2月16日に内閣府が発表したGDPは年率換算で前年比マイナス12.7%だった。これは第一次石油危機以来の落ち込み。記録的なマイナス成長の原因は輸出の低迷で、その大きな原因はアメリカの消費の落ち込みだ。そしてその背景には「エネルギーの転換」と「オーバースペックの終了」という二つの潮流があると私は見ている。
エネルギーについては別に機会に私見を述べたいが、簡単にいうと私は2008年が世界の原油生産のピークだったことが、後世明らかになるのではないか?と考えている(これは以前から述べている)。最近ファイナンシャルタイムズが欧州第3位のエネルギーグループ・トータルのCEOの意見を紹介していた。それによると「世界は今後89百万バレル/日以上の原油を産出することはもうないだろう」とCEOは述べている(因みに3年前国際エネルギー機構は2025年までに130百万バレル/日の産出量に達すると予想しいてた)。
さて本題は「オーバースペックの時代が終わる」という方だ。今日の日経新聞に「割安家電『名』より『実』」という記事があった。話のメインは「節約指向の高まりで、世界的には有名で日本では無名だったブランド~例えば中国のハイアールや韓国のLGエレクトロニクス~の商品が良く売れている」ということだが、私はそれよりも「オーブン機能のない料理を温めるだけの電子レンジが売れている」と事実に興味を持った。記事によると電子レンジで最も売れているのはNeoveというブランドの7,980円の製品。販売店によると「今は安ければある程度機能を省いても気にしない人が増えている」と話している。
これは消費者がオーバー・スペックな商品を買わなくなりつつある・・・ということで私は「今」だけでなく、景気が回復してもこの傾向は続くだろうと考えている。
ところでオーバー・スペックな商品がないという点で、最も典型的なものは私は「登山道具」ではないか?と考えている。「ピンからキリ」とか「松竹梅」という言葉があるが、登山道具にはほとんど「ピンからキリ」や「松竹梅」がないのである。それはある時期のあるルートを登るには最適の道具というものが、限られるからだ。
登山靴という大カテゴリーで見ると価格帯は1.5万円から5,6万円位の幅はある。しかしこれは安い方は夏の低山用の仕様で、高い方は厳冬期用の仕様という仕様の差からくるものだ。厳冬期用の靴に限れば価格にそれ程差がある訳ではない。
これは何故か?と考えると登山道具は「機能」が総てだからだ。高い靴を履いたところで、楽に登ることができる訳ではない。むしろオーバースペックな道具を持つと重たくなり、自らを苦しめる結果となる。自分の技術と登る山に合わせて最も最適の機能を持った商品を選ぶ・・・というのが登山道具選択の大原則なのだ。そうすると各メーカーの価格はほぼ収斂していく(そうはいってもブランド信仰があり、海外メーカーが若干高いが)。
登山とは必要な荷物を背負って自分の手足で山に登るスポーツだが、人間の生活そのものを象徴していると私は考えている。食糧にしろ装備にしろ必要最小限に抑えないと重くなり、自らを苦しめるだけだ。
我々の生活は見直すと随分不要なものを「万一に備えて」とか「ステータスシンボルとして」とかの観点で揃えていることが多い。しかし本当はこれらのものは、自由で弾力性の高い生活を送る上では不要なものである。
不況期に人は精神生活を重視するという。私はその過程でかなりの人々がオーバースペックな商品を敬遠するよになると考えている。これは一時的な現象ではなく、大きな潮流と考えた方が良いのではないだろうか?