先日某信託銀行の担当者が年末挨拶に来たので少し雑談をした。その中で彼は「海外拠点を持たない僕らの銀行でも、日系企業の海外法人に融資をしたいので営業部では英語の勉強を始めるかもしれません」と言っていた。私は「止めた方が良いよ」と言いかかった盛り上がっている相手の気分を害しても有害無益なので止めることにした。
だが老婆心ながらいうと「止めた方が良い」というには幾つかの理由がある。第一にこれから英語を勉強していては運用難に苦しむ邦銀では間に合わないからだ。中国、インドなど新興国のインフラ投資はこれから相当期間続くが、金融機関の陣取り合戦は熾烈だ。そんなスピード感では間に合わない。
第二に日本で仕事の片手間に英語を勉強しても英語で商売ができるレベルに到達する可能性は低い。政治の世界では「仮免許」運転は大目に見てもらえるかもしれないが、ビジネスの世界は厳しい。ちょっとした聞き違いや意味の取り違いが大きな損失につながることも多い。
第三に百歩譲って英語ができるようになっても、某信託銀行の中でそれが武器になり出世する可能性は低いからだ。何故かと言うと英語のできない上司が嫉妬するからである。企業のトップクラスが英語に堪能でないかぎり、英語が出来ても「便利屋」で終わるだけだと考えるべきだろう。
英語を社内用語にしようという企業もあるが、それは急速に海外展開を図ろうというトップの意思が明確な会社だ。だが国内に基盤を置く会社はそんな無理をする必要は全くないと僕は思っている。使いもしない英語力を求めて英語力の採用試験をするのは愚の骨頂である。
というようなことを考えている時、エコノミスト誌で「世界の第二言語としての英語の時代はやがて終わるかもしれない」というタイトルの記事に出会った。この記事はNicholas Ostler氏のThe Last Lingua Francaの書評である。Lingua Franca(リンガ・フランカ)とはイタリア語を土台としてスペイン語、ギリシア語、アラビア語が混成した言葉で転じて共通語という意味だ。書評によると英語を話す人は10億人以上いるが、第一言語として使う人は3.3億人でその人口は拡大していない。6億人以上の人はリンガ・フランカとして英語を使っている訳だ。著者はやがてコンピュータによる翻訳と音声認識が発達するので共通言語の必要性はなくなり、第二言語としての英語は消えると主張している。それを受けてエコノミスト誌は英語はやがてラテン語のようになるだろうと結んでいる。
今のところ英語の翻訳ソフトは使える代物とは言い難い。だが30年前にはテーブルほどの大きさがあったワープロが手のひらに載る時代(しかも電話やカメラ付きで!)。50年後にかなり使える翻訳・通訳ソフトが出来る可能性も排除はできない。
とはいえそれは50年100年後の話。現在英語力が必要な時はどうすれば良いのだろう?それはバイリンガルな人を使えば良いのである。日本にいる外資系企業は社員に英語教育をするなどというマドロッコシイことはせずバイリンガルを採用する。
某信託銀行さんに話を戻すと、社員に英語を覚えさせるなどという悠長なことはやめてバイリンガルの人に銀行業務を教えた方が早いですよということになる。