今、小笠原に来ています。
はるか昔、小学校の時に、父島や母島や兄島のことを知り、「面白い名前の島があるなぁ。いつか行ってみたいなぁ」と思った記憶がかすかにあります。まだ日本に返還されてそんなに日が経っていない頃の話になるかと思います。でも、本当に行くことなど、考えてきませんでした。
小笠原諸島へのアクセスは、船のみで、しかも片道24時間かかります。片道ですよ。ドイツに行く倍の時間がかかるんです。現実的に考えても、なかなか気軽に来られる場所じゃないんです。
でも、2022年の夏、意を決して行くことにしました。この目で「小笠原の世界」を見てみたいと思ったからです。
竹芝から父島までの船の様子は、動画にしてみました。
島での細かい出来事はまた後ほど熱く語るとして。
今回は、まず「小笠原で考えたこと」を綴っておきたいと思います。
①太平洋の安全保障
今回の旅で僕が一番はっとしたのは、小笠原諸島が日本の安全保障の一つの最前線だということです。内地(本土)にいると、対中国や対ロシアで、北方領土や尖閣諸島など(或いは対韓国の竹島)ばかりに目がいってしまいがちですが、この小笠原もまた日本の領土の末端に含まれています。それに長年、アメリカとの間で、長い駆け引き?長い闘い?が繰り広げられてきたんです。
ビジターセンターの人に教えてもらいました。「なぜ小笠原が日本に返還されたのか。それは、アメリカにとっては、小笠原諸島はうまみのない島々だったから。また、返還当時(1968年)、日本国内で急速に広がる「共産主義化」の勢いを食い止めるために、日本を自分たちの側に置いておきたかったからだ」、と。68年というと、世界的な「学生運動ムーブメント」があった時代で、共産主義化もまた当時の時代的背景にありました。(今、日本で話題になっている自民党と旧統一教会のつながりもまた「反共」でした)
太平洋全体で考えると、この太平洋を共産主義にするか、民主主義にするかという問題が当時から(今に至るまで)あったんです。日本の共産主義化を防ぐためにも、そして日本をアメリカの側に置いておくためにも、小笠原諸島の返還は、重要だったんです。もちろん小笠原諸島に、うまみがなかったのも返還された理由だということです。
うまみがない。それは、この小笠原諸島に、「金になる資源がない」という意味です。ここで金が発掘できるわけでもない。石油や石炭があるわけでもない。クジラの油ももはや重要ではない。小笠原をアメリカが所有するうまみがないんです。
また、この小笠原諸島は、平地が少なく、軍用機のための滑走路をつくるだけの敷地もないんです。軍事基地としてのうまみもないんです。だから、「硫黄島」だけは、別扱いに今もなっているんです。
②硫黄島と小笠原諸島
硫黄島は、今も一般人が立ち入れる島になっていません。こっちでなんとか見に行けないか、画策しましたが、ダメでした。硫黄島には行けないんです。
なぜか。それは、硫黄島が今も、日米共同の軍事基地になっているからです。これもこっちに来て分かったんですが、硫黄島だけは、日米の軍事拠点として、(おそらくは)中ソの共産・社会主義陣営を睨んでいるんです。まだ、中国やロシアがこの場所の所有権を主張していませんが、今後どうなるかは分かりません。
そんな硫黄島は、実は人が住む場所としてはとてもいい場所なんです。平地が多く、環境的にも小笠原とグアムの間くらいにあるので、生活できる南の島としては最適な島なんです。だから、旧日本軍もここに飛行場をつくったんですね。
平らで、人間にとっても生活できる島。それが硫黄島なんです。だから、戦前、硫黄島にも1000人以上の住民がいたんです。そのすべてが「移民」であり、コカやレモングラスなどを栽培していたそうです(コカはコカインのこと?!)。
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硫黄島は、そんなわけで今も、重要な軍事拠点となっていて、自由に行き来できる島ではないんです。自由に往来できないということは、100%日本の領土とは言えない。日本でもあり、アメリカでもあり、…いや、どちらでもなく、ただただ「反共」のための監視島となっている、と言った方がいいかもしれません。
③父島のこと
小笠原諸島の中心は、間違いなく父島でしょう。現在2000人以上の住民がここで生活しています。父島の大きさは、島としては「小豆島」や「与那国島」より小さい島なんです。与那国島よりも小さいことに驚きました。
父島には、その歴史的背景から、実は二つのタイプの島民がいます。「欧米系」と「非欧米系(日本系)」の島民です。欧米系の島民は、戦後すぐに大島に戻ってこられた人たちで、非欧米系の島民は、1968年の返還後に戻ってきた人や新たに移住してきた人たちです。僕自身、欧米系の島民と非欧米系の島民のどちらの人とも話すことができました。
この島は、発見こそは日本になっていますが、実際にここに初めて住み着いたのは、欧米系の人たちでした。
あのジョン万次郎もここに来ていたんです。しかも何回も…。
このこともまた後でじっくり書きたいところですが、現在の父島でも、やはり「欧米系島民」と「非欧米系島民」の両者がいて、見えないところでの様々な問題が残っているようです(これは、断定できないですが、僕の直感でそう思いました)。ただ、住民同士はフレンドリーにお付き合いしているそうです。
1968年の返還時にも、アメリカと日本の間での「密約」があったという話も聞きました。
なので、今も、この島の土地をめぐるコンフリクトは色々とあるみたいです。この島の土地は誰のものか、という問いにもつながります。古代時代にも人がいたっぽいですが、近代になって島々が「発見」されるときは「無人島」でした。この島の所有権は誰にあるのか。考えたら、すごく難しい問題です。
それと、父島固有の問題としては、慢性的な「住宅不足」に陥っていることがあります。この島で数日過ごした時、「もっとたくさんの人がここに移住すればいいのに…」って思ったのですが、現実的には、この島に移住したくても、住む場所がない、という問題があるのです。
一畳=一万円、これが父島の家賃の相場だそうです。なので、10畳の家に住むとなると、月に10万円かかるということになります。住居に使える土地もすごく限られているので、本当に大変なんだそうです。(ハワイも同じような問題を抱えていたはず…)
④母島のこと
他方で、父島ほど高くないのが、母島でした。
母島は、現在500人強の住民がいる島です。戦前には2000人以上の住民がいたんだとか。島内には、3軒のスーパーマーケットがあり、数軒の飲食店がありますが、本当に小さな島でした。
母島は、父島と違って、日本の敗戦後、住民がゼロになり、返還される1968年まで「無人島」となっていました。なので、生活に必要なインフラ整備のため、実際に帰島できるまでに5年の時間が必要でした。1973年から、元住民の帰島が認められるようになったんだそうです。
母島に行くには、父島から出ている「ははじま丸」に乗る必要があります。ははじま丸は、おがさわら丸よりは小さくてコンパクトな船です。聞くところによると、「満席になったことはこれまでにない」らしいです。父島まで来る人は多くいても、母島まで行く人は少ないみたいです。一日一便、約2時間で到着します。
そんな母島ですが、僕はすごく気に入りました。なんなら「移住したい!」って思うような場所でした。美しい自然、コンパクトで集約された町エリア、そして、未知数の島のポテンシャル、、、
この島で、もともと稲毛に住んでいたおじいちゃんと出会いました。そのおじいちゃんは18年くらい前に、退職と共にこの母島に移住してきた人でした。年金生活でなんとかやりくりしているそうです。そのおじいちゃんの話を聴くと、父島よりもやはり家賃が安くて、住みやすいということでした。「もの」はないけれど、その少ない「もの世界」の中で、なんとかみんなで知恵を使って、やりくりする楽しさがある、と教えてくれました。
日本最果ての小さな島で、「生きるとは何か」を考えるのもいいかもしれません。
⑤おがラブ
そんな小笠原には、数か月~数年の滞在生活を送っている若い人たちがいっぱいいました。元保育士さんも結構いました。若い(+若くない)男女が何かを求めて、この地にやってくる。
そうすれば、当然ロマンティックラブに発展する。日々、出会いも溢れている。そんな小笠原の恋愛のことを、「おがラブ」というそうです。小笠原は日本でも珍しく、少子化が生じていないエリアですが、それにはいろんな理由がありそうです。
ただ、そのおがラブは儚いものもあり、別れていく男女も多く、また「離婚」も多い、と聞きました。2500人ほどしかいない小笠原の島々ですが、そこでは、日々、恋が生まれ、そして恋が終わっていく場所でもあったんです。
でも、そんなかりそめの愛であったとしても、ここには「生」のバイタリティーが溢れています。失恋や破局を通じて、学ぶものもいっぱいあります。失恋して、恋人の大切さやありがたさを感じることもあります。
おがラブ、そういう恋のスタイルもここにはあるんですね。
⑥小笠原空港問題
今回の滞在で、僕が一番強い関心をもったのが、「小笠原空港問題」です。
ずっと昔から、小笠原に空港は必要か否かの論争が繰り広げられてきました。実際にその空港予定地にも行ってきました。その周辺の土地をANAグループが購入しているんだとか。滑走路も現状では800mくらいしか用意できず、海を埋め立てないと、旅客機を飛ばせない、とも。海や自然を守るか、それとも、実利を取るか。
父島自治体としては、「建設推進」の方向で動いているようです。実際に役場に、建設推進のプラカートが立てかけられていました。住民たちの意見は本当に様々。「空港なんていらない」という人がいる一方で、「空港がないとこの島はますます悪くなる」という意見もあり…
2000人しかいない小さな島ですが、そこもまた「政治空間」なんですね。今では、空港問題は「タブー話」にもなっているようで、島民の間でこの空港問題を話すことも皆が控えているみたいです。
僕はここに来た時は、「空港作ればもっと潤うじゃん」って安易に思っていたけど、ここでいろんな話を聴いて、「そんな単純な話じゃない!」って思うに至りました。
⑦美しい自然とその保護
小笠原諸島は、自然の宝庫です。「イルカ」や「クジラ」がいっぱいいるところです。
また、小笠原諸島にしか住んでいない唯一の哺乳類「オガサワラオオコウモリ」の保護も、この島の大事な課題です。それに、この島のグルメになっている「ウミガメ」ですが、そのウミガメも保護が必要になっています。もし空港ができたら、灯りが増えて、(光にすい寄せられる)ウミガメにとっては深刻な打撃となります。
小笠原固有の「木」もまた守らなければならないものです。外来種の樹木の「アカギ」が増えすぎて、駆逐しなければならないという課題も残っています。でも、世界遺産に登録された今、勝手に木を切ることもできなくなっています。
小笠原の空は、環境省から「星が最も輝いて見える場所」に設定されています。小笠原の夜空を見ると、きっと誰もがびっくりすると思います。「空にはこんなに星があったのか…」、と。
また、父島では絶滅してしまった「オガサワラカワラヒワ(オガサワラヒワ)」ですが、母島ではまだかろうじて生息しているそうです。何匹生息しているのかはよく分からないみたいですが、母島としてはこのオガサワラヒワの保護に相当の神経を使っているようです。
そんな小笠原の大自然に触れられたのも、本当にいい経験になりました。
それ以外にもいっぱい学ぶことがありましたが、、、
今日、小笠原を出るので、この地で最後に色々と語っておきたくて、書いてみました。
小笠原には、是非とも一度は行ってもらいたいですね。
本当に凄いです。
ラーメン的にも、い~っぱい食べることができました。
アクティビティーも充実しました(シュノーケリングもいっぱいしました🎵)
昨夜はビジターセンターで「鯨類」の勉強会にも参加しました。
一つ言えることは、僕は日本の島々について何にも知っていない、ということです。
日本を考える際に、いつも内地から、首都圏から考えていました。
が、首都圏だけが日本じゃないんです。内地だけが日本じゃないんです。
そこを本当に痛感しました。。。