Sengoku1985

何故、私は鉄道を撮り続けるのか?

Subways#3

2012-01-26 | 鉄道写真


 名古屋市営地下鉄、第3回目の今回は鶴舞線後半戦、乗り入れ側の名鉄の車輌を見ていきたいと思います。


 名鉄は古くから豊田市~八事間の路線免許を持っており、鶴舞線の建設時に八事~赤池間の免許を名古屋市に譲る時に、相互乗り入れを条件にしていました。そのため当初から乗り入れ対応をした車輌を使っていました。


 その初号車である、100系第1編成、111始め6連の写真です。当初4連で落成、6両化にあたり中間車2両を増結しました。当初の車輌は抵抗制御、増結中間車はVVVF車です。



 当初は名古屋市鶴舞線・名鉄豊田線のみでの運用で、4連5編成20両の陣容で、検車は猿投で行っていたものと思われます。その最終編成115始め6連の写真です。落成は昭和53年、中間車は平成5年です。



 その後平成元年に1編成が増備され、続番で登場しました。116始め6連です。当初の4連は技術の進歩の伴い、界磁添加励磁制御に変更されました。



 さらに平成3年には4編成が増備されました。系列としては100系ですが、付番は続番とならず200番台を名乗ります。211始め6連です。



 技術的には116Fと同じ界磁添加励磁制御ですが、続番としなかったのは番号が不足するための措置と思われます(今後のことも考え、最終車を110Fとはしませんでした)。写真はその最終編成、214始め6連です。中間車2両はVVVF制御、111F等の中間車と同時期の製造です。



 そして狭義の200系、215始め6連です。平成6年に、当初から6連で落成しました。全VVVF制御で、車内貫通路上方に情報提供LED電光掲示が設置されました。また、中央貫通扉窓下のエッチングから、名鉄の旧社紋が消えました。


 この頃には、本線系車輌も3500系、3100系が製造されており、もっと新しい技術も採り入れることも可能だったのでしょうが、既存車輌100系との統一が必要であり、保守的な設計となりました。


 鶴舞線全通に伴い犬山線とも相互乗り入れを開始、犬山~上小田井~赤池~豊田市という運転もありましたが、地下鉄上飯田線の開通に伴い、ラッシュ時を除き乗り入れは岩倉で打ち切り、犬山行きは減少しました。ただ、所属は猿投から犬山に移ったらしく、梅坪~豊田市間は三河線と逆向きになります。また、昼間には必ず、柏森3番線、及び犬山1番線先の側線に、待機の100・200系が停まっていますので、ご参考までに。


 本年度の名鉄の車輌計画では、100系の制御装置を1編成交換する、とのこと。どの編成で行うかは不明ですが、最新215Fではないことは確かですので、順番に初号車から始めるのでしょうか。やるなら多分抵抗制御車の方が効果的でしょうから、やはり111Fが対象なのか。


 最後に、同じような車輌が並んでいます(確かに見た目の外観は同じ(故意に同一にしているのでしょう))が、機構的には異なるものであり、外観でも例えば側面電動方向幕が、車輌製造時期で大小異なる所があります。それは編成中でも両先頭2両ずつと中間2両は異なり、それだけで記事が書けるほどです。また、そういった特集ももそのうちに。


 次回は、順番からして桜通線でしょうか。ご期待下さい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする