昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

終戦記念日の随想と句

2017-08-15 09:36:35 | 日記・エッセイ・コラム

たしか、ついこの間、十代の青少年に終戦記念日はいつかとアンケートを取った結果、14%が8月15日と答えられなかったという報道があった。
フォーク・クルセイダーズが『戦争を知らない子供たち』を歌ってヒットしたのは50年近くも昔のことである。その当時は、ああ、自分たちには戦争の直接体験がないんだ、という慨嘆ともとれる感情が同世代に共感を呼んだと思う。だから逆に言うと彼らにとって戦争はまだ身近であった。
しかし、現代の十代の若者にとって「戦争」は、はるか歴史のかなたの出来事である。そんな彼らに戦争終結日を聞くのは、我々の世代に日露戦争はいつ終わったか?と質問するのと同等である。この日になると一斉に終戦のことが報道される現代にあっても、テレビも新聞も見ない若者にとっては、全くのわれ関せずではなかろうか?だから一面から見ると、この14%という数字は驚くほど小さいとも言える。
オカブは戦争を直接、現役の大人として体験した世代からその経験を直接聞くことのできた最後の世代とも言える。
その戦争の聞き語りから察するに、彼らにとって「大東亜戦争」とはそんなに悪いものではなかった、という奇妙な印象を持っている。
一番、身近な例で行くとオカブの祖母。彼女は7人の女の子ばかりの姉妹の母親であった。
彼女はよく空襲の思い出話をオカブの幼いころにしてくれた。それによると祖父が消防団で動員に取られて女ばかりが家に残っているときに空襲があり、祖母は学童疎開をしている娘と、勤労動員で日赤病院に詰めている伯母を除いた5人の娘の手をひいて、近所の神社の床下まで逃れた。焼夷弾がバラバラと降り注ぎ、火が目前まで迫り、床下で、ここで皆で死ぬんだ、と覚悟したという。
また、戦後の食糧難の時代、買い出し列車に乗って一家の糧を調達するのは祖母の役割であったが、その買い出し列車の客車の屋根にまで人があふれる押し合いへし合いの中で、思わず倒れ伏した際、雑踏に踏まれて圧死しそうになり、その時自分の亡き母の名を呼んで、またも死を覚悟したという。
そんな悲惨な体験をした祖母だったが、オカブには戦争のことをまったく悪く言わなかった。逆に、「今の若い者は軍隊がないから弛んでいる」と口癖のように言い、幼いオカブに発破をかけたものだった。
祖母には男の子がいなかったので、兵隊にとられた子がなかったからかもしれない。
オカブの家から歩いて数分のところに、東条英機の遺族の家がかつてあり、その一家と祖母は親しくしていたが、父親としての東条英機は家に帰ると実に子煩悩な家庭人であったそうだ。家庭にあって善良であったことと、公人として正義の人であったかは、なんら関わりのないことではあるが、歴史の叙述の一面性に反省を至らせる事実である。祖母は東条英機のことを「東条閣下、東条閣下」と呼んでいた。
祖母と娘たちが詰めた慰問袋を戦地に贈った縁で、それを受け取った昔の海軍の軍人さんがオカブの家と懇意にしていた。戦争当時は、まだ青年である。彼は戦後、海上自衛隊に入り、佐世保に住んでいたが、上京すると、よく我が家に泊まりに来た。その彼が晩酌に酔うと、自分の身体には3発の弾が入っているんだと自慢していた。
オカブの小中学校の頃は、まだ戦争に行った先生が健在だった。特に印象に残っている先生は中学の海軍崩れの体育の先生で、いつも海軍帽を被って授業をしていた。そして保健の授業の時には、高射砲の射ち方について得々と話すのだった。その先生はオカブも入っていた剣道部の顧問で、寒稽古の際などは、合間に、居合刀を抜いて居合の稽古をするので度肝を抜かれたものだ。
高校の友達は、丈夫の父親が自慢で、父親が嬉々として戦友会に顔を出すことをよく話していた。
ちなみに、かーたんの父親は陸軍少年飛行兵に志願したという。
彼等を軍国主義の亡霊と片付けるのはたやすいが、オカブが幼少を過ごした昭和30年代から40年代頃の世相の現実であったことは紛れもない事実だ。
欧米人であるアンドレ・マルローやかつての敵、米軍の将官などが、特攻隊や、日本軍の戦闘の勇敢さを称賛する発言をしたのを、一部のバイアスのかかった人達が殊更、喜び騒いで取り上げるのには違和感を感じるが、その発言をしたということは厳然たる事実である。
戦争は、還暦を迎えたオカブの中でも、まだ纏まりのつかない知識と知見の断片でしかない。
しかし、太平洋戦争は軍事的・政治的には誠に愚かな行為であり、死傷した人や、苦難を舐めた方々には悲惨な体験そのものであったと思うが、歴史的に見れば、決してネガティブな側面ばかりではないというのが公平な見方なのではないか?戦争の悲惨さ、破壊、死の恐怖や苦痛、市民への罪悪性などに対して、歴史は、戦争が国際社会全体でどのような意味があったか、時系列的に見てどのように世界を動かしたかを冷静・客観的に問い、語り掛けてくる。
この時期になると戦争にまつわるセンチメンタリズムが街を覆う。オカブはそれを「朝日・岩波史観に毒されたセンチメンタリズム」と呼ぶことにしている。平和は感傷では決して保たれない。昨今の滑稽な反戦論を見るにつけ、戦争の回避のためには、まず朝日・岩波史観への異議申し立てから始めなければならないと感じる。冷厳な最近の国際情勢の激動の中で、戦争を回避し平和を維持するための実現可能な方策を、絶えず探っていかなければならないと思う今日この日である。

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