散歩絵 : spazierbilder

記憶箱の中身

Haus Lange 美術館

2010-08-18 14:37:52 | 美術関係
Abteiberg美術館を出てまだ時間もあるのでHaus Lange美術館に向かった。
この建物はMies van der Roheの建築で展示空間としてなかなか気持ちが良い。







この美術館は2層になっており今回は一階にJulius Popp、二階にはAdolf Lutherの作品が展示されている。

まず部屋に入ると幾つもの大きな白いカプセルがそれぞれあちらこちらに傾いで立っている。
この作品はまだ未完で、今回はこの状態(写真参照 上左)に固定されているが、いずれ無線でコミュニケーションし稼働するシステムを製作中だそうだ。
出来上がりが楽しみだ。
しかしあっちこっち思いのままと言う感じに立っているカプセルは何処となくユーモラスな表情さえあって動かなくともなかなか良い。
(カプセルの腹に小さなカプセル型の開口部があってそこから中に錘となるものを入れて重心を取っている様子なのだけれど、開口部の蓋がセロテープで止められていた。とりあえずの応急処置なのだろうけれどなんだかそのままにしておいて欲しい気もする、愛嬌だ)
他にもMITやFrauenhoferインスティチュートが開発したソフトウェアを使って稼働する作品がある。こういう作品を作るには沢山の人の手と頭が必要なわけだけれど、スポンサー探しから始まって手配と人脈と人を使う手腕がなければできないね。
こんなのができたら良いなあ。。。と思っていても普通は具現できない。

インフォメーションやコミュニケーションとは何か、どの様に発生するのか?
ボタンを押すとピンポン玉の列が言葉になって降りて来る機械からカラカラガラガラとにぎやかな音が聞こえてくる。
玉の配列が一瞬文字になり、あっと思う間に崩れて行く様子はなぜか魅力的でしばらくぼんやり眺めている内に自分が崩れた文字のピンポン玉一つになって雨の中を走ってゆく妄想。。。。




Bit.Fall
Bit.Flow
Bit.Code






Adolf Lutherはキネティックアート、オプティカルアートの一人者だった。
Julius PoppはAdolf Luther財団法人から賞を貰っている。


お化け屋敷

2010-08-18 09:45:06 | 美術関係


Mönchengladbach Abteiberg美術館のカフェから雨降る庭を望む。




日曜日、日本からの来客Sさんを誘い、雨模様の空の下メンヒェングラッドバッハのアプタイベルク美術館に出かける事に決めた。
久しぶりに出向くこの美術館はハンス・ホラインの建物で最近寂れているいたもののなかなか良い美術館だ。(最近改修が終わった)
館内をふらふらと眺めていると偶然知人のクリストファが目の前に突然現われて
開口一番『ガレージをみた?』と言う。
『面白いよ。あのガレージに入るとね、3人中1人は消えちゃうらしいよ』と彼の連れが言う。
何のことだか良くわからない。






GREGOR SCHNEIDERの”ガレージ”。
まず美術館の受付にガレージを見たいと告げると、『一人ずつ入ること。入室する前に身分証明書を受付に預ける事。荷物はガレージに下りてゆく際邪魔になるので必ず預けてから入室する事。梯子を降りるのでしっかりとした靴を履いている事。暗闇の中は注意して歩いてください。部屋の突き当たりにあるエレベーターを使って外に出る事ができますが具合が悪くなったらすぐに脇の扉から出る事』などと注意書きの書かれた一枚の紙に名前を記入しサインをさせられて鍵を渡され、美術館の出入り口から外に出てガレージの入り口に向かう。
小雨降る薄くらい中、何が待っているのかわからないガレージの入り口を探す所から不安な気分が芽生えてくる。ドアを見つけて鍵を回すと中は暗い。
暗い中に下に下りてゆくはしごが見えるのでこれに違いないと見当をつけて降りてゆく。梯子を降りきると暗闇の中で少し脚がすくむ。同時にどちらに向かってよいのかわからないので両手を伸ばして壁を探るのだけれど、ここで嫌な触感にであったら絶対心臓が飛び出す。
かすかな光に目を凝らすと等身大の人形が幾つか倒れていた。明らかに布でできた人形ではあるけれど動かないと言う保障がない様に思えてくる。方向感覚があまり頼りにならない。少し慌てて壁を探りそれに沿うように歩くとまたかすかな光が出口を示していて、ボタンを押すとエレヴェーターが開いたのでそそくさと乗り込んだ。

お化け屋敷だ。



私は知らなかった事だが数年前、Schneiderは”死”からタブーなイメージを取り除き”誕生”に並ぶポジティヴな体験にすることができるかもしれないと、美術館の中に彼の作品である"部屋”をつくり、間もなく息を引き取ろうと言う人に"安らかな死と対峙するために人間的な場所”を提供する(展示する)コンセプトを発表し(実際に発表したわけでは無い)大騒ぎの話題になったらしい。
死の美しさを展示したいという。
どう考えてもそれが彼に言うように死へイメージを変えるようには思えない。説得力は感じない。


作品"ガレージ”もそこへ繋がっているのだろうけれど、今ひとつ私にはピントこなかったなあ。

Schneiderは2001年ベネチアビエンナーレにおいて“das Haus u r ”と言う二重構造の家で金獅子賞を取っている。これはみていないので想像するだけだけれど部屋の中に更に作られた部屋は記憶と記録なのだろうか?
もう誰も棲んでいない空家に潜入した時に感じるものに近いだろうか?
わざわざ遠くまで出向く気もしないけれど、どこかで偶然この作品を見かけたら体験してみたい。





もう一つの特別展はメディアアート作家MIRCEA CANTORの様々な作品展で、美術館の趣向か作家の希望か知らないけれども、美術館の常設作品の間に彼の作品がちりばめられる展示方法だったのがちょっと興味深い。
この人には今回の展示には無かったが室内に動物を展示すると言う作品があって美術館内にあるべきではない空間を押し込む。
アイディアの豊富な作家で様々なスタイルの作品を作っている。

Abteibergにて展示されていたMilcea Cantorの映像








Georg Schneiderが”人間的な死に場所”を作り上げたいと希望しているのはKrefeldのHaus Lange美術館だそうだ。
そんな話は知らなかったが偶然にも帰りしなHaus Lange美術館に向かった。


(続く)