先日菅平でスキーのバッジテストの検定合宿に参加した。テストの結果は不合格だったが、ふとスキーとストイッシズムということを考えた。
バッジテストは中々形(スキー連盟が定めた滑り方)にうるさいテストで、簡単には受からない。合格した人は何回かのチャレンジの後、漸く合格したということだった。スキーは特別上手くなくてもそれなりに楽しめるスポーツなのに、何故苦労してテストに挑戦するのだろうか?
ふとカヌーイストの野田友佑さんの言葉を思い出した。
「楽なものが楽しいとはかぎらない」
アメリカの西部をボートでの急流下りや幌馬車で旅する野田さんは次のように書いている。
「このツアーの基本は馬に乗って暑い草原をほこりまみれになって行くことで、見方を変えれば、単調で辛い旅だ。・・・しかしこういった苦痛には麻薬的なものがある。一度慣れてしまうと、それ以降、苦労のない旅は馬鹿々々しくなるのだ」(「アメリカ西部 野蛮人にもどる旅」)
これはいうなれば一種のストイッシズムである。バッジテストに挑戦し続ける人も楽に滑ることに楽しみを見いだすのではなく、自分が技術的に向上することに、そして向上するために努力することに楽しみを見いだしているのだろう。
もっともスキーは領域の広い遊びなので、基礎スキーの形を極めるだけが、ストイッシズムではない。新雪(パウダー)を滑るとか長いツアーコースを踏破するという苦労も大きな楽しみを生む。
楽しみは人それぞれだ。またスキーではなく、サイクリングやランニングあるいは登山に楽しみを求める人も多い。
だが共通することは「楽なだけでは楽しくない」ということなのだろう。
我々は「楽なことは楽しいことだ」「楽なことを提供するのが良い社会だ」という先入観に縛られ過ぎているのかもしれない。
動物園のエサに困らない動物たちは自分でエサを探す野生の動物よりもストレスが高いという。エサに困らなくなった我々は自らに負荷をかけることで、生きがいを見いだす必要があるのだろう。たとえ年を取っても、である。