群馬県は倉渕というところに行ってきた。高崎からバスで榛名山麓を行くこと約1時間。山深い榛名川の谷筋に人家が点在する地域がある。これが倉渕だ。ここには一昨年も行ってきた。大学時代の友人Hが一念奮起、自らが建てるセルフビルドの家で奮闘していて、微力ながら壁起こしの手伝いに、サークルの先輩らと出かけていったのだ。この制作過程は以下のに詳しい。http://pub.ne.jp/tabikarasu/ご自分の手で一から家を建てる事に興味を持っている方はご一読されてはいかが?さて、現代は、自分で家を立てようとする人がいる一方、文明の利器という奴で、地理的移動に関してはずいぶん便利になった。渋谷を10時過ぎの湘南スカイライナーで起つと、高崎に着くのは12時前。30年も前、谷川岳に登るのに、上越線でちんたらちんたら走った頃とは隔世の感がある。さて、Hの住む倉渕へは、高崎市が群馬バスに委託運行している「ぐるりん」という結構な定期バスがあって、これだと、わずか運賃300円で行ける。しかしもとより本数が少なく、次のバスは14時半発。だからといって不便を囲っていてはいかん。せっかく、遠くまで出てきたのだから観光というか、物見遊山というか、ようは「ぶらり旅」の要領で街歩きなどをしてみるに限る。しかし、高崎という上州の中心都市は存外、観光資源に乏しくどこか見てやろうということにしても、なかなか見てやる対象が見つからん。そこで不本意ではあるが一昨年も来た、駿河大納言徳川忠長の墓所のある大信寺へ行って、暇を潰すことにする。大信寺は高崎駅西口から徒歩十五分ほど。閑静な住宅街のに囲まれている。寺は幼稚園も経営していて、寺の本堂脇の幼稚園の敷地を通って墓所へ入る。徳川忠長の来歴についてはこちらをご参照願いたい。http://homepage2.nifty.com/fledermaus/~kurabuchi2008-1.html大信寺では忠長公の墓塔の他に歴代住職の卵塔、守隋彦三郎の墓などを見た。一昨年あった鄙びた六地蔵は、真新しい現代的で小ぶりなものに取って代わられ実に残念だった。それにしても今日は暑い。早々に寺見物を切り上げて、腹ごしらえへと参ることにいたそう。日本人は旅に出るとなぜか蕎麦を食いたがる。オカブは大の蕎麦好きだから異存はないのだが、普段、蕎麦など見向きもしない連中も、なぜか旅先では蕎麦を食う。だから、日本中の観光地には名代の蕎麦屋が目白押しである。不思議な現象だ。今回入ったのは、大信寺の裏(といってもこちらのほうが大通りに面しているのだが・・・)に位置する『もりや』という蕎麦屋。カレーライスやカツ丼も供するいわゆる町の蕎麦屋だ。ここのいいところは、安いことと分量がはんぱなく多いところ。盛り蕎麦450円を二枚にビールジョッキ一杯400円、日本酒冷400円、締めて1700円。特に日本酒はでかいグラスになみなみ注いで持ってきた。しかも盛り蕎麦には山菜の天麩羅の箸休めもついている。満足満足で高崎駅に向かう。高崎駅からぐるりんで市内を通り抜け、烏川を渡って、山道をうねうねと登っていく。懐かしい土塀の家などを通り過ぎ、目的地の落合でバスを捨てる。Hが軽トラックで迎えに来てくれた。互いに久闊を述べるまでもなく新装成ったH宅へ。H邸は、この山里ではとてつもない豪邸といっていい佇まいで、コテージ風の装いの都会で見てもしゃれた風格。とにかくこの家を一人で建て上げたHに脱帽。一休みした後、明日降雨が予想されるため、建築中の焼き物の工房のほうの屋根にビニールシートを掛ける作業。そのうちK子夫人も勤務から帰ってこられた。作業を済ませ、下界のスーパーに買出しに。食料品などを仕入れる。夕食はもちろん、Hと再開を祝してビールで酒宴。HとBS録画の廣川健太郎氏の谷川岳一の倉沢第三スラブ冬期登攀を記録した番組などを見て、昔日の山に青春をぶつけた日々のことなどをしのんだ。そして童心に返り、花火などをして楽しんだ。盛りだくさんの一日に眠気もいや増し、十時にベッドで就寝。
山里の夕べの風も夏となり 素閑