に新車投入を決断できるような利用数が無かったことも、遠因でした。
下関からの牽引機は、EF66 53(写真)。このヘッドマークも、懐かしい。東京まで1,000キロ、道程は平坦ではありません。
そして、早朝に地元に着きましたが、東京到着は午前10時過ぎ、朝ラッシュは避けましたが、少々寝ぼけた時間にしか着かない、というのもビジネス利用に繋がらない理由でした。
当時東京発2往復、大阪発2往復あった寝台特急、かつてはプラチナチケットであった寝台券も、この当時既にこのような状況であったのでした。確かに「失われた20年」の出来事と言うべきでしたが、「みずほ」の食堂車営業休止から始まった九州特急の凋落が、正に現実となった瞬間でした。それが、今日の状況に繋がっているのです。
しかし、そこまで進行しているとは当時は気付きませんでしたが、有料乗車することが重要だと、漠然と感じていました。それが、ささやかな抵抗であったとしても。本当に、ささやかでした。
それでは、次回をお楽しみに。