S嬢のPC日記

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「女のドラマ」と「女のロマン」

2005年10月10日 | つぶやき
女のロマンとはなにか/また君か。@d.hatena
これ、 AdYandWさんのはてなブックマークから見つけたので、この場合、以下のように入れるのでしょうか。
情報元/せかたん定点観測所(建設予定地)

と、これは前置き。
「女のロマン」ですが。
これ、「女のドラマ」として、実は以前友人と盛り上がったネタ。

女性はですね、
体内に「ドラマ」を持っている。
毎月毎月、体内のドラマは動き続けています。
分泌、乳房、体温等の体の生理的変化、食欲・睡眠等の体質の変化、気分や情緒等精神的な変化。
そのそれぞれの変化の表れ方に大なり小なり個人差はあれど、基本的には「体内ドラマ」盛りだくさんです。
基礎体温というのを記録してみると、一ヶ月の内に体温が上がったり下がったり、グラフ上にはっきりと曲線としてその「体内ドラマ」が記載される。
これが正常なドラマの曲線を描かなければ、それはまたドラマだ。
なんつったって、唾液さえ変化する。

生む性である。
人生設計上、「体内時計」というものがある。
生むか生まないか、相手がどうのということを超えて、自分のからだがカチカチと、「生む力を持てるタイムリミット」へと時を刻む。
このタイムリミットまでにどこかでなんとかしないと、体にいっぱい詰め込んだ「卵」が全て無駄になる。
「生む性」というものを選ぶことのできない体質ならば、それはまた「ドラマ」だ。

なんというか、何にもしなくたって、日常的に、もう、体内にドラマだらけで忙しくってしょうがない。
そして一番スゴイのは、この「体内にドラマが常に展開している」ということに当たり前になっていることだと思う。
毎月だらだらと出血しながら、どんどん変化・進化していく生理用品を、ごく日常的に商品特性なりにピックアップする。
商品特性なんぞどうでもよく、セール品の価格を一番の視点にする場合もある。
実に実に日常的なことなのだけれど、リビングのテレビから流れるCMで「ズレ」だの「モレ」だのと言われて、ビビったことのない男性も少なくないんじゃないかとわたしは思う。
女性というものは、平然と体内にドラマを内在している。

男性には、性衝動という体内ドラマがあるのかもしれない。
性癖、性志向というドラマもあるかもしれないが、これに関しては、持っている女性だっている。
つまり、何にもしないところでも常にドラマが展開されている女性に比べたら、男性は「何かしないとドラマが生まれない」。
自然、自分の意志で「男のロマン」、つまり「待っていては生まれないドラマ」を生みだしていこうとする。

女性も、自分のドラマは作りたいと思う。
女のロマンだって持ちたい。
でも、そのためには「体内ドラマ」を併行して持てることが条件になる。
数回経験すれば完全に日常となっていく、もしくは日常とすることが強いられていく毎月の「ドラマ」との併行は必須。
これは難なく併行所持できる人もいれば、かなりの努力を強いられる人もいる。
そして大きくそびえたつのは、自分の「生む性」と向かい合うことだ。

動物的、生物的に、この「卵」なんとか有益に使いたいと思う本能があるならば、絶対として出てくることは「卵だけでは生まれない」ということ。
相手というもんが要りますわね。
この相手、というのは「男性」だ。
男のロマンをひっさげた「男性」と、体内ドラマを内在した「女性」が向かい合う。

恋愛はドラマだ。
女性の体において、卵を受精させるための行為に使われる神経細胞の活動もまた、ドラマだ。
この、卵を受精させるための行為に使われる神経細胞の活動のドラマだって、実に複雑怪奇、個人差に満ち満ちていて、そりゃ感覚器官総動員して大変なモンだ。
感覚器官総動員という精神的状況でない場合は、全ての神経細胞が「マヒする」という現象が起きるのも、また女性の体のドラマだと思う。

女が「男のロマン」に匹敵する「女のロマン」を持ち、維持するためには、これだけの「女性が常に持っているドラマ」を併行して持つエネルギーと意志力がいる。
そういう人もたまにはいるかもしれないけれど、女性が女性なりに自分のドラマを内在させた「女のロマン」を持つ方が、わたしは自然な展開だと思う。

女性が女性なりに自分のドラマを内在させた「女のロマン」とはなんぞや。
男性がもしもそれが知りたいと思うならば、自分が出会って選んだ「女」に聞いてごらん。
きっとそこに答があるんだと、わたしは思うよ。
自分が選んだ女性の返答に「答」が聞こえてこないならば、まだまだ修行が足りないかもね。

以上、「論評」ではなく、「ネタ」です。
そこんとこ、よろしくです。