政府の審議会とか委員会というのはなんなんでしょうね。今日はこれを論じますが、その前におわび。昨晩、この新聞記事について書こうと思い、新聞記事だけ草稿モードに保存しておこうと思ったのですが、誤って公開モードにしてしまいました。そうしたところ、閲覧数がちょっと増えてしまいましたね。多分、がっかりされた、だまされたという人がいたと思います。だますつもりはなかったのですが、たいへん失礼しました。
「委員会の法則」
コロンブスはアメリカ大陸を探しに行くにあたって、スペイン女王に金を出してくれと頼んだわけですが、もしこのとき女王が審議会委員に意見を諮問したら絶対許可されなかっただろう、というジョークがあります。
大勢の人がいればいるほど、極論とかユニークな意見は抹消されていくということです。ですから、イノベーションは、大勢の人が賛成したものはまず失敗するか、あるいは画期的なものとならないと言いますね。
バーナード・ショーは「訳のわかった人は自分を世の中に適合させる。わからず屋は自分に世の中を適合させようとがんばる。だからすべての進歩はわからず屋のおかげである」と言っています。
彼はまた、「すべて偉大なる真理は、最初は冒涜の言葉として出発する」とも言っています。
ということのようですから、「塾は禁止」という野依先生の意見も聞くに価するということなんでしょうか。私にはとてもそうとは思えませんが。
「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調(朝日新聞) - goo ニュース
「社会システムから考える教育システム」
だいたい、政府の委員会というのは、一種のガス抜きなんでしょ。役人が荒筋を決めていて、識者と呼ばれる人の意見も十分聞いたぞと、体裁を飾る程度のものです。だから、適当に委員に言わせるが、ペーパーをまとめるのは役人ですから、余計なことは報告書には全然反映されない。
そういうものに金を使うのはいい加減やめたらどうかと思いますよ。はっきりいて、委員会の委員というのは、ほとんど素人でしょう。専門家が集まって突っ込んだ意見をまとめるという感じではないですね。
素人衆の意見を聞くなら聞くで、また別の機会を設ければいいと思います。といっても、タウンミーティングのようにやらせに走るのでしょうけど。
野依先生という人はりっぱな学者なんでしょうけど、教育の仕組みを考えるべき人間とは到底思えませんね。
すでにブログでいろいろ言われておりますが、「塾を禁止するだけではなんの解決にもならない」というあたりが多いようです。私もそう思いますよ。
多くの人が明確には意識していませんが、暗黙に感じているのは、学校教育というのは社会の〝従属変数〝ということです。
拙著『先見力訓練法』(文芸社)に書いたことを掲載しますので、お考えいただきたいのです。
「教育とは、きわめて実利的な社会ニーズを満たすことを求められるものだ。教育は産業界や親が求める人材を養成することに追われる」
「教育改革をなすには、何が必要か。教育内容に最も関心を抱くものは、いうまでもなく子供の親たちである。親の求める内容と違う教育を行えば、直ちに問題となる。では、親たちは何を求めているのか。多くの親が求めている教育とは、大企業に就職するための教育である。つまり平均的にバランスがとれ、オールラウンドに優れていて、常識的であまりおもしろみのない人間の養成である」
「冷めた言い方をすれば、教育は国家や産業界の要請に忠実なものであるということだ」
「現在の日本は、この産業界と教育との関係を取り違えているようだ。日本人は教育によって世の中が変えられるという幻想と錯覚に陥っている。実際は、産業界が変わることで、あるいは産業界の要請によって、はじめて教育が変わるのである。教育で社会や産業を変えようなどという考えは、さっさと捨てるしかない」
6年前に書いたものですが、今振り返ると、教育界に対して相当皮肉に書いていますね。しかし、根本は変わらんでしょう。
大学を運営している人たちなら、こういうことにもある程度うなずいてくれると思います。少子化に伴い、経営がたいへんになっていますからね。
しかし、学者バカさんには世間のことがまったくわかっていないということです。大学という狭い社会だけ見ているから、こんな馬鹿げた意見しかでてこない。
塾を禁止すれば大きな効果が出るなんて、そんな馬鹿げたことがあるわけがない。そんなことをしたら、親から猛反発が出ますよ。
世の中全体の仕組みがそうなっているところに、教育だけ変えようたってろくなことにはならない。そういうことは、最近問題になった高校の履修時間不正問題でも明らかではありませんか。
ゆとり教育をしたら、授業時間数が足りなくなったので、受験に関係ない科目を理屈をつけて割愛したということでしょう。それがばれたということ。教育だけ変えたって、世の中のニーズや社会の環境が変わらない限り、そういうことがまた起きるということです。
たとえ塾を禁止したって、どうせアングラが出てきますよ。禁酒法のようなことになるのは目に見えている。それに、そもそも、こういうものを禁止する根拠がどこにあるのかわかりませんしね。
こんな非現実的なことを言っている人間に高い委員謝礼を払うのは税金の無駄です。犯罪行為だ。もし、こんな発言が酒飲んでくだ巻いて、勢いあまって出たというのであるなら、まあ許されるかもしれないが、今度は委員会で酒を飲みながらやるなんてとんでもない、ということになってしまう。
どっちにしろ、もうちょっとまともで現実をよく理解している専門家を登用しないと、税金の無駄づかいだと思いますよ。
「委員会の法則」
コロンブスはアメリカ大陸を探しに行くにあたって、スペイン女王に金を出してくれと頼んだわけですが、もしこのとき女王が審議会委員に意見を諮問したら絶対許可されなかっただろう、というジョークがあります。
大勢の人がいればいるほど、極論とかユニークな意見は抹消されていくということです。ですから、イノベーションは、大勢の人が賛成したものはまず失敗するか、あるいは画期的なものとならないと言いますね。
バーナード・ショーは「訳のわかった人は自分を世の中に適合させる。わからず屋は自分に世の中を適合させようとがんばる。だからすべての進歩はわからず屋のおかげである」と言っています。
彼はまた、「すべて偉大なる真理は、最初は冒涜の言葉として出発する」とも言っています。
ということのようですから、「塾は禁止」という野依先生の意見も聞くに価するということなんでしょうか。私にはとてもそうとは思えませんが。
「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調(朝日新聞) - goo ニュース
「社会システムから考える教育システム」
だいたい、政府の委員会というのは、一種のガス抜きなんでしょ。役人が荒筋を決めていて、識者と呼ばれる人の意見も十分聞いたぞと、体裁を飾る程度のものです。だから、適当に委員に言わせるが、ペーパーをまとめるのは役人ですから、余計なことは報告書には全然反映されない。
そういうものに金を使うのはいい加減やめたらどうかと思いますよ。はっきりいて、委員会の委員というのは、ほとんど素人でしょう。専門家が集まって突っ込んだ意見をまとめるという感じではないですね。
素人衆の意見を聞くなら聞くで、また別の機会を設ければいいと思います。といっても、タウンミーティングのようにやらせに走るのでしょうけど。
野依先生という人はりっぱな学者なんでしょうけど、教育の仕組みを考えるべき人間とは到底思えませんね。
すでにブログでいろいろ言われておりますが、「塾を禁止するだけではなんの解決にもならない」というあたりが多いようです。私もそう思いますよ。
多くの人が明確には意識していませんが、暗黙に感じているのは、学校教育というのは社会の〝従属変数〝ということです。
拙著『先見力訓練法』(文芸社)に書いたことを掲載しますので、お考えいただきたいのです。
「教育とは、きわめて実利的な社会ニーズを満たすことを求められるものだ。教育は産業界や親が求める人材を養成することに追われる」
「教育改革をなすには、何が必要か。教育内容に最も関心を抱くものは、いうまでもなく子供の親たちである。親の求める内容と違う教育を行えば、直ちに問題となる。では、親たちは何を求めているのか。多くの親が求めている教育とは、大企業に就職するための教育である。つまり平均的にバランスがとれ、オールラウンドに優れていて、常識的であまりおもしろみのない人間の養成である」
「冷めた言い方をすれば、教育は国家や産業界の要請に忠実なものであるということだ」
「現在の日本は、この産業界と教育との関係を取り違えているようだ。日本人は教育によって世の中が変えられるという幻想と錯覚に陥っている。実際は、産業界が変わることで、あるいは産業界の要請によって、はじめて教育が変わるのである。教育で社会や産業を変えようなどという考えは、さっさと捨てるしかない」
6年前に書いたものですが、今振り返ると、教育界に対して相当皮肉に書いていますね。しかし、根本は変わらんでしょう。
大学を運営している人たちなら、こういうことにもある程度うなずいてくれると思います。少子化に伴い、経営がたいへんになっていますからね。
しかし、学者バカさんには世間のことがまったくわかっていないということです。大学という狭い社会だけ見ているから、こんな馬鹿げた意見しかでてこない。
塾を禁止すれば大きな効果が出るなんて、そんな馬鹿げたことがあるわけがない。そんなことをしたら、親から猛反発が出ますよ。
世の中全体の仕組みがそうなっているところに、教育だけ変えようたってろくなことにはならない。そういうことは、最近問題になった高校の履修時間不正問題でも明らかではありませんか。
ゆとり教育をしたら、授業時間数が足りなくなったので、受験に関係ない科目を理屈をつけて割愛したということでしょう。それがばれたということ。教育だけ変えたって、世の中のニーズや社会の環境が変わらない限り、そういうことがまた起きるということです。
たとえ塾を禁止したって、どうせアングラが出てきますよ。禁酒法のようなことになるのは目に見えている。それに、そもそも、こういうものを禁止する根拠がどこにあるのかわかりませんしね。
こんな非現実的なことを言っている人間に高い委員謝礼を払うのは税金の無駄です。犯罪行為だ。もし、こんな発言が酒飲んでくだ巻いて、勢いあまって出たというのであるなら、まあ許されるかもしれないが、今度は委員会で酒を飲みながらやるなんてとんでもない、ということになってしまう。
どっちにしろ、もうちょっとまともで現実をよく理解している専門家を登用しないと、税金の無駄づかいだと思いますよ。