とんねるずの石橋貴明と元妻の間の子、
穂のかさんがデビューした、ということが話題となっている。
穂のかさんは、親の七光りを嫌って、
石橋貴明という名を出さずに、オーディションで勝ち上がったそうだ。
(詳しくはこちら)
それはすごいことだと思うし、
親の力を借りずにデビューというのも素晴らしい。
親の七光りをあてにしていては、本当の成功はないだろう。
そういう意味では、喜ばしいニュースであった。
が、深い問題は別のところにある。
この穂のかさんのみならず、今の芸能界は「Jr」(二世)が実に多い。
芸能人の子のみならず、
あらゆる方面の著名人の子が芸能界入りを果たしている。
(小泉元首相の子や、竹下元首相の子なども!)
地方議会を見れば、タレント県知事の力が強く、
正統派ではとても太刀打ちできないほどになりつつある。
政治(権力)と芸能界がとても密接になっているのだ。
政治家を目指す若者は芸能界を目指さなければならない、
そんな時代が来るかもしれない。
それもさることながら、Jrと呼ばれる二世がどの世界にも増えている。
親の仕事をそのまま受け継ぐ、ということはもちろんいい面もある。
けれど、職業や権力構造が固定化される、という負の面もたしかにある。
「職業選択の自由」という憲法22条の言葉もむなしく、
職業選択が(個々人の意識を超えて)不自由になってきているのでは?
と、思わざるを得ない。
重要なのは、≪職業が選べる人の固定化≫だ。
教育学では、「文化的再生産」という言葉があるが、
近代人のわれわれは、職業選択の自由が保障されつつも、
選択の幅が「生まれ(出生元)」によって制限されている、
というパラドックスを抱えている。
戦後65年を迎えようとしているが、
この長い「平和期」の間に、
職業選択が固定化されてきていると思うが、どうだろうか。
本来、学校教育が「生まれ」による格差を小さくする役割をもつ、
と考えられてきたが、それもあまりうまくいっているとは思えない。
(塾に行けるかどうか、受験を親がどう捉えるか、などの制約を受ける)
それほど、平和期には、親の影響が絶大なのである。
とはいえ、「Jr」と呼ばれる人たちがその世界で成功するかは不明だ。
少なくとも芸能界では、「Jr」が成功しているケースは多くはない。
松田聖子の子、たけしの子など、
デビューまでは果たしたが、その後よく分からないケースも多い。
(芸能界という場所がそういう場所なのだろうか?)
けれど、政界は「Jr」のオンパレードである。
僕的には、もう政界そのものに興味が失せるほどに世襲制になっている。
新しい人が政界で成功することは今後あるのだろうか?!
生まれや学歴で人生が決まるとは思わないけれど、
生まれや学歴が「職業選択」にかなりの影響を与えているのも事実だ。
それが人間社会なのだ、と言われればそれまでだが、
それじゃ、社会は腐敗するというのも歴史が教えてくれている。
穂のかさんがどこまでやれるのか、
元とんねるずのファンとして、見届けたいと思う。
(うちの弟もとんねるずの大ファンだったなぁ~)