Greetings From Japan

日々の暮らしをのんびり綴っていきます。

バラクライングリッシュガーデン

2012-10-30 21:55:34 | 旅行(Travel)

白駒池の帰り道、バラクライングリッシュガーデンを見つけ、立ち寄ってみました。

蓼科高原バラクライングリッシュガーデンが創園されたのは1990年。約1万平方

メートルの地に、オーナーのケイ山田の統一デザインのもと、設計から石工、ガーデナー

まで庭園の全て、英国人専門家によって造られた日本初の本格的英国式庭園です。

上の写真はバラクラの入口。

入口からフードコートを通り、「バラ色の暮らし」というショップを通り抜けると庭園

の入口に出ます。庭園の入口はハロウィンの飾りつけがしてありました。

幾種類ものカボチャがあり感心しました。色も形も違いますね。

施設の案内図には「バラのトンネル」とか「バラのパーゴラ」とか書いてありますが、

園内でバラを1本も見かけませんでした。もちろん今は秋ですが、秋咲きのバラ

が見頃とか他のバラ園では言っているのに・・・・・???

そのかわりダリアはきれいに咲いていました。

 

庭園の周囲は大きな木で囲まれていて、ちょうどきれいに紅葉していました。

ここの庭園は1つ1つの植物を見ると、一見あまり手入れされていないようにみえましたが、

こうして写真で見てみると、色や形が調和していることがやっとわかりました。

ダリアも自然の中でワサワサと咲いているように見えます。

どのダリアもとても背が高く、ダリアの茎ってこんなに伸びるのかなあとちょっと

驚きました。

園内は15分もあれば回れるくらいの広さでした。

初夏のバラの花が咲き乱れる季節に再び訪れてみたいものです。

きっときれいなのでしょうね。

 

 

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白駒池 紅葉

2012-10-26 21:49:14 | 花だより(Flower Letter)

10月20日に白駒池に行きました。

白駒池は、北八ヶ岳の広大な原生林の中にある神秘的な湖です。標高2,100m以上の湖

としては日本最大の天然湖だそうです。

家をなんと朝5時に出発して、9時少し前に着きました。

白駒池の駐車場にはあまり車が駐車できないとのことでがんばって早く

出たおかげでなんとか駐車することができました。

駐車場から湖までは歩いて15分。苔の原生林の中を歩いていきます。

苔の中から赤い花?のようなものが出ています。初めて見ました。

とてもかわいくてきれいです。

湖に出ました。

紅葉のピークは少し過ぎていました。

          

モミジですが、葉が少し大きいです。

湖面に紅葉した木々が映り湖面を紅く染めます。

ドウダンツツジでしょうか?きれいに紅葉しています。

          

湖の水面がキラキラ輝いていました。

         

シラカバの木がたくさんありました。シラカバの木も紅葉していたようです。

もうすでに葉がほとんど落ちていましたが。

白駒池を出てしばらく行ったところに展望台がありました。

その付近はカラマツの原生林で大きなカラマツの木がたくさん生えていました。

カラマツは漢字で落葉松と書くように秋には葉が黄色に色づき、落葉する針葉樹です。

カラマツの紅葉初めて見ました。

とても秋らしい色の景色です。

山の紅葉は平地より早く終わります。これからは平地の紅葉が始まりますね。

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博士とハチ公

2012-10-22 17:32:21 | 行事(Event)

         

東京の渋谷駅前にある「ハチ公」像はとても有名ですが、「上野英三郎博士とハチ

の像」ができました。10月20日に除幕式がありました。

場所は津市久居新町の近鉄久居駅前。

博士の出身地である地元住民が募金を集め2年がかりで実現しました。

私も数年前までは、博士が津市久居の出身であることなど全く知りませんでした。

         

台座に書かれていた説明です・・・

         上野英三郎博士とハチ

上野英三郎は明治4年(1872)現津市元町(伊勢国一志郡本村甲109番

屋敷)に生まれた農学博士です。

明治から大正期に日本農業の基盤となる水田の耕地整理を指導し大学は

もとより全国各地で数多くの技術者を育成した農業土木分野の先駆け者で

した。

東京帝国大学で教鞭をとった博士は54歳の若さで亡くなりました。

博士の飼い犬「ハチ・秋田犬」との生活は1年5カ月と短い間でしたが、

人としての愛を注ぐ事により動物との絆が生まれました。

その後ハチが渋谷駅前で帰らぬ主人を待つ姿が、新聞で紹介され

多くの人々に感動をあたえ「忠犬ハチ公」として広く世間に知られ映画化

及び書籍にもなりました。

 

銅像は、博士が「行ってくるね。」とハチに声を掛け、穏やかな顔で向き合う最後

の別れのシーンを再現しているそうです。

       

この銅像前が多くの人の待ち合わせ場所になるとは思えませんが、博士とハチのペア

像はここにしかありませから貴重な像であることには違いありませんね。

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安倍文殊院 コスモスの花

2012-10-14 16:55:08 | 花だより(Flower Letter)

奈良県桜井市にある安倍文殊院(あべのもんじゅいん)。

三人よれば文殊の知恵という言葉で知られる通りここは、知恵の神様、文殊菩薩

をまつっています。

安倍文殊院は645年(大化元年)安倍一族の氏寺として建立されましたが、兵火に

よって焼失し、1664年に再建されました。

今、コスモスの花がとてもきれいに咲いています。

境内にはコスモス迷路が作られ、親子連れが迷路を楽しんでいました。

   

30種類5万本のコスモスで作られているそうです。

私が見たコスモス。

   

チョコレートコスモス。栽培が難しく3日でしぼむそうです。ほんのりチョコレート

の香りがすると書いてありましたが、しませんでした。

  

花びらの周りが濃いピンクでちょっとかわっています。

よくあるコスモスですが、かなり濃いピンク色。

      

黄色のコスモス。この黄色がモスモスが咲くとそろそろコスモス迷路も終わり

とのことですが、まだまだきれいに咲きそろっていました。

 

安倍一族といえば「安倍仲麻呂」や陰陽師「安倍晴明」に代表されますが、この歌碑は

安倍仲麻呂の「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」の歌が

刻まれています。

 

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長崎市亀山社中記念館

2012-10-10 21:39:12 | 旅行(Travel)

            

長崎市亀山社中記念館

坂本龍馬が設立した日本初のカンパニー「亀山社中」跡地にある記念館。

当時の間取りに限りなく近く復元された館内には、龍馬の愛用品・手紙のレプリカ

や当時いろは丸に積まれていた石炭などが展示されています。

とても狭い所でしたが、門から玄関までのアプローチ部分。

館内。10畳と8畳と4畳半の3室と中2階。

こんな狭い所で何人もの人が集まって仕事ができたのでしょうか?

中央の階段から中2階に上がります。中2階は「隠し部屋」4畳ほどの大人が

立って歩ける程度の広さ。ここで重要な密談がされていたようです。

龍馬の写真の前で同じポーズをとって記念写真を撮ります。

縁側と前に小さな庭が見えます。

亀山社中までは急な階段を上っていけないといけません。

60mかと油断してはいけません。急な上りの60mはきついです。

 龍馬のぶーつ像

亀山社中130周年の記念して1995年に造られたモニュメント。サイズは60cm

と巨大です。見晴らしのいいところにあるので長崎の街がきれいに見渡せます。

        

1つ目の龍馬像。亀山社中の近くにある若宮稲荷神社内にあります。

       

2つ目の龍馬像。風頭(かざがしら)公園内にある龍馬像。

       

これはおまけの龍馬像。

 

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雲仙岳災害記念館

2012-10-07 19:20:42 | 旅行(Travel)

これが現在の雲仙普賢岳です。

22年前の1990年11月に普賢岳の噴火が始まりました。今は山には木が生え

美しい姿を取り戻しましたが、噴火当時はさまざまな悲劇がありました。

雲仙普賢岳災害記念館 がまだすドームは、1990年11月に始まり、

1996年の噴火終息宣言まで、この地で起こった、自然の驚異と、災害の教訓を、

風化させることなく正確に後世に残すためにつくられた記念館です。

記念館の中は、大迫力のドーム型スクリーンで火砕流・土石流を疑似体験できる

「平成大噴火シアター」をはじめ、火山や防災について11のゾーンに分けて展示

してあります。

中でも1991年6月3日の大火砕流で犠牲になったカメラマンの被災カメラを展示し、

そのカメラに残されていた実写映像(撮影時間378秒)を基に編集したドキュメンタリー

が放映されていました。

記念館の展望台から見た景色です。

記念館の近くにある「土石流被災家屋保存公園」。

水無川流域では土石流によって多くの家屋や田畑が埋没してしまいました。その埋没

家屋の内11棟が展示されています。風雨による損傷を防ぐため、3棟の家屋は大型

テント内に保存されています。

上の写真は大型テント内の家屋です。

同じくテント内の家屋。家の中は土砂で埋まっています。(これは2階部分です。)

これはテントの外に展示されていた家です。瓦はきれいなままですが、家の中は土砂

で埋まり埋没しています。

続いて、普賢岳の麓に位置する、「旧大野木場小学校」へ行きました。

ここは、1991(平成3)年6月3日16時8分に大規模火砕流が発生し、このとき

わずか400mしか離れていない大野木場小学校では、5・6年生が授業中でしたが

火砕流本体と熱風は水無川に沿って流れたため校舎にいた児童と先生たちは無事

避難することができました。 

写真左上に見えるのが普賢岳。

    

当時の写真。噴煙が校舎を包み込もうとしています。無事に避難できてなによりでした。

鉄製の窓枠は残っていますが、窓ガラスは全て割れています。教室内の床は燃えて

しまったようです。中は灰だらけです。

 

島原市では「島原ジオサイトめぐり」として噴火の事実を正確に保存し、私たちに学ぶ

場を提供してくれています。22年前に私はニュースの映像を通してだけしか知らなかった

ことが、実際にこの地で本物にふれることで自然の驚異の恐ろしさを感じることができまし

た。日本は本当に避けることのできない、たくさんの自然災害がありますが、災害の驚異を

正しく学び、受け止めることの大切さを感じました。

 

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島原

2012-10-05 15:28:52 | 旅行(Travel)

島原城。(長崎県島原町)

島原城は五条(奈良県)から入封した松倉重政が1618(元和4)年着工、4~7年

の歳月を経て完成しました。

行った日が9月14日だったので、台風が来る前でお天気がよくありませんでした。

島原城の前では、忍者に扮した人が何人かいて踊ったりしていました。

          

島原城の裏手には「西望記念館」があります。

北村西望(きたむらせいぼう)は長崎平和公園の平和祈念像を制作した

彫塑家です。

     信念にもゆる天草四郎

喝 少しは反省しろ     ちょっと迫力ありました。

 

島原城を出て、島原の町を少し歩きました。

島原市内には約60か所の湧水ポイントがあり、湧水量は1日約22万トンもあるそうです。

そのため、町にはきれいな水が流れる水路があり、そこには鯉が泳いでいます。

この庭は、「湧水庭園 四明荘」という水屋敷の庭園です。

主屋が池に張り出す形で作られています。池には錦鯉が泳いでいます。

島原名物 寒ざらし

写真右。白玉だんごのミニミニ版のようなものでした。

もう1つの名物。「具雑煮」。

昆布とカツオでだしをとったスープに、餅や野菜、鶏肉、穴子など14種類の具が

入っていて見た目以上に食べ応えがありました。

 

 

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