いま、『人間行動学の基礎』(仮題)の原稿を書いておりまして、なんとか今月中に終わらせ、電子ブック(voyagerの.book)で販売しようと考えています。
そこでは体癖論についても触れるつもりです。いままで私がブログで書いてきたものよりやや詳しい解説を載せようかと思い、まとめているところです。
体癖論は背骨の状態と密接な関係があるのですが、そのあたりは省かないと一般の人にはわかりにくいでしょうね。ですから、そこはオミットせざるをえない。そこはやや残念なところでもあるんですがね。
先日は、6種のことをまとめておりましたが、そのとき6種の代表的人物である太宰治をちょっと調べてみたのです。
相当破壊的な人物です。私なんかは人間のくずだと思う。
たとえば、3回しかあったことのないカフェの女と心中事件を起こす。熱海の夜の海に二人で飛び込み、女が苦しんでしがみついてくると、それを蹴飛ばす。女は死んで、自分は生き残る。
『走れメロス』は、中学校時代だったか、国語の教科書に載っていて、私は読んだとき爽快な感じがしました。しかし、この話を聞くと素直にそうとは思えませんよ。
実は、太宰はたいへんな借金を重ねていました。友人の壇一雄が太宰の妻から預かった金を熱海の宿屋に届けにくると、それを壇とともに遊興に使い果たす。
宿屋に未払いの金があるので、壇を残して自分は東京に借財しにいくわけです。ところが、太宰は壇が待てども待てども金をもって帰ってこない。
壇は心配になってきた。それで宿屋の許可を得て井伏鱒二の家に様子を見に行くと、太宰はのんきに将棋をさしていたというのです。
それでは壇も怒るでしょう。
太宰はこう言い訳したそうです。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
それが有名な『熱海事件』で、のちの『走れメロス』を書くきっかけになったというのですからねえ。
あきれてものがいえません。「待つ人間」のことなんかほんとに考えていたんですかねえ。
物書きの書いたものは、それ自体で評価されればいいわけですから、作品と人間性とは全然別物です。
それはそうなんですが、それにしてもメチャクチャな人間です。
昔の作家は、社会生活に適さない、ほんとにどうしようもない人だったんだなと思いますよ。
ただね、体癖論で気をつけなければならないのは、全部の6種が太宰治のような生活をしている人間ではないということなんです。
基本的な感受性には共通するものがある。でも、実際の行動はまるで違うことは当然ありえます。
超極端な例を観察するのは、すごく焦点がはっきりして参考にはなりますが、だからといって、6種のすべてが太宰治のようだと見るのは間違いですね。でも6種にはそういうところが少しあるんですかねえ。
そこでは体癖論についても触れるつもりです。いままで私がブログで書いてきたものよりやや詳しい解説を載せようかと思い、まとめているところです。
体癖論は背骨の状態と密接な関係があるのですが、そのあたりは省かないと一般の人にはわかりにくいでしょうね。ですから、そこはオミットせざるをえない。そこはやや残念なところでもあるんですがね。
先日は、6種のことをまとめておりましたが、そのとき6種の代表的人物である太宰治をちょっと調べてみたのです。
相当破壊的な人物です。私なんかは人間のくずだと思う。
たとえば、3回しかあったことのないカフェの女と心中事件を起こす。熱海の夜の海に二人で飛び込み、女が苦しんでしがみついてくると、それを蹴飛ばす。女は死んで、自分は生き残る。
『走れメロス』は、中学校時代だったか、国語の教科書に載っていて、私は読んだとき爽快な感じがしました。しかし、この話を聞くと素直にそうとは思えませんよ。
実は、太宰はたいへんな借金を重ねていました。友人の壇一雄が太宰の妻から預かった金を熱海の宿屋に届けにくると、それを壇とともに遊興に使い果たす。
宿屋に未払いの金があるので、壇を残して自分は東京に借財しにいくわけです。ところが、太宰は壇が待てども待てども金をもって帰ってこない。
壇は心配になってきた。それで宿屋の許可を得て井伏鱒二の家に様子を見に行くと、太宰はのんきに将棋をさしていたというのです。
それでは壇も怒るでしょう。
太宰はこう言い訳したそうです。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
それが有名な『熱海事件』で、のちの『走れメロス』を書くきっかけになったというのですからねえ。
あきれてものがいえません。「待つ人間」のことなんかほんとに考えていたんですかねえ。
物書きの書いたものは、それ自体で評価されればいいわけですから、作品と人間性とは全然別物です。
それはそうなんですが、それにしてもメチャクチャな人間です。
昔の作家は、社会生活に適さない、ほんとにどうしようもない人だったんだなと思いますよ。
ただね、体癖論で気をつけなければならないのは、全部の6種が太宰治のような生活をしている人間ではないということなんです。
基本的な感受性には共通するものがある。でも、実際の行動はまるで違うことは当然ありえます。
超極端な例を観察するのは、すごく焦点がはっきりして参考にはなりますが、だからといって、6種のすべてが太宰治のようだと見るのは間違いですね。でも6種にはそういうところが少しあるんですかねえ。
戦中戦後、あの時代に生きた一作家をさして「ほんとにどうしようもない人」と称する時点で、このエントリーを付け焼刃の知識と個人の好き嫌いで書いたとしか思えません。
自身の専門外を引用するときは徹底的に調べ上げてからお願いします。引用元も明記してください。
そうでないとせっかくのエントリーが説得力ゼロになりますから。
一作家…作家
あとひとつ、
「昔の作家」と一般化しないでいただきたい。
その論調なら檀一雄も(現代の価値観でいえば)相当痛い人間といえますよね?
基本的に、私の個人的好き嫌いで書いていることはその通りです。
そのどこがいけないのでしょうか?
学者の論文ではありませんから、いちいち出典など書いておりません。
信用できないと思われたら、どうぞスルーしてください。
シカヲさんは太宰ファンですか?
作品と人間性は別ですから、作品を評価されることに対しては私はまったく異論はありませんよ。個人の好き好きですからね。
ただし、太宰治は人間としては下等な人間だと思っています。
3回しか会ったことのない女と海に飛び込んで、救いを求める女を蹴飛ばして水死させ、自分は生き残るんですから。最低ですよ。
昔はこういうことが評価される時代だったのでしょうか?
いや、いま以上に厳しく糺弾された時代だったのではないでしょうか。
>檀一雄も(現代の価値観でいえば)相当痛い人間といえますよね?
壇一雄のことは詳しくしりませんが、当時の価値観からすれば、太宰も壇も今よりもっと「痛い人間」だったのではないでしょうか。
作家は、浮世離れした人が多いのは今も昔もそうのなかもしれません。