家には何冊かの自費出版、もしくは半自費出版本がある。
親戚の人間が出版したものを年始回りの時に置いていった本があるが、笑顔とありきたりの社交辞令で受け取っても大半の人がただ受け取るだけだと思う。実際数冊手渡されたその書籍を実際に読了したのは、多分親戚中でわたしだけだと思われる。
半自費出版本とは、一定の部数の本の出版に関して、自費出版を手がける出版社と共同出資で出版され、書店にも配本されるシステムらしい。たいがいは与えられるのはチャンスだけで、残るのは行き場のない本の山と、経費に対しての請求書という展開のようだ。
個人が本を出版したい、個人の書籍を購入して読みたい、この両者にはかなりの距離があり、販売される形での出版に至らせる本を作るのは、結局百万円単位の金を使う「道楽」というものらしい。
ウェブ上に「書きたい人」が山ほど存在する中で、書籍が商品として成立し、「読まれる本」となるのは、ほんの一握りだと思う。
そうした「個人の書籍」に類するもので、わたしにとって大事な書籍として本棚に並んでいる代表作はこちら。
あの子の笑顔は永遠に
笹井 裕子 著
(ホームページ自費出版図書館より借出可能)
ウェブ上で閲覧できる書評
*「あの子の笑顔は永遠に」書評/特定非営利法人(NPO)日本せきずい基金
*「ある頸損者のベンチレータ事故死」 /"WORKING QUADS" HomePage 働く四肢まひ者たち(ワーキング・クォーズ)
夢を持って体操に取り組んでいた少年が、ある日突然、事故に遭う。それは練習中の事故、体操クラブの指導ミス。そして頸椎損傷者としての人生が始るが、19歳でその生涯は終わる。原因は命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障。この突然の故障に、不幸な状況も重なっている。24時間介護にあたっていた母親が救急車を呼ばなければならないほどの大量の鼻血、そしてその後の耳鼻科受診時。母の留守中に徹夜明けで介護にあたっていた兄が、その故障の時に居合わせており、自分を責める弟の最期という展開。事故が発生したことに関しての裁判にも至る問題、命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障、家族による24時間介護の過酷さの問題等、個人の体験談を超える貴重な手記と認識している一冊。新聞紹介により、直接著者に電話を入れ、購入。多数の反響の中、丁寧な応対と内容のお話を直接お聞きすることもでき、著者の人柄にふれられたこと、丁寧なメッセージを書かれた手書きの紙がそえられていたこと等も含め、わたしにとっては貴重な一冊。
詩集 ふうか
脇坂 安郎 著
赤ん坊が生まれた。その赤ん坊はダウン症だと父親は聞かされる、母親はまだ知らない。出生後すぐに集中治療が必要になり別の病院に搬送された我が子に、父親は母親が搾乳した母乳を届ける日々が始まる。そして母親への告知。
個人の体験が美しい旋律のように記された一冊。心象風景が見えてくるような内容の高さだけでなく、装丁や行間、本の大きさ等、書籍ならではの価値は高いと思う。アマゾンにて、元価格より高いユーズド価格で出品されていることも注目に値する。入手は購入ではなく、著者から直接いただいたのだが、プレゼントとして使いたくて改めて購入させていただいた経緯がある。
以下、母親が赤ん坊がダウン症だと告知された日を綴った一編の一部を引用。
親戚の人間が出版したものを年始回りの時に置いていった本があるが、笑顔とありきたりの社交辞令で受け取っても大半の人がただ受け取るだけだと思う。実際数冊手渡されたその書籍を実際に読了したのは、多分親戚中でわたしだけだと思われる。
半自費出版本とは、一定の部数の本の出版に関して、自費出版を手がける出版社と共同出資で出版され、書店にも配本されるシステムらしい。たいがいは与えられるのはチャンスだけで、残るのは行き場のない本の山と、経費に対しての請求書という展開のようだ。
個人が本を出版したい、個人の書籍を購入して読みたい、この両者にはかなりの距離があり、販売される形での出版に至らせる本を作るのは、結局百万円単位の金を使う「道楽」というものらしい。
ウェブ上に「書きたい人」が山ほど存在する中で、書籍が商品として成立し、「読まれる本」となるのは、ほんの一握りだと思う。
そうした「個人の書籍」に類するもので、わたしにとって大事な書籍として本棚に並んでいる代表作はこちら。
あの子の笑顔は永遠に
笹井 裕子 著
(ホームページ自費出版図書館より借出可能)
ウェブ上で閲覧できる書評
*「あの子の笑顔は永遠に」書評/特定非営利法人(NPO)日本せきずい基金
*「ある頸損者のベンチレータ事故死」 /"WORKING QUADS" HomePage 働く四肢まひ者たち(ワーキング・クォーズ)
夢を持って体操に取り組んでいた少年が、ある日突然、事故に遭う。それは練習中の事故、体操クラブの指導ミス。そして頸椎損傷者としての人生が始るが、19歳でその生涯は終わる。原因は命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障。この突然の故障に、不幸な状況も重なっている。24時間介護にあたっていた母親が救急車を呼ばなければならないほどの大量の鼻血、そしてその後の耳鼻科受診時。母の留守中に徹夜明けで介護にあたっていた兄が、その故障の時に居合わせており、自分を責める弟の最期という展開。事故が発生したことに関しての裁判にも至る問題、命をつなぎ止めるはずの医療機器の突然の故障、家族による24時間介護の過酷さの問題等、個人の体験談を超える貴重な手記と認識している一冊。新聞紹介により、直接著者に電話を入れ、購入。多数の反響の中、丁寧な応対と内容のお話を直接お聞きすることもでき、著者の人柄にふれられたこと、丁寧なメッセージを書かれた手書きの紙がそえられていたこと等も含め、わたしにとっては貴重な一冊。
詩集 ふうか
脇坂 安郎 著
赤ん坊が生まれた。その赤ん坊はダウン症だと父親は聞かされる、母親はまだ知らない。出生後すぐに集中治療が必要になり別の病院に搬送された我が子に、父親は母親が搾乳した母乳を届ける日々が始まる。そして母親への告知。
個人の体験が美しい旋律のように記された一冊。心象風景が見えてくるような内容の高さだけでなく、装丁や行間、本の大きさ等、書籍ならではの価値は高いと思う。アマゾンにて、元価格より高いユーズド価格で出品されていることも注目に値する。入手は購入ではなく、著者から直接いただいたのだが、プレゼントとして使いたくて改めて購入させていただいた経緯がある。
以下、母親が赤ん坊がダウン症だと告知された日を綴った一編の一部を引用。
君を抱いてお乳を与える妻も(所蔵用とは別に「貸出用」があるので、関心ある方は左メニューのメールフォームからご連絡下さい)
いつのまにかうつらうつら
その頬に涙の跡が幾すじも
陽にひからびている
ああ 今日は小春日和だ
(「小春日和の母子」より)