昨夜(3月14日)は仕事と山の会の集まりを兼ねて名古屋に泊まった。
昼から東京で少し用事があったが、午前中は時間があったので、久しぶりに熱田神宮に参詣した。
熱田神宮(神宮前駅)へは名古屋駅から名鉄急行で3駅約6分。駅からでると快晴だが風は冷たい。
信長が桶狭間の戦勝のお礼に寄進した信長塀を過ぎると梅が咲いていた。
「ならずの梅」というそうだ。花は咲いても実はならないとか・・
社殿は重厚である。
その前の楠の御神木は樹齢千年とか・・・
熱田神宮は規模・重厚さにおいて尾張地方を代表する神社だと思うのが、不思議なことに尾張三ノ宮で、同国の一ノ宮は一宮市の真清田神社である。
早春の朝は風が冷たく清々しい。神社に参詣するにふさわしい時である。なお少し時間があったので、初めて「七里(宮)の渡し」を訪ねてみた。
熱田神宮から徒歩で約20分である。水面にはカモメやカイツブリが浮かんでいる。風が冷たく訪れる人は誰もいない。
観光案内板に芭蕉の句が書かれていた。
「海暮れて鴨の声ほのかに白し」「この海に草鞋捨てん傘しぐれ」
海暮れて・・・の句は「野ざらし紀行」に載っている。鴨は冬の季語なので芭蕉翁は冬の夕暮れこの地で薄暮の空に鳴く鴨を見ていたのだろう。
なお現在は手入れの行き届いている熱田神宮だが、芭蕉の頃は荒れていた。野ざらし紀行に「社頭大いに破れ、築地は倒れて草むらに隠る」とある。先ほど見た信長塀なども倒れていたのだろうか・・・
当時東海道を旅する人はここ宮の渡しから対岸桑名の渡しまで船に乗ってしばし樂をしたという。宮の渡し界隈は賑わったと思うが、熱田神宮の整備まで
手が回らなかったのだろうか?あるいは歴史の年輪を重ね衰微する姿に神さびた荘厳さを感じそのままにして置いたのだろうか?
芭蕉に出会う予定はなかったが、ちょっと足をのばしたお蔭で思わぬ出会いをした。このような出会いがあるから小さな旅は楽しい。
春寒に芭蕉に出会う宮渡し 北の旅人