![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/d3/f2ba059e30ce551b34080654deb9029b.jpg)
これが現在の雲仙普賢岳です。
22年前の1990年11月に普賢岳の噴火が始まりました。今は山には木が生え
美しい姿を取り戻しましたが、噴火当時はさまざまな悲劇がありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/03/067c42775c9660eee573c3935089cbbf.jpg)
雲仙普賢岳災害記念館 がまだすドームは、1990年11月に始まり、
1996年の噴火終息宣言まで、この地で起こった、自然の驚異と、災害の教訓を、
風化させることなく正確に後世に残すためにつくられた記念館です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/24/9a/c153a912913d6a547f99243ad4345659.jpg)
記念館の中は、大迫力のドーム型スクリーンで火砕流・土石流を疑似体験できる
「平成大噴火シアター」をはじめ、火山や防災について11のゾーンに分けて展示
してあります。
中でも1991年6月3日の大火砕流で犠牲になったカメラマンの被災カメラを展示し、
そのカメラに残されていた実写映像(撮影時間378秒)を基に編集したドキュメンタリー
が放映されていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/46/98fa169147e8696041ec2dd66e91fabe.jpg)
記念館の展望台から見た景色です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/97/fa7b6d4f967c303430b99975bd1e5b12.jpg)
記念館の近くにある「土石流被災家屋保存公園」。
水無川流域では土石流によって多くの家屋や田畑が埋没してしまいました。その埋没
家屋の内11棟が展示されています。風雨による損傷を防ぐため、3棟の家屋は大型
テント内に保存されています。
上の写真は大型テント内の家屋です。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/99/0732e31c6bba3d7f8eb965561fc88c02.jpg)
同じくテント内の家屋。家の中は土砂で埋まっています。(これは2階部分です。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0f/640a8f834eb5545bbdb6368a4f5b7d6e.jpg)
これはテントの外に展示されていた家です。瓦はきれいなままですが、家の中は土砂
で埋まり埋没しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/46/a34d97221ba62448a5b0d794eaeb3890.jpg)
続いて、普賢岳の麓に位置する、「旧大野木場小学校」へ行きました。
ここは、1991(平成3)年6月3日16時8分に大規模火砕流が発生し、このとき
わずか400mしか離れていない大野木場小学校では、5・6年生が授業中でしたが
火砕流本体と熱風は水無川に沿って流れたため校舎にいた児童と先生たちは無事
避難することができました。
写真左上に見えるのが普賢岳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/d9/ded3d9895afc9a71fde71f9ad268ec9e.jpg)
当時の写真。噴煙が校舎を包み込もうとしています。無事に避難できてなによりでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/7b/89ea81b7bad26c0957bfea5b75cd7acd.jpg)
鉄製の窓枠は残っていますが、窓ガラスは全て割れています。教室内の床は燃えて
しまったようです。中は灰だらけです。
島原市では「島原ジオサイトめぐり」として噴火の事実を正確に保存し、私たちに学ぶ
場を提供してくれています。22年前に私はニュースの映像を通してだけしか知らなかった
ことが、実際にこの地で本物にふれることで自然の驚異の恐ろしさを感じることができまし
た。日本は本当に避けることのできない、たくさんの自然災害がありますが、災害の驚異を
正しく学び、受け止めることの大切さを感じました。