雨で一歩も活躍できず

2013年11月03日 | 季節(秋)
(アトムの軽トラも、飾り付けるとこうなりました)


この写真は何でしょうか。
昨日のことです、担当の係り3人で作り上げました。

真言宗/水生山・長楽寺の開創1300年記念法会が、本日開催なのです。
記念行事の先頭を飾る、お稚児行列がある予定でした。

お稚児行列を先導する車を作ってくれないかというご用命です。
前回10年ほど前も、ご詠歌隊の先導車を作ってくれと頼まれ、ワゴン車に紅白幕を巻きつけた、みの虫ような楽しい車を作ります。

今回はお稚児さんです。

軽トラックに紅白の幕を巻き付け、金銀紅白のモールで飾ります。
「慶祝・開創1300年」の文字も取り付けて出来ました。スピーカーからのご詠歌の放送も付いています。
にぎやかな飾り付けです。稚児たちも、きっと喜びそうな楽しい車となりました。

さあ、本日午後です。出発しようかと、そんな時です。
あきませんな~、天気予報のとうりにドンピシャリ、雨がザーザーと降ってきます。

お稚児さんの衣装は大事な貸衣装です。雨に濡れることは絶対にダメなのです。
参道が坂道の滑りやすい石段ですから、小さな子供にはムリなのです。
行事直前に、稚児行列は中止となりました。

せっかく作った写真のデコレーション車も、一歩も走らずお役目ご苦労さんとなってしまいます。
とても残念な話です。



《おごそかに 1300年の 法会です》

秋の匂い

2013年11月01日 | 季節(秋)
(夕暮れ時です。小坂(おさか)の広い耕地の中、直線道路を走って帰ります)


倉見のMさん宅へ請求書を届けます。
「アトムさん、今持って帰ってください。払わせてもらいます」とニコニコ笑顔で返事です。

「あの~、一つ頼みたいのだわ。ビデオカメラ、アトムさんから頂いてない物なんだけれど、診てもらえるかな~」と、お金と一緒に差し出されます。
お持ちのビデオカメラ、ソニー製の結構上等の品です何年か前の、再生する時に、画面にタッチしてやる操作ができないとおっしゃいますね。
『分かりました、預かって帰ります。修理代が分かればまた電話をいたします』と答えます。

大切な思い出や記録がいっぱい入ってるそうですが、操作ができないことには、データ自体を取り出すこともできないと困った様子の話です。
持ち帰って、とりあえずは修理する前に、何とかしましてデータを取り出し保存してあげたいなと考えますね。


帰り道、出石川を渡って小坂(おさか)の広い広い平野の耕地、その真ん中を走る直線道路を前に進んでまいります。
前方には、誰かがたき火をしている煙です。夕暮れ時ですから無風状態です。煙は、晩秋の寂しい田んぼの上を這うように、横に横にとまっすぐに流れて漂っていきます。

ちょうどひと月ほど前の頃でしたら、コンバインが何台も広い田んぼを走り回っていました。稲刈りの真っ最中でした。走る車からも、稲穂の香ばしい匂いが感じられるような気がしました。秋の匂いです。
晩秋の11月の今日はありません。無臭無色の少し寂しい感じの耕地です。

秋には秋の匂いってものがありますね。

づづくなりに生(な)った、柿の木の下では柿の匂いが。栗の木は栗の。秋の陽を浴びた、稲木の前の稲穂の。秋の匂いは、古里(ふるさと)らしい匂いです。

地元の俳人、南孝(みなみ・たかし)さんの句集を開いてみます。
句集「春木峠」、「来日岳」の2冊を「親類になりますアトムさん、読んでください」と頂いていました。但馬の季節や風物を、巧みに詠まれています。南さんの句集を、季節の折りにふれ開いて読みます。

秋の但馬牛です。刈り取ってきた稲わらです。



【新藁の匂ひ牛舎の匂ひかな】



《晩秋の 秋の匂ひも 薄れゆく》

ミッチー正垣とその仲間たち

2013年10月26日 | 季節(秋)
(豊岡市民プラザで、正垣さんたちの「実りのコンサート」を聴きました)


今日の午後、2時間ばかりです。アイティ7階の豊岡市民プラザ・ほっとステージに出かけます。

正垣稔さんが率いる「ミッチー正垣とその仲間たち」の秋のコンサートです。
「実りのコンサート」と題して、毎年開催されます今年で9回目、家内と聴くのは今度で二回、土曜日の午後ですちょっと抜け出し出かけます。

うちのお客様でもあります正垣さんが、「今回はカメラマンがいないのよ、アトムさんのカメラでパチパチっと撮ってもらえませんか」と頼まれて、前列近くに座ります。

ミッチー正垣とその仲間たちは、ギターとボーカルの正垣稔さんを中心に、フルートやマンドリンにギターにベース、それにキーボードにピアノやドラムを演奏する総勢9人のメンバーなのです。
それに家族の長男次男さんも、お父さんに似て歌が上手い、正垣ファミリーとしてボーカル出演いたします。

正垣さんは60代後半のお年ですが、その歌声は軽やか爽やかきれいな声で、どんな曲でも歌います。
演奏する仲間たちも、実に楽しそうに和気合い合いと、コンサートのステージを盛り上げますね。

今日の演奏品目は、「もしもピアノが弾けたなら」から始まって、無縁坂/星のフラメンコ/恋/舟歌/河/あずさ2号/島唄/海その愛/積木の部屋/甘い生活/LoveLoveLove/ブルーシャトーと続きます。

しみじみ歌う「舟歌」がよかったですな~、
八代亜紀の舟歌、歌詞をなぞるだけでも「しみじみと、しみじみと」とよい歌です。それを熱唱する正垣さんの歌声もよかったですね。


「舟歌」 八代亜紀
作詞・阿久悠  作曲・浜圭介


お酒はぬるめの 燗(かん)がいい
肴(さかな)はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯(とも)りゃいい

しみじみ飲めば しみじみと
想い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌いだすのさ 舟唄を

沖の鴎に深酒させてョ
いとしのあの娘(こ)とョ 朝寝する
ダンチョネ


店には飾りがないがいい
窓から港が 見えりゃいい
はやりの歌など なくていい
時々霧笛が 鳴ればいい

ほろほろ飲めば ほろほろと
心がすすり 泣いている
あの頃あの娘を 思ったら
歌いだすのさ 舟唄を

ぽつぽつ飲めば ぽつぽつと
未練が胸に 舞い戻る
夜ふけてさびしく なったなら
歌いだすのさ 舟唄を

ルルル・・・・・・
ルルル・・・・・・


《秋の午後 ミッチー節を 聴きにいく》

今日は霜降(そうこう)

2013年10月23日 | 季節(秋)
(秋の花、きれいなコスモスの花びらとススキの穂です)


私の拙いブログも、昨日で2,000回目の投稿となりました。
途中には、300文字にも100文字にも満たない横着ブログも数多くありましたから、2,000と云いましても実質そんなに多くはありません。
毎日何か書こうと頭を巡らせていますが、中々気の利いた話が書けません。
今日も特別面白いネタがありません。仕方がないです。暦をペラペラめくります。


季節は巡りて春夏秋と、過ぎていきます本日は秋も終盤霜降(そうこう)ですね。

季節の区切りを表す言葉に、「二十四節気」というものありますね。
春は初めの立春迎え、一年スタートいたします。
立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨は春節気、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑は夏節気、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降(そうこう)は秋節気です。

今日からおおよそ15日間です。次の節気の立冬までの季節、露が冷気によって霜となって降り始めることから、霜降と呼びますね。
木々の葉が、紅葉しはじめるようになります。立冬までの間に吹く風を、木枯らしと呼びます。どんどんと、朝の冷え込みが強くなってまいります。

今日から15日後の、11月7日は冬の始まり立冬となって、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒と冬節気、それを過ぎれば陽ざし春です立春迎え、一年めでたく巡ります。

今年は何ですね、この時季になっても台風が次から次へと日本列島をめがけてやって来ます。
今日も台風27号の影響が出始めたのでしょうか、午後になって雨足が激しくなってまいりました。夜半を過ぎるころから、風も強くなってくることでしょう。

思えば9年前、ふるさと但馬を襲った台風23号は10月20日のことでした。
この年も、次から次へとところ変えては、各地に災害をもたらした台風多発の秋が過ぎ、『おかげさんで運よく、ふるさと但馬はいつもそれて被害もなくて』と思っていたら、シーズン最後の最後の台風が、未曽有の洪水被害をもたらした台風23号でした。

今年も同じことです。
全国いたるところに被害の爪跡を、今のところ、ふるさと但馬はさほどの被害はありません。
9年前以上に多発の台風ですが、今、目の前に来てます27号、28号が、まさか正かの大雨や暴風を持って、但馬に来ないかと心配します。
本日は、台風前夜の雨降りしきる、秋の節気の霜降ですね。



《降るごとに 冷気強まる 雨の朝》
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我が志を行はんのみ・・・・・吉田松陰

2013年10月15日 | 季節(秋)
(蘇武岳の西の空、雲の切れ目から陽が射してまいりました)


今日は、第185臨時国会での安倍首相の所信表明演説です。
夕刻のニュースで、「成長戦略の実行が問われる国会」とか、「首相、成長戦略実行に決意」とかと伝えます。
演説の全文が、自民党のホームページに載っていると出ていましたから、明日の新聞を待たずに読んでみました。

安倍首相は演説の中で、(やるべきことは明確です。これまでも同じような「成長戦略」は、たくさんありました。違いは、「実行」が伴うか、どうか。もはや作文には意味はありません。「実行なくして成長なし」。この国会は、成長戦略の「実行」が問われる国会です。皆さん、しっかりと結果を出して、日本が力強く成長する姿を、世界に発信していこうではありませんか。)と述べてます。
「実行」「実行」「実行」と、くどいように出てまいります。

それにもう一つ、
(明治人たちの「意志の力」に学び、前に進んで行くしかない。明治の日本人にできて、今の私たちにできないはずはありません。要は、その「意志」があるか、ないか。「強い日本」。それを創るのは、ほかの誰でもありません。私たち自身です。皆さん、共に、進んで行こうではありませんか。)なんて、「意志の力」という言葉も度々出てまいります。

安倍首相は、「志」とか「「意志」とかが好きですな~。
今月初めの1日にも、消費税を3%引き上げる決断をした記者会見で、吉田松陰の言葉を引用して「志定まれば、気盛んなり」と言って、自分の志が決定すれば、あとは全力でそれに向かっていく力が湧いてくると、強い決心のほどを述べておられました。

今日の所信表明演説です。
中村正直の訳文「心志(しんし)あれば、必ず便宜あり」を引用して、意志さえあれば、必ずや道は開けると強い決意の言葉です。

安倍首相の郷里の大先輩は、言わずと知れた松下村塾の吉田松陰というお方です。

江戸の幕末を、伝馬町獄から野山獄へ、松下村塾から野山獄へ、そして江戸は再び伝馬町獄へ収監され駆け抜けました。
吉田松陰は、天保、弘化、嘉永、安政の世を生きまして、おびただしい書や言葉を残しています。
その松陰の言葉の中でも多く出てまいりますのが、「志」というものですね。

弘化のころは、「志を以て」なんて、志とは知識や才能を頼みにするのではなく、必ず何のためにどんな仕事のためにするかを考えて、気持ちを奮い立たせようなんて、わりあい優しい内容でした。
嘉永のころは、「苟(いやしく)も志立たば」なんて言って、志が立てば、為すべからざるの事はないと、為すべきことで行うべきでない事柄はないと、少し意気が強くなってまいります。

安政6年3月の言葉です。
「吾(わ)れは、我が志を行はんのみ」と言って、唯々志すところに邁進するのみだと、日本を良くしたいという目的の手段が志だった筈なのに、「志」、「志」が目的となってしまうような意志になってしまいます。

とうとうです。安政6年10月27日の日です。

「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」の辞世の句を残して、江戸伝馬町の露と消えてしまいました。

「志」も「強い意志」も大事です。が、松陰のようになっては残念ですね。



《安倍総理 まずは実行 着実に》

銀杏(いちょう)と、銀杏(ぎんなん)

2013年10月06日 | 季節(秋)
(長楽寺の境内は、落ちた銀杏(いちょう)の葉っぱと、黄色の銀杏(ぎんなん)がいっぱいです)


ちょっと調べ物のために、長楽寺に上がります。
庫裡の前の境内に立っている大きな木は銀杏(いちょう)の木、境内は落ちた銀杏(いちょう)の葉っぱと、黄色の銀杏(ぎんなん)がいっぱいです。

ブログを書いていまして気付きましたね、辞書も引いて分かりました。
「いちょう」って漢字は、「銀杏(いちょう)」です。「ぎんなん」って漢字も、「銀杏(ぎんなん)」です。どうでもいいようなことですが、ちょっと妙な気がいたします。

銀杏で思い浮かべるのは、東大の安田講堂ではないですか(私は、東大とは全く縁のない、関係のない高卒ですが)。
安田講堂前の銀杏(イチョウ)並木って有名ですね。

先日、親戚の者が集まって食事をする機会あがありました。その時です。いろいろ豊岡出身の昔の偉い人の話が出ました。
「豊岡は大磯の沖野忠雄って、大阪では淀川の神様って云われる偉い人だってね」、
「粛軍演説の斎藤隆夫も偉いよ、同じ出石の加藤弘之は東大の初代総長、これも偉いわな」なんて話が、次から次へと続きます。
「加藤弘之は出石だね、豊岡出身の浜尾新(はまおあらた)も偉いわな、東大総長を二度もやってるすごいよ」と続きます。

有名な東大の安田講堂前の銀杏並木、その場所に東大随一の大きな銅像がドンと座っています。それがなんと豊岡藩出身の浜尾新(はまおあらた)の銅像なのです。
浜尾新は加藤弘之初代総理(総長)の補佐をしながら、明治の教育界で大活躍、東大総長を二度にわたって(第3代、第8代)務めている、とてもとても偉いお方でありますね。

話は出石の斎藤隆夫に戻ります。
粛軍、反軍演説で超有名なお方は明治の3年生まれ、斎藤よりひと回り上の生まれが、憲政の神様と称された「尾崎行雄(おざきゆきお)」です。
湾岸戦争のころです。国会議事堂を見学したことがあります。中央のホールの四つの隅に、大きな台座に三つ立派な銅像が立っています。自由民権運動の板垣退助、最初の政党内閣の総理大臣の大隈重信、日本で最初の総理大臣の伊藤博文ですね。
もう一つの台座は空いています。誰も立っていません。

斎藤隆夫はもちろんのこと、尾崎行雄でも立っていません。
当選回数(25回)、議員勤続年数(63年)、議員最高齢(95歳)記録の、憲政の神様の尾崎行雄でも立っていません(但し、国会内の別のところや憲政記念館にはあります)。

斎藤隆夫は、尾崎行雄より12歳若かったのですが、亡くなるのは5年早い昭和の24年に79歳で、尾崎行雄は、昭和の29年に95歳で亡くなっています。
斎藤隆夫の没した日が、明日です10月7日。奇しくも尾崎行雄の没した日が、今日です10月6日の本日ですね。



《偉い人 なんでこんなに 偉いのよ》

そう、カメラは真下から、それを覗き込むようにすれば・・・・

2013年10月04日 | 季節(秋)
(リニューアルされた東京駅、ドームの天井見上げて十二支のレリーフ眺めます)



カメラを構えて、首が痛くなるほど高い東京スカイツリーを写します。
次はツリーを背景に家内を写そうとしている時です。
「ああ、それじゃあ上手く写らんよ。高いツリーをバックに顔を撮ろうと思ったらダメダメ、ダメだよ」と声がかかります。

私達が「すみだ水族館」に向かう戸外のエスカレーターに乗って、たどり着いた4階の屋上テラス、パっと視野が開け、目の前に巨大なスカイツリーの姿が望めます。
間近なスカイツリーに、誰も彼もパチリパチリとカメラを向けてます。
隣の気の良さそうなおじさんは、「きれいに写そうと思ったら、そう、カメラは真下から、出来るだけ真下からツリーを構えるの。そして、前に立った人は前を見てたらダメ、上からカメラを覗き込むようにすればいいの、そら、顔もツリーもきれいに入ったでしょ」と、ニコニコやさしく話します。

「どこから来たの、どちらまで?」と、おじさんは気安く問いかけますね。
『兵庫県からですよ。このあと、鬼怒川温泉に行くのです』と答えると、「兵庫県ですか、遠くから良いね~、家族で鬼怒川温泉ですか」、
「私はね、品川です。もう何度も何度もツリーのここには来ています。そうそう、ものすごい行列でしょ、ツリーに上ろうと何時間も前から順番がすごいでしょ」、

「あのね、前の見えるビル、ソラマチの前の30階建てのあのビル、30階に上って眺めてごらん、東京タワーの展望台と同じ高さ、とてもいいよ」、「いったん一階まで下りて、エレベーターで上がらなくっちゃならんがね、無料、無料で眺める外の景色は素晴らしいですよ、待たなくていいし」、
「あのね、30階から見る東京の景色は、東京タワーもスカイツリーの姿も見えて、富士山だって見えるかも。ぜひお勧めです」なんて、品川から来たといいながら、墨田の良さを次から次へと話します。

『今日はスカイツリーにも30階にも上りません。鬼怒川に急ぎます』と云って、ニコニコ笑顔で別れます。
案の定です。
東武電車の特急は、途中ちょっとしたっ事故があったせいでしょうか、栃木駅を過ぎるころに西の空は夕焼け小焼けで真っ赤か、時間は遅れて到着するころ外は真っ暗夜でした。


 
 
次の日です。
450mの高さから、東京の夜景を眺めます。



《品川の 親切おじさん ニコニコと》

重荷を負て遠き道を行くが如し

2013年10月01日 | 季節(秋)
(日光・東照宮の陽明門は工事中でした。でも、観るものすべての建物、豪華絢爛すごいです)


50数年ぶりに日光・東照宮に参ります。

秋の快晴の下、さわやかな木立の中を進みます。
東照宮の一番のハイライト、陽明門は只今工事中、残念ですが、あのムチャクチャ豪華な彫りの建物は、拝むことは出来ませんんでした。
修学旅行の時は、奥の奥の一番奥までは観に行っていません。

長く続く石段を、息を切らして上ります。
東照宮の一番奥に祀ってあるのが、家康公のお墓、奥宮御宝塔(御墓所)って云う、八角形九段からなる高さ5mの銅製の宝塔なのです。
家康公の墓なのです。
デンと、どっしりと座って、一番高いところから東照宮の全域を見渡しているようにもありました。

家康公は東照公とも呼ばれます。
東照公御遺訓って有名な言葉が残ってますね。


人の一生は重荷を負て遠き道を行くが如し

急ぐべからず

不自由を常と思へば不足なし

心に望起らば困窮したる時を思い出すべし

堪忍は無事長久の基

怒りは敵と思へ

勝事ばかり知て負くる事を知らざれば害其身にいたる

おのれを責て人をせむるな

及ばざるは過たるよりまされり




《三猿の 姿拝みて 四勿かな》

天気が良ければ、どんなとこでも素晴らしいでしょ・・・

2013年09月30日 | 季節(秋)
(鬼怒川温泉に旅をしました。そんなときの話です)


出発した日曜日も、そして今日の月曜日も、空は晴れてる秋晴れの、さわやか快晴良い天気です。
秋のアトムの旅行は、はるばる遠くは栃木県・鬼怒川温泉に来ましたね。

泊まったホテルのすぐ裏山に、ロープウェイがありました。
『鬼怒川温泉って、川下りこそあるようだが観るところってあまりないね。温泉街をそぞろ歩くようなところもないし』、
『いい天気だし、せっかくなのでロープウェイにでも乗ろうか』と話します。

一緒に来た東京の息子は、「うちの家族旅行ってロープウェイばっかりだね。なんとロープウェイに縁のあることなんよ」と話します。
3年前は、飛騨高山に熊の肉を食べに行った時です。新穂高ロープウェイに乗りました。
2年前は、新潟県で弥彦山のロープウェイに乗りました。そして昨年は、伊豆の三島で伊豆の国パノラマパークロープウェイに乗りました。

新穂高は、それはそれは素晴らしい眺めの2156mからの絶景ですよ。弥彦山だって、600m位からの信濃の広大な平野の田んぼ、モザイク模様の素晴らしさ、伊豆のパノラマパークだって、なんといっても真正面の海と、富士の大絶景は素晴らしかった。

ホテルの裏山の、鬼怒川温泉ロープウェイです。
トコトコと歩いて乗り口に着きました。丸山って名の300mほどの小さな山に、ほんと、本当に地味なゴンドラのロープウェイがありますね。
「おさるの楽園」ってな看板もかかっています。コトコトと3分足らずのゴンドラの揺れに、眼下にどんどんと鬼怒川温泉のホテル群も揺れてます。
展望台ってなものもありました。おさるの園もありました。でも、本当に地味な質素な、多分これまでに乗った、どこよりもささやかなものです可愛いですね。

お年寄りばかりです。10人くらいの団体さんは、ニコニコお話にぎやかに、鬼怒川温泉駅まで無料とかいうバスを待ちます晴れ間の下で、ロープウェイから降りてシャトルバスの中で出発時間を待ちますね。
年配のバスの運転手さんはよくしゃべります。
「団体さんですか、この正面の山はね〇〇山です。その右は△△山ね、この辺りはどうも紅葉がきれいでないのよ。目の前のくるっと山の向こうは綺麗なんだけれどね」なんて、どんどんどんどん、観光ガイドを始めます。

「ロープウェイはよかったですか?、おサルさんね、昔はもっと沢山いたけど、山に脱走するものもいるしちょっと寂しいでしょ」、
「正直、鬼怒川温泉の目の前のロープウェイって、大したことないでしょ。でもね、お客さん今日は天気が上々ですね、天気が良いっていうことはいいもんですね~。こんなロープウェイでも天気が良ければ、どんなとこでも素晴らしいでしょ・・・」、

鬼怒川温泉の運転手さんは、実に素朴で正直な、心優しい方ですね。



《天気よし 旅はどこでも 素晴らしい》

アトムの旅行

2013年09月29日 | 季節(秋)
(日の出です。運動会日和、旅行日和の良い天気になりそうです)


毎年恒例のアトムの旅行に出掛けます。

春はアトムのメンバー店と、バスの団体旅行。秋はそれぞれのお店で、家族旅行となります。
夏のエアコン商戦のご褒美にと、アトムからのプレゼントなのです。但し、9月中に行かねばなりません。ギリギリです。
早朝出発しまして、遠くはるばる栃木県は鬼怒川温泉まで行ってきます。
では、出発~~。



《旅行です ブログも三日 休みます》

暑さ寒さも彼岸まで

2013年09月25日 | 季節(秋)
(今日も暑いです。二頭のアゲハチョウが、彼岸花の花から花へと飛んでます)


昨日今日と、えらい暑いですね。
照り付ける日差しは、ほとんど真夏と変わりませんよ、暑いです。

20日は秋の彼岸の入りでした。
私は、「暑さ寒さも彼岸まで」と云いますから、てっきり彼岸に入りますと厳しかった今年の暑さも和らぐのかと思っていました。なんの何の、彼岸に入って今日で六日目ですが、湿気こそカラっと心地よい低さになったものの、日差しはなかなかきついです。
道路沿いにあります温度計も32度前後、今日も統計調査のお願いに、車を降りてはテクテク2、3軒訪ね、ピンポン鳴らして2、3軒訪ね、歩き回っていますと、下着も上着も汗びっしょりですね。

府中新の公民館前に車を停めます。
目の前の空き地には、真っ赤な彼岸花が咲いています。真っ昼間ですからしっとりとした露っ気なんてない、からからに乾いたような真っ赤な花が、いかにも暑そうにうなだれ気味に咲いています。
暑さの中を元気ですな~、彼岸花にはアゲハチョウがよく似合う、二頭のアゲハチョウが戯れながら、ヒラ~リ、ヒラリと彼岸花の花から花へと飛んでいきます。

明日は彼岸明けです。
この一週間は、ご先祖さんに心を寄せて先祖供養をいたします。それとともに、暑い夏の季節を、厳しかった夏商戦を、無事に乗り切ったことへ心から感謝をする時ですね。
「暑さ寒さも彼岸まで」って言葉は、どうも「彼岸が来たら、暑さも和らいで凌ぎやすくなりますよ」ってなことではなくて、「彼岸までは暑さが残りますよ。厳しい残暑は彼岸までありますよ」のようです。

あと一日です。
彼岸明けが過ぎれば、ほんとのホントの涼しくなる方の、「暑さ寒さも彼岸まで」になることでしょう。


《夏越して 彼岸も暑い 秋バテか》

2013年・中秋の名月

2013年09月19日 | 季節(秋)
(我が家から見ました東の空に、まんまるお月さまが顔を出す・・・午後6時08分)


(ゆっくり昇ってきますお月さま、今年の名月は99.9%の満月ですね)


今日、9月19日は「中秋の名月」の日です。

我が家から、夕刻東の空を眺めていました。山の頂上からお月さまの顔が出てまいります。
数分もしないうちに、まんまるお月さまはニッコリ輝き顔を出す、東の空はとてもきれいな満月ですね。

ほんの少し前に、太陽は西の山に沈みます。
本日の天気は、雲一つない快晴でした。夕刻のこの時間も、空は澄んでる西の茜の夕焼け空と、東の満月月の出がどちらも見えます素晴らしいですね。
時間が過ぎます暗闇に、まんまる満月お月さま、輝きどんどん増していく、今年の名月100点満点まさに名月その名の通り、「中秋の名月」輝きますね。

旧暦では、7、8、9月を季節の「秋」と呼びました。
月の運行から作られた旧暦ですから、月の満ち欠けのちょうど真ん中の、7月15日も、8月15日も、9月15日も空に見えるは満月なのは当然ですね。

夏の月は低く見え、冬の月は高く見えます。
ちょうど頃合いに仰ぎ見る春秋の月、空気が澄んでいてより綺麗に見えることから、秋の真ん中であります旧暦8月の満月を、「中秋の名月」として鑑賞する習慣が生まれました。

調べてみました。
我が家の立っていますこの地の、緯度・経度と標高から計算しますと、本日の月の出は午後5時40分となっています。
実際は東の山がさえぎっていますので、地平線からの月の出に比べて25分程度遅れて出ました満月でした。

これも調べてみました。
本日の「中秋の名月」は満月だって、えっ、中秋の名月はいつも満月じゃないの、と思ってしまいますが、実は暦の進み具合から旧暦8月15日の、月の出の瞬間の月が完璧完全100%の満月になることは無理だって、いくらか少し外れるそうなのです。
それが今年の場合は、満月まんまるそうなのですね。

調べましたね。本日の月の出の瞬間の月は、輝面率99.9%と出ています。
昨年は雨で全くの見られない名月でしたが、やはり輝面率100%。一昨年は99.9%と3年続いて、ほぼ完璧な満月の「中秋の名月」の月の出となっていますよホントです。

これが困ったことに、来年2014年の中秋の名月、9月8日にやってきます中秋の名月は残念ですね、輝面率が98.8%の月の出満月となってます。さらに、2015年も2016年も、ずっとずっとその先も、99.9%の月は出ません残念ですよ。
次に今年と同じような完全完璧な満月の月の出は、2021年です8年後です。
東京オリンピックの次の年、うちのケンちゃんは8歳になってる見れますね。私はその時、生きとるかいね。東京オリンピックまででも分からんものを、8年後の中秋の名月分からんですね。


《きれいです 秋の夜空を 名月が》

82年前の9月18日は

2013年09月18日 | 季節(秋)
(秋の夕暮は早くなりましたね。晴れの豊岡、夕刻6時ジャストの町の家並み沈む夕日)


元豊岡病院のあったところ、今はスイミングやスポーツクラブの建物、隣には市役所の福祉関連部署があります。
Yさんちのリホームで、高齢者への補助金を申請するため福祉関連部署に出向きます。

「約束の6時は事務所の入り口を閉めていますので、来られたら電話してください。横の通用口から入ってもらいます」と、担当のSさんから聞いてました。
建物の外で、携帯をかけながら西の街並みを眺めます。

きっかり6時です。

西の空は沈む夕日に照らされて、薄く鮮やかな真っ赤な色に染まります。豊岡の家並みは黒の影絵のような姿、夕日に照らされた空とのコントラストが、とてもきれいに目に入ります。

今日は旧暦の8月14日です。
仲秋の名月は旧暦8月15日と決まっていますから、明日が満月月夜です。毎年、この仲秋の名月についてよくブログに取り上げ書いてます。
今日だって、外に出ますと中天の空に、ほぼまん丸の大きなお月様が煌々と輝いています。


82年前の今日9月18日は何の日であったでしょうかね?、

実は、私の親父は明治43年生まれです。
日清戦争の10年後が日露戦争、日露戦争が終わったのが明治38年ですから、日露戦争の5年後に生を受けていることになりますね。
それから数えて21年後です。

親父が21歳になった時、昭和6年9月18日に中国大陸は奉天郊外の柳条湖で起きた、南満州鉄道の爆破事件が柳条湖事件なのです。世にいう満州事変の勃発なのです。
昭和6年9月18日のちょうど今頃の時間です。午後10時20分ごろに鉄道線路上で爆発事件が起きたのです。
この事件をきっかけに日本帝国陸軍の関東軍は、大陸の国民革命軍と戦闘状態に突入するわけです。世に云うところの満州事変です。

親父は21歳で出征しています。
そのあと昭和12年の支那事変、昭和16年の大東亜戦争と続きます。
親父はこの3回とも出征しました。
21歳にて、27歳にて、そして35歳になって終戦を迎えて、ボロボロになって乞食然とした姿で帰ってきたのでした。

青春の入り口から、働き盛りの35の年まで、チョビチョビだったでしょうが3回も招集されてしまった。
その最初の満州事変の起きた日が、82年前の今日の今夜の9月18日でありました。


《戦争で 尊い命 死ぬか生く》

忘れてしまいました

2013年09月16日 | 季節(秋)
(今日は「敬老の日」、台風一過、空は久しぶりの秋晴れとなりました。午後3時ごろ)


昔から台風も来ました雨も降る、風も吹きます荒れました。

子供の頃から、私の住んでいます地区はとても洪水になりやすいところで、家の中に洪水の水が押し寄せる、辛い思い出いあっぱいありました。
伊勢湾台風の時も大洪水でした。

ラジオしかなかったからでしょうか?、今のように情報があふれてなくって、知らなかったからでしょうか?、
台風の被害も、色々見聞き体験してきましたが、この頃の全国で発生します雨の降りように、風の吹きようは尋常なものではないですね。

今日、日本列島を縦断しました台風18号だって、先日の関東平野の竜巻だって、何十年に一度の、経験した事のない短時間降雨量や、屋根をぶっ飛ばすムチャクチャな突風ですね。

夜のテレビのニュースで見ます各地の洪水、土砂崩れに突風被害、物凄く広範囲に広がる様子に、ただただ悲しく驚きますね。
被害にあわれた方々に、心からのお見舞いをいたします。

ふるさと但馬のこの三連休は、雨が土砂降り続きます。

土曜日に予定されていました。市内の小学校運動会は当然中止、順延の本日日曜日も、まだ降るとてもダメでした。

今朝はあまりの激しい雨音や、早朝からの防災アナウンスの大音響で、目が覚めます早いです。
うっかりでした。雨に気をとられてた為か、15日ばかりと勘違いしていた為か、16日の「敬老の日」ってなものを見過ごして、祝日の国旗を出すのを忘れてました。


《雨上がり 気がつきました 国旗なし》

電気屋さんはよ~儲けとって、そのうえ米まで出荷ですか

2013年09月11日 | 季節(秋)
(ふるさと但馬のあちこちで、稲穂ゆらゆら秋の風、黄金の波がつづきます)


アンテナ工事をじっと横で見つめるKさんが、私に向かって問いますね。

「電気屋さんはよ~儲けとって、そのうえ米まで出荷ですか」と問いますね。
『えっえっ、私んちは米作ってませんよ。昔農家、今電気屋ですよ』と答えます。

Kさんは、JAの米集荷センター・カントリーエレベーターに、忙しい農繁期の時期に働きに出ておられます。
コンバインで刈り取った米がどんどんと運ばれてくる、重さを計ったり水分測定をして、米の入荷を受け付けている仕事です。

昨日の入荷分に、〇植〇男の刈り取った米が運び込まれたと云うのです。
『Kさんよ。それはね、隣の地区の〇植〇夫さんよ、Kさんもよく知っておられる〇夫さんですよ』、『読み名が同姓同名でしょ、いつも間違われてしまうのですよ。私んちは田んぼは作っていませんありません』と話します。

ふるさと但馬のあちこちで、稲穂ゆらゆら秋の風、黄金(こがね)の波がつづきます。
秋晴れ上々稲刈り日和、高生(たこう)平野もあちこちで大型コンバインが出ています。

風雨に負けずにしっかりと、倒れずきれいに立ってる稲穂、一町歩もあろうかと云う広大な田んぼ、コンバインは田んぼの隅から隅へと四角に進む、立っています稲穂をクルクル・クルクル、頭の周りを散髪でもするようにきれいに刈って進みます。


《ふるさとの こがねの波は 刈り取られ》