宿泊先や飛行機の予約をとってから、平和記念資料館のホームページを見たのだが、順序が逆だった。
「うっそ……。本館はリニューアル工事中だって……」
なんと、平成31年の春まで、資料館は東館のみしか見られないようだ。先に知っていれば、時期をずらしたのに。失敗した。
「しょうがないね。東館だけで我慢するか」
本館が閉館していることで、東館に人が集中し、かなりの混雑になる。午前10時までか、午後4時以降の入館をお勧めしますとの案内に従い、9時半頃に到着した。
それでも、すでに相当混んでいた。たくさんの方が見に来るのはいいことだが、展示はあくまでも一部である。機会があれば、来春以降また足を運んでいただきたいと切に願う。
地下1階にはオバマ前大統領の折り鶴が展示されていた。
きちんと折り目をつけてキレイにできている。きっと、何枚も練習したのだろう。
手書きのメッセージにも心を打たれる。
和訳にも折り鶴が載っていた。
「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」
うんうん、その通りだ。
この言葉を見た瞬間、本館に入れなかった不満が消えていった。シリア情勢など、平和からほど遠い出来事も起きているけれど、諦めたらいけないのである。
資料館を出て、原爆ドームに向かった。
元は、広島県物産陳列館という名のハイカラな建物だったという。
ところが、爆心地に近かったため、こんな姿になってしまった。
近くには相生(あいおい)橋がある。
T字型の珍しい橋である。
直進だけでなく、原爆ドームに向かって右手にも延びているところが、上空からも目立った。アメリカ軍は、この橋を原爆投下の目標としたらしい。
投下後の爆風や熱線で、多くの建物が倒壊し、広島市内の建物の9割が壊滅的な被害を受けたという。また、爆心地付近の地表温度は4000度に達し、約14万人の方が亡くなっている。地獄絵図と化したヒロシマを、あらゆる国のあらゆる人々に知っていただき、戦争の愚かさを肌で感じてほしい。
「もー、お母さん、どこにいるのよ」
娘からラインが来た。1945年の広島に思いを馳せているうちに、家族とはぐれてしまったことに気づいた。
原爆投下時にも、家族と会えぬまま死んでいった人はたくさんいた。
平和な時代に感謝するとともに、この状態を守り続ける努力をしなければならない。
娘にラインを返す。
「ゴメン、今、原爆ドームの近くにいる。待ってるから来て」
↑
クリックしてくださるとウレシイです♪
※ 他にもこんなブログやってます。よろしければご覧になってください!
「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
「うっそ……。本館はリニューアル工事中だって……」
なんと、平成31年の春まで、資料館は東館のみしか見られないようだ。先に知っていれば、時期をずらしたのに。失敗した。
「しょうがないね。東館だけで我慢するか」
本館が閉館していることで、東館に人が集中し、かなりの混雑になる。午前10時までか、午後4時以降の入館をお勧めしますとの案内に従い、9時半頃に到着した。
それでも、すでに相当混んでいた。たくさんの方が見に来るのはいいことだが、展示はあくまでも一部である。機会があれば、来春以降また足を運んでいただきたいと切に願う。
地下1階にはオバマ前大統領の折り鶴が展示されていた。
きちんと折り目をつけてキレイにできている。きっと、何枚も練習したのだろう。
手書きのメッセージにも心を打たれる。
和訳にも折り鶴が載っていた。
「私たちは戦争の苦しみを経験しました。共に、平和を広め核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう」
うんうん、その通りだ。
この言葉を見た瞬間、本館に入れなかった不満が消えていった。シリア情勢など、平和からほど遠い出来事も起きているけれど、諦めたらいけないのである。
資料館を出て、原爆ドームに向かった。
元は、広島県物産陳列館という名のハイカラな建物だったという。
ところが、爆心地に近かったため、こんな姿になってしまった。
近くには相生(あいおい)橋がある。
T字型の珍しい橋である。
直進だけでなく、原爆ドームに向かって右手にも延びているところが、上空からも目立った。アメリカ軍は、この橋を原爆投下の目標としたらしい。
投下後の爆風や熱線で、多くの建物が倒壊し、広島市内の建物の9割が壊滅的な被害を受けたという。また、爆心地付近の地表温度は4000度に達し、約14万人の方が亡くなっている。地獄絵図と化したヒロシマを、あらゆる国のあらゆる人々に知っていただき、戦争の愚かさを肌で感じてほしい。
「もー、お母さん、どこにいるのよ」
娘からラインが来た。1945年の広島に思いを馳せているうちに、家族とはぐれてしまったことに気づいた。
原爆投下時にも、家族と会えぬまま死んでいった人はたくさんいた。
平和な時代に感謝するとともに、この状態を守り続ける努力をしなければならない。
娘にラインを返す。
「ゴメン、今、原爆ドームの近くにいる。待ってるから来て」
↑
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「いとをかし~笹木砂希~」(エッセイ)
「うつろひ~笹木砂希~」(日記)
日本人なら一生に一度は広島か長崎には行ってもらいたいと個人的には思います!
小金井のたてもの園ですか、聞いたことないな~。
と思って調べてみました。
復元建造物が見事ですね。
本物じゃないとわかっていても、数が揃っているから楽しめそうです。
でも、修復中ばかりでは興ざめでしょう。
そのうち全部の修復が終わるのかしら。
原爆投下の地はもちろん、地上戦のあった沖縄などにも行ってもらいたいと思います。
が、休館とは不幸中の幸いだったかも…
橋のたもとでラインのやり取りをする暢気がいたりして(*^^*)ポッ
<平和なり折り目正しき千羽鶴> …駄句である
広島と長崎どちらの平和記念資料館がいいかと聞かれたら、片割れ月さんには長崎を勧めたいですね。
広島の資料館には中3のときに入りましたが、とにかく悲惨の2文字に尽きます。
なかなか足を踏み入れることができないのもわかりますよ。
でも、長崎の方はむごい中にもどこかに光が見えます。
たぶん、信仰の違いじゃないでしょうか。
キリスト教徒の多い長崎は、神に祈ることで救われたのかもしれませんね。
今の平和に感謝します。
早く着いて良かったなぁ、時間通りならあなたは死んでいたかも?だって!一体何が起きたのか聞いたら午後2時頃に広島新交通システムの橋桁が落下して沢山の🚑がペチャンコになり大勢亡くなったとの事。たまたま予定より早く着いたから難を逃れましたが・・・。お陰で帰り道が通行止めで慣れない土地で迂回して苦労したのを思いだしましたよ。
そんな事故があったんですね。
大事故じゃないですか。
純さんが巻き込まれないよう、ご先祖様が守ってくれたのかしら。
平和記念公園は、1991年に比べるとだいぶ整備されたようです。
高校生のときに訪れたのが1985年。
とてもキレイになっていましたよ。
国際都市ヒロシマを意識したのでしょうか。