心に残る人物達 その2
先日、あるドキュメントを見た。 その話の覚書。
長年のきつい土方仕事で彼は体を少しずつすりつぶしている様に見える。
痩せた顔には沢山の深い皺が刻まれてその年月を語る。
日々石を一つ一つ積み上げて行く作業は祈りに似ているのかもしれない。
正確に祈りそのものなのだろう。
「私は共を必要としてはいないよ。友と語る時間は私には無いし、この聖堂を建てること、それだけが私の人生だからね。」と言い終えてから、うつむいた横顔は一瞬寂しそうではなかったか? いや私の勝手な想像だったかもしれない。 私なら耐えられないだろうと想像するから。。。
彼が友を必要としなくても、人は彼を訪ね、彼の情熱の余熱を心に抱いて帰る。
Justo Gallego Martinez
Madrid近郊の街Mejorada de Campoに、たった一人でカテドラルを建てようと決心し40年間をそれに捧げている77歳のトラピスト僧がいる。
かなり形が現れてきたとはいえ、幅25m長さ55m高さ50mのカテドラルである。
地元の青少年等が小遣い程度の代償で手伝う事があっても、朝から晩まで孤独に黙々と憑かれた様に彼が作業を続けていても、中央丸天井の裸の鉄骨は、それが覆われて完成する日がまだ遠い事を告げている。
建築に素人である彼は写真やテレビに写される世界のカテドラル、スペインの城を参考にしたという。
もちろん図面は無い。
しかし彼の頭の中には既に彼のカテドラルは存在している。
ニューヨークのMOMAがこれに聞き及び、彼のカテドラル建築ドキュメントの展覧会を開いたり、スター建築家のフォスターも彼を表敬訪問している。
コカコーラ社のスポットに出演する事で40,000ユーロが建築費に加わった。ニューヨークタイムズや放送局”Arte”なども寄付に参加している。
とは言え、彼がこれからどれだけ作業を続けられる事か?
彼がカテドラルの完成を見る事が出来るかどうか、回りが気をもんでいるのに対して
「カテドラルを建て終える事が目的なのでは無いよ。 作る事、作業する事が目的なのだよ」
「私は死を恐れないよ。むしろ死は私を解放してくれるありがたい恵みだと思っているよ。死を迎えるのは悪くないと思っているよ。大分くたびれたからね。」
と彼は少しだけ微笑んだ。
頭にタオルをターバンのように巻きつけ、全身埃にまみれた彼の姿は、ともすると広大な瓦礫のなかに溶け合ってしまう。
そしていずれはカテドラルの一部となる日が来るだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この話からある他の建造物を思い出した。
Watts Towerと言う建物がロスアンジェルスにある。サグラダ・ファミリアのような趣のタワーを、作者が何を思って作り上げたかは不明だがある種のモニュメントである。
40歳のサイモン・ロディアが瓦礫だらけの土地を安く手に入れ、彼のヴィジョンである"Nuestro Pueblo-我々の街”を作り始めたのは1921年だった。昼間はタイル工場で働き、夜はタワーを作る生活が33年間続いた。
タワーが出来上がった日、隣人に土地もタワーも全てを託した後、ロディアは突然消えてしまった。
数年後サンフランシスコで偶然彼を見つけた人がおり、何故塔を作り、何故捨てたかを訊ねても彼はただ「やりたかったから」と答えたという。
ロディアはまさにヴィジョンを受けて、自分でもなんだかわからない湧き上がる情熱に動かされたのだろう。 彼はそれを終えて燃え尽きたのだろうか? 彼はその後2度とタワーを訪ねる事も無かったという。
先日、あるドキュメントを見た。 その話の覚書。
長年のきつい土方仕事で彼は体を少しずつすりつぶしている様に見える。
痩せた顔には沢山の深い皺が刻まれてその年月を語る。
日々石を一つ一つ積み上げて行く作業は祈りに似ているのかもしれない。
正確に祈りそのものなのだろう。
「私は共を必要としてはいないよ。友と語る時間は私には無いし、この聖堂を建てること、それだけが私の人生だからね。」と言い終えてから、うつむいた横顔は一瞬寂しそうではなかったか? いや私の勝手な想像だったかもしれない。 私なら耐えられないだろうと想像するから。。。
彼が友を必要としなくても、人は彼を訪ね、彼の情熱の余熱を心に抱いて帰る。
Justo Gallego Martinez
Madrid近郊の街Mejorada de Campoに、たった一人でカテドラルを建てようと決心し40年間をそれに捧げている77歳のトラピスト僧がいる。
かなり形が現れてきたとはいえ、幅25m長さ55m高さ50mのカテドラルである。
地元の青少年等が小遣い程度の代償で手伝う事があっても、朝から晩まで孤独に黙々と憑かれた様に彼が作業を続けていても、中央丸天井の裸の鉄骨は、それが覆われて完成する日がまだ遠い事を告げている。
建築に素人である彼は写真やテレビに写される世界のカテドラル、スペインの城を参考にしたという。
もちろん図面は無い。
しかし彼の頭の中には既に彼のカテドラルは存在している。
ニューヨークのMOMAがこれに聞き及び、彼のカテドラル建築ドキュメントの展覧会を開いたり、スター建築家のフォスターも彼を表敬訪問している。
コカコーラ社のスポットに出演する事で40,000ユーロが建築費に加わった。ニューヨークタイムズや放送局”Arte”なども寄付に参加している。
とは言え、彼がこれからどれだけ作業を続けられる事か?
彼がカテドラルの完成を見る事が出来るかどうか、回りが気をもんでいるのに対して
「カテドラルを建て終える事が目的なのでは無いよ。 作る事、作業する事が目的なのだよ」
「私は死を恐れないよ。むしろ死は私を解放してくれるありがたい恵みだと思っているよ。死を迎えるのは悪くないと思っているよ。大分くたびれたからね。」
と彼は少しだけ微笑んだ。
頭にタオルをターバンのように巻きつけ、全身埃にまみれた彼の姿は、ともすると広大な瓦礫のなかに溶け合ってしまう。
そしていずれはカテドラルの一部となる日が来るだろう。
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この話からある他の建造物を思い出した。
Watts Towerと言う建物がロスアンジェルスにある。サグラダ・ファミリアのような趣のタワーを、作者が何を思って作り上げたかは不明だがある種のモニュメントである。
40歳のサイモン・ロディアが瓦礫だらけの土地を安く手に入れ、彼のヴィジョンである"Nuestro Pueblo-我々の街”を作り始めたのは1921年だった。昼間はタイル工場で働き、夜はタワーを作る生活が33年間続いた。
タワーが出来上がった日、隣人に土地もタワーも全てを託した後、ロディアは突然消えてしまった。
数年後サンフランシスコで偶然彼を見つけた人がおり、何故塔を作り、何故捨てたかを訊ねても彼はただ「やりたかったから」と答えたという。
ロディアはまさにヴィジョンを受けて、自分でもなんだかわからない湧き上がる情熱に動かされたのだろう。 彼はそれを終えて燃え尽きたのだろうか? 彼はその後2度とタワーを訪ねる事も無かったという。