金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

子の権現から竹寺へ

2006年09月24日 | まち歩き

9月24日(日曜日)は素晴らしい快晴だった。午前7時に目を覚まし「この天気を利用しない手はない」と思い、奥武蔵の子の権現に行くことにする。子の権現付近は何回も歩いているのだが、最近親父が膝を痛めているので子の権現でお守りを貰うことを少し前から考えていたのだ。さて西武線の時刻を調べると8時半前に所沢に行かないと都合の良い電車がなさそうなので、アタフタと朝飯を食べ花小金井駅まで自転車を飛ばしていく。予定の秩父行き快速に乗り西吾野駅へ向かった。この時期は高麗の巾着田の曼珠沙華が人気で電車は混んでいたが、ほとんどの人は高麗駅で降りた。西吾野駅には9時20分頃到着。降りた人は数名である。

国道を少し飯能の方へ戻り橋を渡って、子の権現への道を辿ると谷沿いの道にシュウカイドウが沢山さいていた。

Shuukaidou

栗も実をつけていた。木の上でカサカサ音がするので目を凝らしえ見るとリスがいた。

谷沿いに立派なお墓がぽつんぽつんと建っている。

鶏頭の 花暗く燃ゆ 山墓に (北の旅人)

お彼岸なので新しいお花が供えてあった。

Kuri

気の早いリスは冬眠に向けて木の実を集め始めているのだろうか?リスの活動は早い年は冬の到来が早いというが今年はどうなのだろうか?(写真にはリスは写っていません)

10時30分子の権現到着。手元のハイキングガイドでは西吾野駅から子の権現は1時間40分なので30分も早く着いてしまったことになる。

Nenogonngennkuri

写真は子の権現の庫裏だ。ベルを押すと中学生と見える女の子が出てきてお札を分けてくれた。小さなスリッパが着いた足腰のお守りを親父のために頂いた。お守りに直接的な効果があるかどうかは知らないが、親父が「息子が自分のことを気にかけている」と思い治療に励む程度の効果はあるだろう。このお寺の御本尊は十一面観音である。十一面観音の信仰は古いが寺の縁起によると西暦911年の建立である。秩父地方は日本最初の銅銭・和同開珎の元になった銅を献上した歴史もあるので、昔から発達していたことが分る。

それにしても911年の建立とは古いものである。

Nenogonhondou

本堂は今造りで新しそうだ。境内には大きな鉄(かね)の草鞋が奉納されていた。

Kanenowaraji

子の権現から「関東ふれあいの道」にもなっている山道を辿って竹寺に向かった。竹寺到着は11時25分。山道を小走りで辿ったのでコースタイムの半分で着いてしまった。

竹寺は正式には天王山八王子というが、神仏混淆の姿を残す珍しい存在である。本堂は牛頭天王をお祀しているがお堂の裏には二本の御神木が立っている。またお堂への道には鳥居が並んでいる。

Takedera1

Takedera2

竹寺から中沢のバス停まで舗装道路を歩いた。中沢のバス停についてのは12時15分である。次のバスは1時15分で1時間の待ち時間があった。バス停でオニギリを食べた後、バス道にそってバス停4つ分程歩いてみた。道は小さな渓谷に沿っていて、道端にはヤマメを放流しているという立て札が立っていたが、川を見ても魚影はほとんどなかった。1時20分にバスに乗り2時前に飯能に到着。こうして初秋の奥武蔵散策は終わったが、カラッとして実に気持ちの良いハイキングだった。

コメント
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