よう来んさりました

2009年04月30日 | お客さん宅で
             (豊岡の南の玄関口、国道312号線に立つ
                         「よう来んさりました」の看板)

お客様に毎月、「アトム特選品カタログ」や、今回のように売り出しの「ご招待状」を配りながら感じます。
『こんにちわ~、いつもありがとうございます』と、玄関で声をかけ、
『今日は良いお天気で・・・・』とか、『いつもお元気ですね~・・・・』とか、まずはご挨拶をしてからお客さまに語りかけます。
そんな時のお客様の反応は実にまちまち、百人百様、
訪問をニコニコ歓迎の方あれど、「そんなに毎回いいのよ」と。やんわり迷惑顔の方もあり、こちらも毎回のことですから、お客様の空気に合わせて丁々発止の会話です。

八鹿町の山の中、Tさん宅を訪ねると留守番のおばあさんが杖をついてのお出迎えです。
「若いもんは、今そこらを散歩中だよ~」から始まって、
「魚釣りに行った兄貴は、釣ってきた魚を弟に気前よくやってきた」が、どうのこうの、
「近所のAさんは、旦那を介護施設に預けて気楽にどうのこうの」とか、何やらかんやら次から次へとお話です。
私は、『よ~くわかりました。若いもんに案内状見せてね』とお願い、
するとおばあさんは、「私のテレビ、新型ほしいわ。チラシをそっと広げて若いもんが見るようにしておくわ」です。
一軒にそんなに時間がとれません、
『まあ、まあ、とにかくよろしくね』と退出です。

帰り道、浅倉トンネル手前の国道には、大阪方面から豊岡・城崎へ向かう観光客に、
「よう来んさりました」のごあいさつの看板です。
「よう来んさりました」とか、「よう来んさった」とか、「よう来んさりましたな~あ」は、独特のイントネーションと響きを持つ、とってもやさしい但馬弁なのです。
電気屋が訪問する先々でも、心からの「よう来んさりました」のお客様、
でも、Tさんのように喋りまくる気のいいおばあさんには、つくづく閉口いたします。

百姓昭明協和萬邦(ひゃくせい、しょうめい、きょうわ、ばんぽう)

2009年04月29日 | 季節(春)

                     (本日は祝日「昭和の日」、真新しい国旗です)

いよいよゴールデンウィークの始まりです。
天候に恵まれた本日、ニュースでは1000円高速の効果でしょうか、車での遠出が賑わっているようですね。
当店は本日より、「アトム創業20周年記念セール」の案内状配りです。
今回は、息子の「結婚します・特別企画」バージョンですから、何を置いても地元・池上地区の皆さんに、まずはお知らせです。
一軒一軒声をかけ、『まだ2週間ちょっと先ですがよろしく、よろしく』と配ります。
「まあ、おめでとう。売り出しの日にはお嫁さんの菓子、もらいに行くよ」と、心からのお祝いの言葉です。
当店のゴールデンウィークは、毎日毎日お客様への訪問となりそうです。

久しぶりに国旗をブログにアップしました。真っさらできれいな国旗となりました。
30数年のうちに何回替えたことでしょうか、去年の暮、もうそろそろと思っていますと、
ひょっこりお客様のKさんから、「これ新品の国旗、使ってください」と、いただいて新年から使わせてもらっています。
今日は国をあげて祝う日、「国民の祝日」です。
遊びに行く前に、「祝日」の意義をよ~くかみしめて、こぞって祝いの気持ちを現わしたいものですね。

平成をはじめ、元号の多くが「書経」の中からその言葉が選ばれていますね。
昭和の出典も、「書経・堯典」の一節、
”九族既睦平章百姓 百姓昭明協和萬邦”、「九族(きゅうぞく)既(すで)に睦(むつ)まじくして,百姓(ひゃくせい)を平章(へいせい)す。 百姓(ひゃくせい)昭明(しょうめい)にして、萬邦(ばんぽう)を協和(きょうわ)す。」から採用されています。

文中の「昭(しょう)」は、人々の「徳」を表し、「和(わ)」は「心和む」を表しますね。
百姓(人々のこと)が、それぞれ徳を明らかにすれば、日本中、いや書経は中国でしたね、昭明(しょうめい)すれば、萬邦(世界中)を仲良くさせることができるという意味ですね。
昭和はそんな願いを込めてスタートしたものの、決して穏やかなものではありませんでした。
でも、昭和が終わって早20年の月日、遠ざかっていけばいくほどに、懐かしさがこみ上げてくる言葉「昭和」の響きですね。


街の電気屋さんから、テレビを買う理由(わけ)

2009年04月28日 | お客さん宅で
           (うちの猫は、昔~しから「紀香」って云うの、
                             だってうちは藤原だもんね)

町内のUさんから、Yさんから、Tさんから、バタバタっと大型液晶テレビのご注文です。
皆さん声を揃えておっしゃいます。
「実は量販店に見に行ったのよ、正直に云うわ」と、お話です。

Uさんは、息子さんが2階で見る分ですが、なんと録画機能の37型ご指定です。
一人で見る部屋用だったら20型かな、26型で十分、もしや『この頃は安くなったので、32型がパーソナル』なんて、電気屋の勝手な思い込みは間違いでした。
Uさんは一人で、ハイビジョンのレンタルソフトを大画面で堪能したいようです。
フルスペックで、37型で、ブルーレイが内臓は、シャープアクオスDX1シリーズに決まり、あとは値段と設置の親切さです。
店内で、『ハイ、高級台をサービスして000円』と提案すると、サッと前金でお支払です。
「えぇ~、アトムさんの方が安い~、設置・設定料いりますか」と心配されます。
『もちろん、いりません。ご安心を』
配達時、懇切丁寧、時間をかけて完璧な作業を眺めながらUさんは、
「こんな事なら、量販店に見に行ったことなんて無駄や~」と告白でした。

Yさんは、明日納品です。
相談に伺ったとき、、「アナログDVDレコーダーが故障したので、録画内臓42型液晶ほしいの、量販店で見てきたの」です。
Yさんは若いです。
ネットに接続して、『”TSUTAYA”のレンタルが自宅でできますよ』が決め手で、42型アクオスとブルーレイディーガに決まり、
Yさんは、「量販店ではネットの説明してくれんよ、やっぱり街の電気屋さんだ」と大喜びです。

Tさんも、42型のBD内臓アクオスをお買上です。
eo光でご覧になっているので、これまたネットにつないで「アクトビラ」のご案内です。
お持ちのDVDや、ビデオデッキへの接続も結構大変、設置の様子をずっとご覧になりながらTさんは、
「設置と設定大変なんですね、全部お値段の中に入っているの、それに高級台がサービスでよっぽどアトムの方がめっちゃ安いわ~」と驚きです。

3軒とも量販店に見に行ったものの、かえって量販店の弱点を存分に感じていただいてしまったようでした。

ほんの5年前、30万円越してたよ~

2009年04月27日 | お客さん宅で
          (22型の液晶テレビ、地デジチューナーは内蔵してません)

0さんがお店に来られ、「テレビのスイッチが入らなくなった~」、「壊れちゃったよ、診て~」とご依頼です。
『どちらの分ですか、茶の間はまだ1年くらいですね』と問い返し、もう少し前にご購入の2階の分らしい、
それにしても、どうしたものかと心配しながら即刻駆けつけます。
22型のテレビ、訪問前に調べてきました、6年弱ご愛用の当時最高の液晶テレビです。

「2年くらい前に、カミナリでおかしくなった時は、電源コードのさし直しで治ったのに~」と、いろいろおっしゃいます。
間違いなく電源オンいたしません。仕方ないから持帰りです。
貸出テレビをスイッチON、地デジですから鮮やかな映り、持ち帰るテレビを確かめるとアナログ専用なんです。

0さん、「22型なのに30万円越したのに、地デジも入らん、かなわんわ~」です。
それも調べてきています。312,900円でお買上、当時はBSデジタルが入るのみ、地上波はアナログでした、すみません。
それにしても30万円は高かった、
今なら、46型アクオス新製品でも268,000円(大感謝セール)、日立プラズマならば、HDDレコーダー内臓の50型でも238,000円(大感謝セール)なんですよ。

0さんでなくっても、このテレビ、修理代かけるのが惜しくなります、
今ではアナログ液晶なんてありませんが、23型ならば地デジが入って6万円台、
6年弱とはいえ、こんなに価格が下落する商品、壊れた時には本当に困ってしまいます。

アトム大創業祭まであと20日

2009年04月26日 | アトム電器
                (大創業祭、ノボリを立ててお知らせです)

今日は朝から雨模様、結構降ります寒い雨、風も吹きます強いです。
店の正面に立つ防災スピーカーから、「昼ごろにかけて、さらに強い突風が予想されます」と、市の広報です。
慌ててノボリを仕舞います。
今まで幾度も、突風でノボリが破れたり、ポールが折れる被害に遭う度に、『しまった遅かった~』と悔やまれました。
店のまわりに13本のノボリ、今日はセーフで助かりました。

午後、しずまった空を見上げて、今度はノボリ立てです。
昨日、本部から届いた「大創業祭」と「エアコン祭り」のノボリ、ちょっと早いが立てました。
「大創業祭」のノボリが3本に、「エアコン祭り」が6本、店の周りにずらっと立てるとなかなか壮観な眺め、どう見たって元気いっぱのお店です。
いよいよ来月は大創業祭、それに続けてエアコン祭り、忙しくなります夏を迎えます。

夜はお寺の総会でした。

さあ、明日から新しい一週間、頑張っていきましょう、張り切りましょう。
そんな気分で気持ちを奮い立てますが、なぜかこの頃、ちょっと世間は「凪(なぎ)」模様ですね~。
政治の世界も、バンバンと政策論争するのでもなし、総選挙を控えている割にはベターっと凪(なぎ)模様ですね。
商売の方も同じような傾向、5月15日のエコポイント実施までなにか静かな気配です。
『こりゃ~、いかん、こんなことではダメだ~』と考えて、
元気が出るように、ノボリのズラリでまずは店先から活気づくりに励みます。
そんな一日が、今日も暮れていく日曜日でした。

江原駅は100周年

2009年04月25日 | ふるさとの話
                 

(八鹿・江原・国府・豊岡駅と続きます)

先日寄ったNさん宅で奥さんが、「八鹿のおりゅう柳の話、調べたの?ブログ読んだよ」とお尋ねです。
「八鹿駅は去年100年だって、江原駅は今年かな」とお話です。
麻生総理が、「100年に一度の大不況、全治に三年かかる」と、確か発言でした。
その100年前に、我が町の江原駅が出来たわけですね。
江原駅の100周年の行事予定なんぞ、まだ耳にしていませんが、確かに今年が100周年です。

山陽線は姫路駅の開業が明治21年12月23日、播州から北上して但馬を結ぶ播但線(ばんたんせん)は、
銀山で有名な生野(いくの)までの開通が、銀の搬出の必要性から明治28年4月17日と比較的早かった。
その後、終点和田山駅が明治39年4月1日開業で全線開通でした。

日高町発行の、「愛するふるさと、ひだかの宝・ひだか辞典」に、江原駅の由来が書いてありました。
京都からやってきた山陰線が、和田山、養父、八鹿と開業し、八鹿・豊岡間に一駅が予定された時、
江原(えばら)付近か、国府の土居(どい)か府中新(ふちゅうしん)付近の3候補で検討、
ところが、どの地区も大反対の運動です(全国どこでもありました、汽車のばい煙が農作物に、牛に被害が出るの、駅ができると若者がダメになるのと云う反対です)。
江原村の田口幹太郎氏が用地を寄付、江原村も造成費を拠出・寄付して、めでたく明治42年(1909)7月10日に開業したそうな、
田口さんと江原村の絶大な貢献に敬意を表し、「江原駅」の名称が残ったと云う由来です。
駅名を、「田口駅」とか「田口江原駅」にはしなかったのですね。

余談ですが、ちょっと前のテレビでこんな話題を聞きました。
大阪の近鉄線に、「針中野(はりなかの)駅」がありますが、大正のころ「中野小児鍼」を営む中野さんが、用地を寄付して駅がめでたく開業したそうな。
鍼(針)の中野さんから、「針中野駅」と命名され、その後周辺の地名も針中野と変更になったようです。
駅名の由来にも、それぞれとっても大切な歴史があるのですね。


  (4月5日、鳥取からの帰り道に余部鉄橋、
            高さ40mを超すクレーンで工事中)

それから3年後の明治45年3月1日、日本海沿いの餘部村(現在の香美町余部)に餘部(あまるべ)鉄橋、
江原駅が開業した明治42年から工事を開始、世紀の難工事の末に、東洋一を誇る高さと長さの最新式の鉄橋が完成です。
その餘部鉄橋も現在は、新しいコンクリート橋へ架け替え工事中、
工事現場に、「ありがとう余部鉄橋・明治45年から約100年!」の看板が、100年間も頑張った餘部鉄橋を見上げています。

花水木(ハナミズキ)の咲く庭

2009年04月24日 | 季節(春)

(Sさん宅の、鉢に咲いたシャクナゲの花)

照明器具の工事を終えて、縁側で紅茶をいただきながら休憩です。
Wさん、庭のシャクナゲの花を見ながらお話です。
「温暖化で雪が少なくって、スキーの民宿はさっぱりだったのよ」、「シャクナゲの花が満開でしょう、雪国の山はシャクナゲがいっぱいよ」です。
日高町の「町の花」がシャクナゲ、
午後、洗濯機の修理品を届けたSさん宅の玄関、鉢に咲いた白とピンクのシャクナゲの花がとても可憐です。


      (但馬銀行計算センターのツツジの花)

神鍋のWさんからの帰り道、植村直己冒険館の前は、ツツジの花がいっぱいです。
冒険館の駐車場、斜面を駆け上がると但馬銀行計算センターの玄関です。
玄関のまわりはツツジの植え込み、小さな花びらが肩寄せ合って、大きなキレイを形作っていました。


(Yさん宅の前庭は芝桜のじゅうたん)

Yさん宅の前を通り過ぎてから、あまりの綺麗さに見とれて引き返し、写真をパチリ、
庭一面の見事な芝桜、毎年4月の下旬からとってもながく咲き続けます。


       (県住国府テラスの花水木は白い花)

県営住宅のAさん宅に、テレビの修理品をお届けです。
ブラウン管の大型ワイドテレビ、液晶テレビに切り替わってから、ブラウン管テレビの重さが堪(こた)えます。
階段があるので、息子と二人でお届けになりました。
通路から自転車置き場のそばに一本、白い花びらの花水木が覗(のぞ)きます。
とても可憐な花びらが印象的でした。


(Kさんのおばあさんに、「花水木撮るよ」と話しかけ)

Kさん宅のおばあさんは、小柄な働き者です。
夕暮れだったので逆光になり、隣の家の石垣の上からのアングルでないと写真が撮れません。
Kさんは、「横に並んで咲いてる、八重桜の満開とピンクの花水木、とっても奇麗でしょう」と、写真を撮ってる私をじっと見つめます。


     (Mさん宅で、ピンクの花水木を大きく写す)

Kさん宅のピンクの花水木は、遠くからしか写せません(私のカメラは、望遠がききません)。
隣のMさんの花水木は、とてもハッキリとしたピンクの花びらです。
1枚接写で撮りました。

但馬の庭には、シャクナゲにツツジに芝桜、それに花水木の花が満開です。

おばあちゃんのコーヒーは、甘すぎます

2009年04月23日 | お客さん宅で
            (豊臣軍が「珍なる坂」と嘆いた峠も、
                           珍坂トンネルであっという間)

世の中不思議な名前や、人物や出来事って色々ありますね。
電気屋してから30年余り、当店は田舎ですから、山間(やまあい)にしても平野にしても、なんせお客様にお年寄りがいっぱいです。
それもおばあちゃんの一人暮らしの多いいこと、ウジャウジャです。
今日のTさん宅は、80歳前のおじいさんとおばあちゃんです。

電話で、「電気屋さ~ん、ちょっと蛍光灯見てほしいの~、すぐに来て~」です。
『どうしましたか、何をしてほしいのですか』と尋ねても、
「コタツも点(つ)かんし、何やかんや色々見てほしいの~」と、要領を得ません。
こんな電話はかないませんよ、予想して持っていった材料と違うものが必ず出てきて、店に取りに帰ります。
奥の間の蛍光管に、掘りゴタツの修理に、壁のコンセントの修理に、台所の天井灯の球です。
案の定、コンセントの取り付けに特殊な金具が必要、やっぱり店に引き返します。

『天井の蛍光管、カバーを取ったついでに5本とも替えたほうがいいよ、又切れたらかなわんよ』と云ってもおばあちゃん、
「金がないから、バタついてる一本だけにしといて~、切れたら又来て~」です。
『次の言葉当てようか』と引っ掛けると、おばあちゃんは、
「電気屋さんの顔を見たいから~、ピンポ~ン」と応えます。こちらがからかわれているのです。
『何やかんやでハイ、6,030円よ』と伝票出すと、
「今払うから、集金の足賃の分引いといて~」と、6,000円しか出しません。
私は、コーヒーと一緒に出されたお菓子が、『とってもおいしかったよ、そこにある分もちょうだい、その分が30円だね』と冗談です。
出されたそのコーヒー、一口飲むと『ゲェ~、飲めんわ~』と唸るほどの甘さです。

どうして、どこでもここでもおばあちゃんのコーヒーはこんなに甘いのでしょうか。
『こんなの甘くて飲めんわ~』と突き返すと、
「まだ足らんと思って、砂糖のビン開けて待っとるんよ~」と、さかになって冗談です。
電気屋して30年間、田舎のおばあちゃんの甘すぎるコーヒー、ホトホトかないません。

デフレ経済の恐ろしさ

2009年04月22日 | 私の思い

                              (競って値引き合戦の始まりです)

8日、政府・与党の追加経済対策で、「エコポイント」のアドバルーンが上がったとたん、日本中の電気屋さんの「困ったな~」が始まりました。
量販店の動きは、さすが早いですね~、2日後の4月10日には、「通常のポイントに上乗せして、エコポイント分をサービス」と、折り込みチラシです。

まだ国会に法案も出ていないのに、本日の新聞に「5月15日からのお買い上げに先行適用、但しポイントの使用は夏以降」と、又々発表です。
買い控えをどんどん政府が奨励、それを防ごうと量販店の出血値引き合戦の始まりです。
本当に困ったことになりました。

バブルがはじけて、「失われた10年」と言い続け、デフレ経済の苦しさ恐ろしさをしみじみ痛感したはずなのに、又デフレに突入です。
そもそも戦後50年、ずっと右肩上がりの経済、言ってみればずっとインフレ基調の経済でした。
無理をして物を買っても、家を建てても、「ああ、早く買ってよかった」、「思い切って建ててよかった」と言えるのは、少しずつでもモノの値段が上がり続けて、買った時より高くなった、早く買えば自分は得をしたと感じたからですね。

今はその真逆、液晶テレビを早く買って高かった~、今は安くなって損をした~、と感じる人が10人中10人ですからたまりません。
電気屋はどのお客様にも、な~んか悪いことした感じがずっと続いているのです。
エコポイントもいいのですが、できることなら「早く買ったほうが得するわ」と思う、ゆるやかでいいからインフレ基調の政策ってできないものでしょうか。
つくづく思います。
身が縮む、経済が縮むデフレってこりごり、本当に恐ろしいものだと感じます。


其の民を得れば斯(ここ)に天下を得(う)

2009年04月21日 | アトム電器
                   (国府公民館の花壇の花)

只今準備中の、「アトムチェーン創業20周年記念セール」のDMには、日本全国ご当地「うまいもの市」の案内がでています。
日本地図に、アトムのメンバー店の顔写真がズラリと掲載(当店ものってます)、
そこには、アトム電器チェーン「全国690店」、全国のメンバー店がご当地おすすめの名産品をお客様のために厳選!、
お買上商品のポイント分の名産品をプレゼント!と書いてあります。

11店でスタートしたアトム電器チェーンも、20年間で690店、
当店が加盟した4年とちょっと前には、150店ばかりの加盟店でしたから、この4年間であっという間に500店以上増えたことになりますね。
とっても多くの街の電気屋さんが、アトムの良さに惚れこんで、いや違う、お客様のために、このグループしかないと確信して、こんなに多くのお店が加盟されたのですね。

家電の業界誌、「技術営業・4月号」には、刺激的な特集タイトルです。
「漂流する地域店、量販店FCは救えるか」です。
コスモス・ベリーズをはじめとする量販店の傘下にあるFC(チェーン組織)について、長短を詳しく特集です。
地域店主導のアトム電器チェーンとは、設立と経営に対する思想がかなり違い、電気店の存続そのものも含めて、どちらがお客さまにとってよいのか、これからの数年を経て見ないとなかなかわかりません。
でも、答えはおのずと顕れて来ることでしょう。

孟子の離婁章句上九に、次のような一文が出ています。

「孟子曰、桀紂之失天下也、失其民也。失其民者、失其心也。得天下有道。得其民、斯得天下矣。・・・・・・・・・」(孟子曰く、桀紂が天下を失うは、其の民を失えばなり。其の民を失うは、其の心を失えばなり。天下を得るに道有り。其の民を得れば、斯(ここ)に天下を得(う)。・・・・・・)です。

文中最後の、「得其民、斯得天下矣。(其の民を得れば、斯(ここ)に天下を得(う)。)」とは、
いい政治をする国には人が集まってくる、だからいい政治をして多くの人が集まれば天下を得ることができると、孟子は述べているのです。

街の電気屋の世界だってまったく同じこと、アトムのチェーンも孟子の教えのまんまのように思います。

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アトム電器大創業祭・大感謝セールを準備中

2009年04月20日 | アトム電器

(届きました、超特大のチラシ「アトム創業祭セール」のDM)

ドサッと届きました、アトム本部からの荷物です。
アトムチェーンは創業20周年、当店は加盟して5年目となりました。5月16~17日に開催の、「創業20周年記念・大感謝セール」ご案内のDMチラシです。
今回のチラシの大きいこと凄いです。
新聞大のA2サイズが3枚組ですから、毎月の特選品チラシの24ページ分、広げて見やすい大判タイプに仕上げてあります。
早速、当店独自のオリジナル案内チラシや、特価チラシを一緒に封筒に入れていきます。
お届けさせていただくお客様のシールも貼って完成、ちょっと早いですが4月の下旬から配ります。
今回は、息子結婚記念セールも兼ねていますから、今までと違った華やかさが満載、お客様へのご案内が楽しみ、
ご用意した感謝特価商品もてんこもり、ワクワクするような内容となりました。


(出来ました、超特大の「イライラ棒ゲーム」が完成です)

アトム本部が考えました、ご来店のお客様に楽しんでいただく、「お楽しみゲーム」です。
家族みんなで挑戦しよう!、はらはら・ドキドキ・イライラ、電気屋さんの手作りゲームと題して、「イライラ棒ゲーム」です。
当店、さっそく設計図に従い、ブザーにスイッチにモーターと、バッチリ組み合わせて「自動・ブーのイライラ棒」が完成です。
タタミ一畳の大きさになってしまいました。ドアにつかえて倉庫から持ち出せません。
『これならお客様、大満足間違いなし』の出来栄えです。
どうかゲームで楽しんで、「日本全国ご当地・うまいもの市」の、素敵な商品をゲットして下さい。
準備は着々、仕掛けは万全。絶対盛況まちがいナシの予感がいたします。

風見鶏することも出来ません

2009年04月19日 | 私の思い
(神戸・北野町の風見鶏の館)

昨日に続き、本日も完璧な日本晴れです。
近畿地方はじめ、かなり広い範囲で一日中雲ひとつない快晴が2日間も、それが土日ときたもんですから、各地のイベントはさぞかし賑わったことでしょう。

皆と連れだって、神戸は北野町を訪れました。
三宮から山の手に坂道を上がったところが北野町、神戸随一の観光地、異人館の町です。
異人館通りの中心地の広場が、「北野町広場」。その真ん前の赤レンガの異人館が、「風見鶏の館」です。
北野のシンボル的な存在、その又シンボルである尖塔の風見鶏は、快晴の風ひとつない春の日向(ひなた)に寝てしまったのでしょうか、ピクリとも動きません。

ちょうど広場では、大道芸が始まりました。
円形の階段から眺める観光客を相手に、ちょっと照れた話術ながら絶妙な演技、
あまりの素晴らしさに拍手喝采、差し出すハットに次々とチップが投じられます。
風見鶏は、しっかり世間の風を感じて正しい方向に動きます。

本日わが町豊岡市は、市長選と市議補欠選の告示日、すなわち立候補の受付日です。
夜半に帰り、我が家の前のポスター掲示板、
市長は一人さみしくぽつんとポスター1枚、市議も二名の欠員に仲良く2枚のポスター、すなわちどちらも無投票なんです。
市長は、4年前の合併時無投票当選に続き、連続2回となる無風選挙です。
市議補欠候補なんて、その原因者たる途中辞任者がまた立候補、そして無投票当選、それも半年後に又市議会選挙、
「こんなの、あり~」と叫びたくなる、な~んか妙な気分になってしまう結果です。
豊岡の今度の選挙は、主権者たる市民が風見鶏することさえもできない、情けな~い結果をさらけ出してしまいましたね。

但馬の民話・おりゅう柳

2009年04月18日 | ふるさとの話
(八鹿町高柳の「おりゅう柳」の石碑)

二日続けて「柳」の話で恐縮、本日は「コリヤナギ」ではなくって、大木になる「しだれ柳」のお話です。
城崎温泉の風情はなんといっても、大谷川の「しだれ柳」と、浴衣姿の外湯めぐりですね。
昔の豊岡駅通り、街路樹は見事な「しだれ柳」の並木でした。
今も豊岡の夏祭りは、「柳祭」。神社には、「柳の宮」が祀られている豊岡市、もちろん「市の木」は、「しだれ柳」と柳づくしの町なのです。

隣町の養父市八鹿(ようか)町に伝わる民話に、「おりゅう柳」があります。
本日、お客様へ訪問の途中、とが山の峠の道端で「おりゅう柳」の石碑を見つけました。
御影石で造った石碑の上面に、柳の大木を切り出す村人の挿絵と、「おりゅう柳」のお話が記してあります。

民話 おりゅう柳

むかし養父郡(やぶのこおり)の高柳(たかやなぎ)のとが山という所に、大きな柳の木があった。
柳の枝は八木川までなびくという大きな木であった。
九鹿(くろく)村に”おりゅう”という美しい娘がいた。高柳の造り酒屋に奉公する娘で、行き帰りには柳の木の下でいつも休んでいた。
するとある時、柳のそばに若い男が立っていた。それから二人は毎日、柳の下で会うようになったそうな。
そんな時、京都の三十三間堂を建てるので、棟木(むなぎ)としてこの柳を切り出すようにとの命令がくだった。
村人たちはさっそくこの柳を切りはじめた。しかし次の日には、木の切り口がふさがっている。
おかしいぞ。そこで寝ないで見張っていると、夜中に木屑が舞い上がって切り口をふさいでしまった。そこで翌日から木屑を燃やしてしまうことにした。
そうしてやっと柳の木は倒されたそうな。
今度は、この切り倒された柳の木を引き出そうと、数万人の人が大縄で引っ張った。ところが少しも動かない。
そこでおりゅうさんを呼びよせて、幣(へい)をもって音頭をとってもらうと、木は飛ぶほどかるくなって、やっとの事で京都に運ばれた。
若い男は柳の木の精で、二人の別れを惜しんだのであった。
そこでこの柳を「おりゅう柳」と呼ぶようになった。
後におりゅうさんは尼になって今井村に比丘尼橋(びくにばし)をかけ、観音といわれるようになったそうな。
また高柳という地名は、この大きな柳にちなんでつけられた。
柳の跡は直径26mの凹地になって、今でもこの上の場所に残っている。ここを村人は、昔から「池の沢」と言うそうな。
                     平成六年三月 八鹿町長 0000

本日Nさん宅に、冷蔵庫の点検です。
実はNさん、勤務のかたわら歌謡曲の作曲をされてます。
Nさん作曲の作品を携えて、5月10日デビューの八鹿町出身歌手・浜千代子(日本クラウン)の歌う曲が、悲しい但馬伝説・「おりゅう柳」の歌なのです。
CDをNさんより求めて聞きました。なんと18番まで延々と続く物語の歌詞、とっても素晴らしい曲でした。
ぜひ一度お聞きください「おりゅう柳」・・・・・。

昔の思い出、ヤナギ剝(へぎ)の頃

2009年04月17日 | ふるさとの話
               (豊岡市には、カバンストリートがあります)

吉谷農芸店の交差点から、宵田橋までの通りを「カバンストリート」と名付けられ、バス停だって、「カバンストリートのりば」と表示されています。
ご存じ、豊岡市は名立たるカバンの町なのです。
鞄(かばん)生産日本一をキープして数十年、その歴史はさかのぼること千年以上前の柳製品である、「柳宮(奈良正倉院御物でもある、柳で編んだ箱)」に由来しているのです。

歴史はずっと下って明治14年の頃、手提げバンドの付いた柳行李(やなぎこうり)を発案、豊岡からカバンの元祖がスタート、現在の豊富な種類のかばんの生産へと歩んでいくわけです。
ものすごい歴史を秘めた、柳と行李とカバンの町、それが豊岡市の真の姿なのです。

今日来店した同級生のA君に、『5月になったらヤナギ剝(へぎ)をしたな~』と問いかけると、
「そうそう、中学校の3年間、学校作業でいつもヤナギ剝(へぎ)したな~」、「一貫メ、二貫メと出来高を競って先生に褒めてもらったな~」と思い出話です。
柳行李の原料は、当時但馬にとても多く栽培された、「コリヤナギ」、
刈り取ったコリヤナギの一本一本を田に仮挿し、芽が出た頃の5月の初旬、大人も子供も地べたに並んで、柳の皮を剥く作業をしたものです。

二股の金串にヤナギを挟んで強く引き抜く作業が、「ヤナギへぎ」です。
手も腰も痛いし、そこらじゅうヤナギの渋で汚れ放題、大変な重労働でした。
国府の家々にはどこにも、「ヤナギへぎ」の道具が2つや3つは必ずあるという不思議な村でした。
そんな作業を、昭和30年代の府中中学校では、全校生徒と先生がズラッと並んで資金稼ぎの奉仕作業、本当に豊岡らしい思い出なのです。

現在では全くその面影はありません。
柳製品やその製作職人は皆無、「ヤナギへぎ」なんて風景は遠い昔の思い出、但馬の郷の絶滅風景の一つになってしまいました。

チラシの品位は、電気店の品格

2009年04月16日 | お客さん宅で
             (大型量販店のチラシの表現には、
                       ほとほと呆れてしまいます)

お客様の玄関に一歩入ると、そのおうちの品位がわかります。
応接間に座り周りを見れば、お客様の品格がわかります。
Kさん宅は品位も品格も、それに加えて「おやじギャグ」も一級品なのです。
昨日、ジャー炊飯器のご相談に訪問です。
アトム特選品カタログの定番品をお勧めするため、掲載商品のメーカーカタログも一緒に持参です。

『ハイ、象印は10万円の高級品からズラッと14機種もありまして、小結格のこの商品くらいでいかがですか』と説明すると、
Kさん曰く、「おぉ~いいねぇ~、小結格でおいしいこむすび(おむすび)出来ますね~」と、おやじギャグで応えます。
メーカーカタログには定価表示のある商品、なのにアトム特選品カタログは定価表示なしの特価表示のみです。
Kさん曰く、「どーんと定価を書いて、そこから大巾値引きの特価表示にすればいいのに、アトムさんは正直価格だね」と指摘です。
アトムのカタログ、よ~く見れば二重価格表示なんか全く無しのすっきり表示のオンパレードです。

朝刊に折り込みの大型量販店チラシを見ますと、相変わらずの大げさ表示のオンパレードです。
30%のポイント付けます表示、46型液晶はポイントが30%の、119,400円も付くんだって、なんかお客様を小バカにしているような表現ですね。
存在しない自店通常価格に斜線を引いて、特価、特価と詐欺のような二重価格表示は当たり前、
冷蔵庫がえらい安い表示とよく見れば、インターネットの加入が条件、「冷蔵庫とネット、関係ないよ~」と云いたくなるような、半分騙しの表示です。
何とも派手な大型チラシなんですが、どうにも品位に欠ける表示です。
そんなチラシを見ていると、チラシの奥から品格無しの量販店が見えてきます。

そこに、ベスト電器本社家宅捜索・元幹部逮捕のニュースです。
ほんとうに、量販店の品格はどこまで落ちるのでしょうかね。
テレビに映る、鳩山総務相の今日の言葉を借りると、「この輩(やから)達、ほんとうにけしからん、ほんとうに許せない」の一語に尽きますよ。