金融そして時々山

山好き金融マン(OB)のブログ
最近アマゾンKindleから「インフレ時代の人生設計術」という本を出版しました。

アルファに賭ける危うさ

2006年09月15日 | 株式

最近の新聞によると株式市場がぱっとしない割には日本で投信の残高が伸びているということだ。推察するに銀行等販売会社が相当力を入れていることによる部分が大きい。金融機関の努力は評価するが、意地の悪い言い方をすると投資家から相当な資金が販売会社に流れている訳だ。投資家の観点から言えば販売手数料であれ、運用報酬であれ払うコストが低いに越したことはない。「いや高い運用報酬を払ってもリターンが高ければペイする」と主張する向きもあろう。そのとおりかもしれないしそうでないかもしれない。この点についてエコノミスト誌が「アルファの賭」Alpha bettingという記事を書いている。参考になるのでポイントを紹介しよう。

  • 資産運用の世界は上場型投信(ETF)やパッシブファンドのように極めて低い報酬で市場パフォーマンスを追及するタイプと代替投資のように高い報酬で高いパフォーマンスを追及するタイプに二極化している。
  • モルガンスタンレーによれば上場型投信は過去1年間で16.7%残高が増え、約4,870億ドルの資産となっている。また2011年までに2兆ドルに増加すると予想している。
  • 対極にある代替投資は2005年に2割増加し、1.26兆ドルになっている。全世界ベースで見ると投資家のタイプ別では年金基金が36.8%、超富裕層が15.4%、投資信託が13.0%、保険会社が9.5%、財団・基金が2.8%、その他が22.5%となっている。
  • 資産運用業界が他の業種と異なるところは、高い報酬を払うことが必ずしも高いサービスを得ることにつながらないという点だ。実際今年の1月から8月末日の間のヘッジファンドの平均リターンは4.2%だったが、これはS&Pインデックスの平均リターン5.8%を下回っている。
  • では何故投資家は高い報酬を払うのか?その一部の理由は投資家が市場リターンと運用者が獲得する超過リターンの違いを理解してきたからである。その結果伝統的なバランスファンドの運用者は減少して、コア・アンド・サテライト・モデルが流行している。コアとはパッシブファンドであり、サテライトとはスペシャリストが運用するアルファ追求ファンドである。スペシャリストの運用成果を調査しモニターすることは一層難しい。そこでミドルマン(日本ではゲートキーパーと呼ぶことが多い)と呼ばれるマネージャーズ・オブ・マネージャーズとかファンズ・オブ・ファンズなどが登場してくる。このためには更にコストがかかるが、研究が示唆するところは、超過リターンを獲得できるファンドマネージャーを事前に選ぶことは極めて困難である。
  • たとえ優れたファンドマネージャーを選ぶことが出来たとしても、超過リターンの多くの部分は高い報酬のためにファンドマネージャーに吸い取られるとシュローダーのアラン・ブラウン氏は言う。
  • 2000年から2002年にかけての弱気相場から株式と債券の将来のリターンについて冷静な再評価が行われ、債券は4-5%で株式は3%~この部分は個人的には疑問あり~程度のリターンであり、複合して6%のリターンを狙うことは不適当であると思われた。しかし米国の年基金基金は負債サイドの要請から積立不足を生めるため6%以上のリターンを求められた。このためアルファや代替投資が求められたのである。
  • 分散投資は金融市場における「フリーランチ」であると考えられるが、代替投資市場は小さすぎて分散投資効果を期待し難い。また高いパフォーマンスをあげているファンドマネージャーは希釈化を避けるため、新規資金を謝絶している。従って高いスキルを持ったファンドマネージャーを見つけることができてもそこに投資することはできないのである。
  • 投資家はコストが低い上場型投信やパッシブファンドがあってもアルファを追い求め続けるだろう。ワトソン・ワイヤットのクレイグ・ベーカー氏によると「総ての投資家が市場平均以上のリターンを得ることはできないが、優れたファンドマネージャーを見つけたものが先行者利得を得られると信じるものがいる限り、ファンドマネージャーは高い報酬を課すことができるという。

この話は機関投資家を念頭に置いた話に見えるが、我々日本の普通の個人投資家について考えてみよう。機関投資家はアクティブファンドマネージャーに高い報酬を払うといってもその報酬率は個人が投資信託等で払う報酬に比べるとはるかに低い。それでもエコノミスト誌は高い報酬を払って不確かなアルファを追求する意味があるのですか?と疑問を呈しているのだ。

個人の資産運用を考える場合、報酬とリターンの問題はもっと重要だろう。このことをきっちり理解することが金融リテラシーの第一歩であると思う。

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酒田への小旅行

2006年09月15日 | 旅行記

9月11日(月曜日)当初の計画から外れるが湯殿山から酒田に向かった。理由は日本列島を前線が覆い雨模様の中、北の方が天気が良さそうので山形県の最北に位置する酒田を訪ねようというものだ。実際車が酒田に近づくにつれ雨はあがってきた。9時半頃本間家旧本邸に到着。ここで1200円出して本間美術館との共通券を買う。本間家旧本邸は本間家三代目光丘(みつおか)が建てたもので20以上の部屋がある。「本間様には及びもならぬが、せめてなりたやお殿様」と言われた本間家であるが、建物や装飾は質素である。

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質素であったからこそ、本間家は長く続いたのであろう。「昔より賢き人の富めるは希なり」とは徒然草の一節であるが、本間家はその希な方だったのであろう。

Honnmakyuutei2 本間家旧本邸の向かいには本間家の店が復元されている。また市役所の方に数百メートル歩くと酒田を代表する廻船問屋鐙屋の建物がある。

鐙屋を見た後車で本間家の別荘跡の本間美術館に向かった。写真奥の書院造二階建の建物は遠清閣と呼ばれていたとのこと。

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また手前の庭園は鶴舞園(かくぶえん)と言う。案内の方の話では本間家は雪のため冬に仕事がなくなる廻船関係の人等に仕事を与えるためこの別荘を作り、造作などの作業をさせたということだった。なお高い建物がなかった昔は遠清閣の二階から鳥海山を望むことができたということだ。

なお遠清閣の二階には本間家所蔵の陶器・掛け軸等の展示があるが目をむく程の逸品は見当たらない様な気がした。深く蔵しているのかもしれないがあるいは代々美術工芸品にそれ程固執しなかったのかもしれない。この辺りはいずれ勉強したいところだ。

さて酒田とその隣の鶴岡に関して私は二人の人物に興味があった。それは藤沢周平と石原莞爾である。この二人に共通するところがあるとすればそれは地位、名誉、金といったものに淡白だったことだろう。どこか本間家歴代の金銭的な淡白さに通じるものがあるような気がするがこれを以って庄内人の気質とまで持ち上げては言い過ぎになるかもしれない。

今回時間がなく藤沢周平や石原莞爾に関わる旧跡をたどることができなかったことは残念だった。機会を改めて庄内に旅をせよということなのだろう。

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