S嬢のPC日記

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姑の入院 つれづれ

2005年12月29日 | つぶやき
 子どもたちは冬休みに入り、ちょこちょこと姑のいる病院に連れていっています。

小児病院や小児病棟での入院で「きょうだい児及び子どもの面会禁止」に慣れていたわたしは、姑の入院後、子どもを面会に連れて行くという発想が全然無かった。
いや、普通の病院なんだからいいんではないかと思い、とりあえず1人ずつ連れていった冬休み前。そしてどうやら騒いだりしなければ、長居しなければ問題は無さそうだと判断。

 息子は、すっかり病人の様相を見せる姑に対して見せたショックが、姑に悟られてしまいました。また面会という時間の持ち方に手持ちぶさたになる。わたしには「いつ退院できるのか」と聞く。姑の現在を飲み込んでいく成熟を、彼はまだ持ち合わせていないんでしょう。
それでも姑にとっては大事な孫。旧家に嫁ぎ、跡取りという思考が強い姑にとっては、息子は大事な跡取りで、かわいさもひとしおのようで、顔を見せれば喜ぶので息子に言い聞かせて連れていく。

 何の配慮もいらず、安心して連れて行けるのが、娘の方。病人の様相を見せる姑に対して、こちらは全く動じず、また違和感無しに、療養前と変わらない日常のテンションで「おばあちゃん」と声をかける。
「おば あ ちゃん、 だ い じょうぶ?」
療養前とちっとも変わらない稚拙な言い回しに、聞いているわたしでさえも、日常を取り戻すかのようにほっとする。
看護師さんが来ると、彼女の意識がすっと前に出るのを感じる。そうそう、これはこのとき感じたことと全く同じ。
ベッドのそばの小さな丸椅子にちょこんと座る。意識はまっすぐ姑に向いていて、「アタシが看病しています」という真剣な顔つきになっている。

 療養と、少しずつ始まったリハビリ。退院、在宅まではまだ数ヶ月かかるだろうし、退院すれば介護という状態にもなると思う。姑は今までのように自分ひとりで出歩くことはもうできない。家を出ない日は多くなるだろうと思う。
 それでも、わたしには、小さな安心状態がひとつ生まれたような気がする。姑が、体が思い通りにならないという状態ならば、娘はきっと活躍してくれるだろう。まっすぐに、必要な優しさだけを持ち、自分が役に立つのだという意志と自負とをきっと持つだろう娘の存在に、姑はきっと心が助けられるんではないかと推測。

 病院に娘を連れて行くこと。病院で出会う医療従事者たちは、娘を見るだけでみな、14歳の女の子と思うよりも「ダウン症児だ」と思うだろう。
何度も連れていってから、ふとそのことに気づく。ふと気づくというほどに、そんな視点の感覚はすっかり忘れてしまっていた。
年数が経つというのは、そんなものかもしれない。

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