S嬢のPC日記

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旅の同行

2006年04月03日 | つぶやき
 人の話を聴く。その話の根底に迷いがあればあるほど、それは「旅」に似ていくと思う。話すことで浮かび上がる景色、聴きながらその見えていく景色を共に眺める。
 共に眺める景色の中には、扉が存在していく。その扉に気づくのが本人であることもあるし、聴きながら扉の存在がかすかに見えるときもある。かすかに見えたときにそのことを伝える、扉を開くのは本人であって同行者ではない。扉を開くための資料情報提供は同行者にはできるが、扉を開くのは本人でなければならない。それは「旅」の主体だから。
 やがて一つの旅は終わる。一つの旅で見えていったことは、新たな旅を助けていく。見えていった景色は記憶として残っていく。

 また別の人の「旅」に関わる機会が出てくる。「旅の同行」の経験を重ねていくと、見えていくものがある。ああこれはあの「旅」のときに見えていった景色と、もしかしたら似ているのかもしれない。
 
 ただし、全ては「初めていく場所」としての「旅」なのだと思う。それでも別の「旅」の記憶は、訪れた経験として同行する自分を助ける。「見たことがある」という要素は共感を生み出す。新たな地での失敗を防ぐひとつのヒントにもなっていく。

 人間一人ができる「旅」など、実はたかがしれている。もちろん一人の人間の中での「旅」は、濃厚で深く、示唆に充ちていると思う。それでも人間たった一人ができる「旅」などは、実はたかがしれている。
 そんなときに、同行させていただいた「旅」の記憶は、自分にとって大きな経験となり、知識となり、ちっぽけな自分の「旅」さえも少なからず助けていく。
 ああ、あんな「旅」にも同行させてもらった、こんな景色もあのときあの人といっしょにあんな風に眺めた。そんなことを思うことは多い。

 「聴く」ということを仕事としている人の存在がある。大変だろうな、と思うのは、話し手との相性に関して、自分からは逃げられないだろうということ。
 その上で、「聴く」ということを仕事としている人に聴いてみたいと思うこと。「聴く」人間がこうあるべき、ということを超えて、「聴く」人間にどんな成長が生まれていくのかということ。素養、仕事としての「べき」を超えた、また問題の類型化の材料ということではない「与えられるもの」に関しての話を聴いてみたい。

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2 コメント

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ソファー (笹瀬健児)
2006-04-03 20:40:24
ソファーのように生きていたい。



疲れた人がしばらく休んで、元気になると、さようなら。



お礼を言われたりしない。



引き留めたいこともあるけれど、引き留めたりしない。



ただ、そばにいて、ぬくもりだけを、感じていたい。



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ソファーの記憶 (S嬢)
2006-04-04 01:35:21
「元気になると、さようなら」



ソファー自体の記憶というものを持ち続けられることは、

ソファーの本意ではないのでしょう。



わたしは、「同行者の記憶」を持たれることは、

やはり、いらない。



訪れた機会、訪れる機会、

そうした記憶を自分に刻む。
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