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雅成親王のお妃

2019年09月27日 | 但馬の伝説・昔話
          福岡・太宰府天満宮


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(1級)問題より

記述式
【76】豊岡市日高町松岡に伝わる、「松岡御柱まつり」の由
来となった雅成親王の妃は、誰でしょうか。

正解は、【幸姫】です。

豊岡市日高町松岡にある、十二所神社前の円山川河川敷で行
われる「松岡御柱(おとう)まつり」は、雅成親王(後鳥羽
上皇皇子)の妃・幸姫の霊を慰めたことから始まりました。

春の南風が吹き始める4月14日に行われる、火祭りの奇祭
「松岡のばば焼き」はこんな話から始まるのです。

《むかしむかし、承久(じょうきゅう)の変の後、雅成親王
(まさなりしんのう)と申すお方は、但馬国(たじまのくに)、
五荘村高屋(ごのしょうそんたかや)の里に配流になりまし
た。
都のお妃様は、親王様の身の上をご案じられて、明け暮れ、
お嘆きになっていましたが身重なおからだをもいといなく、
うばひとりを連れ、慣れぬわらじを召されて、都をあとには
るばる但馬国高屋の里へと、お旅立ちになりました。

折しも春の半ば、見渡すかぎりの野原も山も、緑にもえて美し
く、こずえに歌う鳥の声もわびしい旅情をお慰めしたことでし
ょう。
そして、道中泊まりを重ねて、ようやく但馬国松岡の里まで、
おいでになりました。
なにしろ、遠く山坂超えての旅路でしたから、かよわい女の身
は、綿のようにお疲れになって、道ぶちの石にいこわせられ、
ふと、岸辺で物洗いをしている、ひとりの老婆にお気付きにな
りました。

高屋までの道のりは

「少々、ものを尋ねます。五荘高屋の里へは、どう行けばよい
でしょう。」とお聞きになりました。すると老婆は、お妃様の
姿を、しげしげと見ていましたが、「それはまあ、たいへんで
ござります。高屋までおいでになるには、五日かかる池上(い
けがみ)を行き、七日かかる納屋(なや)を過ぎて、九日かか
る九日市(ここのかいち)から、十日かかる豊岡(とよおか)
へ出て、人を捕る一日市(ひといち)を通らねばなりません。」
と、
三里(十二キロ)にも足らぬ平穏な道を、さも、まことしやか
に言いました。

これを聞かれたお妃様はおどろかれ、「十日の日かずはいとわ
ねど、人を捕る一日市とやらが恐ろしい・・・ようようここま
で来たものを、ああ、どうしましょう・・・・・。」と、じだ
んだ踏んでお嘆きになりました。

南の風になって 

「一日市とかで、捕らわれのはずかしめを受けるより、いっそ、
このふち川へ身を投げて果てましょう。死後は南の風になって
高屋へ行きます。」と、言い残して、前を流れる深みへ、お沈
みになってしまいました。
このことを知った村の人たちは、すぐ川からお助けしましたが、
王子を生み落されたまま、ついに事切れてしまわれました。
歯ぎしりして残念がった村人は、逃げまどう老婆を捕えて、松
の木にしばり付け、「おのれ憎いうそつきばばめ、火あぶりに
してくれるわ。」と、下からどっと火を燃やし、焼き殺して、
お妃様の恨みを晴らしました。

お妃様は、りっぱな長い髪のお方でしたから、身投げなさった
時、その黒髪が、川いっぱいに広がって、一里(約4キロ)の
川下までも続いていたとのことです。また、じだんだを踏まれ
た足跡が、今もその川岸の岩に、残っているそうです。

十二所神社

松岡の川ぶちにある神社は、王子様とお妃様をお祭りした社で
十二所(じゅうにしょ)神社と申します。
悪い髪の人は、その毛を供えてお祈りするとりっぱになるとい
われています。

それから、この村の子供たちは、この老婆を憎んで、毎年三月
十五日に、ばばの形のわら人形を作り、松の木(おとうまつ)
の上にくくり付けて、焼くようになりました。
これを、『ばば焼き祭り』といいます。この日には、不思議に
南風が吹くということです。》
(菅村驛一さんの、「匂うふるさと」より)
 

『そうだら~がな』

但馬弁で「そうだら~」と言ったら、「そうでしょう」のこと
です。
「ミオちゃん、今朝は何回もトイレだね。昨夜はアイスをたく
さん食べたね、おなか壊したんだわ。夜に冷たいもん食べたも
んね、そうだら~」と注意して話します。

但馬弁で「~がな」は、「~よ」のことです。
「ケンちゃん、朝ちゃんとようけ食べとけへんから、腹減った
だろうが。そうだら~がな」と話します。




但馬の棚田

2019年08月27日 | 但馬の伝説・昔話
           淡路一の宮・伊弉諾神社


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より

【46】「日本の棚田百選」に選定されている棚田は、どれ
でしょうか。

(a)関宮別宮の棚田     (b)村岡西ヶ丘の棚田
(c)村岡和池の棚田     (d)小代秋岡の棚田

正解は、(b)の村岡西ヶ丘の棚田です。

但馬の棚田はどこも素晴らしいです。
道路沿いから眺められる関宮別宮(べっく)の棚田は、氷ノ
山の残雪をバックに素晴らしい早春の風景です。
村岡和池の棚田も、小代秋岡の棚田も素晴らしい風景です。

「日本の棚田百選」に選ばれている西ヶ丘の棚田は、村岡区
で一番高いところにある棚田です。
村岡区川合にある長楽寺・大仏殿を左に見て進み、右折して
山道を進みます。カーブの続く山の中の集落を抜けて、急こ
う配の坂道を登り切ったところが西ヶ丘の棚田です。

村岡区和佐父西ヶ丘にありますから、和佐父(わさぶ)の棚
田とも呼ばれています。
田植え時、水面に空の白い雲を映し、棚田の正面には長楽寺
の大仏殿と五重塔が見えます。高い山の頂上近くにある西ヶ
丘の棚田は、周囲の山々をパノラマで見てとても素晴らしい
景観なのです。
さすが、棚田百選に選ばれるだけのものですね。


『おおがっそう』

「おおがっそう」とは、但馬弁で頭の毛がボーボーと伸びてい
る様子を言います。
「じいちゃんの頭、おおがっそうだわ。そういや~2ヶ月もサ
ンパツいっとらんわ。おおがっそうは見苦しいんで、今日でも
散髪行ってくるわいや」と話します。



但馬の伝説

2019年08月05日 | 但馬の伝説・昔話
        鳴門大橋と鳴門の渦潮と観潮船と


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(1級)問題より

【68】昔、近くの泉に水を汲みに行った小僧さんが大蛇に
ひと飲みにされたり、突然の山崩れや大水が流れるなどの
伝説が残り、水にちなんだ「海上」「児島」といった地名
がついた、新温泉町にある山は、次のうちどれでしょうか。

(a)牛が峰          (b)三成山
(c)大空山          (d)瀞川山


正解は、(a)の牛が峰です。但馬には、とてもたくさん
の伝説が残っています。これは、新温泉町の牛が峰に伝わ
るお話です。

新温泉町の鳥取県との県境に蒲生峠があります。その峠近
くに牛が寝たような形の山を「牛が峰」といいます。昔は、
山の上に大きなお寺があり、水はずいぶん離れた「日の水」
という泉まで汲みに行きました。
ある朝、水を汲みに行った小僧さんが帰ってこない。翌日
も別の小僧さんが行って帰ってこない。さらに、翌日には
お坊さん2人が一緒に行って、1人が大蛇にひと飲みにされ
たという話が伝わります。

これは祟りに違いないと、慈覚大使という偉いお坊様が、も
ぐさを詰めた人形に火をつけて大蛇を退治したというお話が
伝わります。
しかし、大蛇を退治すると大蛇の祟りで地震と山鳴りが続き、
小又川をせき止め、谷が大きな湖になったということです。
そのため、海上とか児島の地名が残ったと伝説です。

ほかに、七美から来た娘に誘われ、大水が出るとうわさから
山に上がった村人が、何も起こらないいい天気で、村に下山
した拍子に上流からの大水で、村も何も一気に流されたとい
う話。もちろん、七美から来た娘の姿は消えたという話です。

この、地鳴りや出水の伝説が残っているところが、牛が峰な
のです。


『ひゃあなこと』

昔のおばあさんは、こんな但馬弁を使っていました。
「こんなこと」とか、「こうでしたよ」ということを、何故
だか知りませんが「ひゃあなこと」と訛りました。

「ミオちゃんあかんで~。大事に育てている花、勝手につまん
で花びら取ったら。ひゃあなことしたら絶対にあかんよ。母ち
ゃんに叱ってもらおうか。ひゃあなことして」と、ひどくばあ
ちゃんは怒ります。


平家の落人伝説

2019年07月24日 | 但馬の伝説・昔話
            宝塚劇場周辺


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(1級)問題より

【13】 但馬各地には平家の落人伝説が数多く残っています
が、平盛継(越中次郎兵衛盛継)が潜伏したと伝わる但馬の
場所は、次のうちどこでしょうか。

(a)養父市大屋町横行      (b)新温泉町三尾
(c)香美町香住区余部      (d)豊岡市気比


正解は、(d)の豊岡市気比(けひ)です。

源平合戦に壇ノ浦でやぶれた平家の武将は、日本海の海岸沿
いを逃れます。この但馬の地にも、約40ヵ所くらい平家武将
の落人伝説が伝わっています。(a)の養父市大屋町横行(よ
こいき)にも、(b)の新温泉町三尾(みお)にも、(c)の
香美町香住区余部(あまるべ)にもみんな落人伝説がありま
す。
あることはありますが、余部御崎地区の「百手の儀式」に見
られるような、とても有名な平家落人伝承だって本当の史実
とは言えません。但馬での唯一史実であると言われているの
が豊岡市気比の平盛継(越中次郎兵衛盛継)の潜伏記録です。

平安時代後期、平家の武将平盛継(たいらのもりつぐ)は、
落人として豊岡の気比へ潜伏します。気比の豪族・権守道広
のもとに下男として身をやつして隠れ住みます。
源氏は各地に逃げ延びた平家の残党を探索します。盛継は建
久5年(1193)に捕らえ鎌倉に送られ、将軍頼朝の前に引き
出されて処刑されてしまいます。
この事実は、史実として記録に残り確実なのです。

盛継については、道弘の娘婿となり平穏な暮らしをしていた
話も残り、鎌倉での刑死のあと盛継を供養するために、城崎
町湯島と地元気比に宝篋印塔の供養塔が立てられています。


『ぬきい』

「ぬきい」は但馬弁です。普通なら「ぬくい」と言うところを、
ちょっと但馬の訛りらしく「ぬきい」と言います。
「ぬきい」は「暖かい」の但馬弁なのです。

冬に言います。
「ケンちゃんこの冬はぬきいな~。こんなに雪も少なくってぬ
きい天気って気持ち悪いね。雪が全く降らなくってぬきい冬の
あとはどうなるんだろうね。夏は猛暑になるかな、冷夏かな」
なんて話をいたします。

但馬の昔話

2019年03月26日 | 但馬の伝説・昔話
        淡路島花さじき・大阪湾


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(2級)問題より

【66】但馬の伝説・昔話とその地域名の組合せで、誤ってい
るのは、次のうちどれでしょうか。

(a) おりゅう柳 - 豊岡市出石町
(b) 藤無山 - 養父市大屋町
(c) 和田の竜 - 香美町村岡区
(d) 車をおしたキツネ - 香美町小代区


正解は、(a)のおりゅう柳 - 豊岡市出石町となります。

但馬の伝説「おりゅう柳」は、養父市八鹿町高柳に伝わる
お話です。出石町ではありませんから、これが正解となり
ます。
「おりゅう」と名の付くものが、豊岡市出石町にあります。
この問題を紛らわしくしています。

出石町の谷山川(元の出石川)にかかる大橋東詰に、立派
な灯籠が立っています。「おりゅう灯籠」というのです。
昔は、日本海より十石船がこの辺りまでやって来たのです。
船着き場の灯籠(灯台)だったのです。

鎌倉時代に悲恋物語があったそうで、主人公の名前が「おり
ゅう」さんです。
灯籠のそばに立つ柳の木が、「おりゅう」さんと恋人の寄り
添う姿に見立てて、この灯籠は「おりゅう灯籠」と呼ばれる
ようになりました。

「おりゅう」も「柳」もあって、八鹿町の「おりゅう柳」と
紛らわしいですね。

(b)~(d)の組み合わせは、どれも正しくて誤っていま
せん。


『わりかし』

子供のころから「わりかし」普通に使ってました。今でも、ひ
ょっこっと使うことがあります。
但馬の訛りで、「わりかし」とか「わりかた」とかいう言葉で
す。

「わりかし」は、標準語の「割に」とか「わりあいに」の但馬
弁なんです。
この頃なら、大人も子供も「わりあいに寒さも緩んで、春がや
ってくるみたいだね」と、標準語の「わりあい」を使いますが、
昔は「わりかし涼しいじゃないの。天気予報では暑つうなるい
っとたのに~」なんて言うように使いました。

また、「あかんあかん言っとったけど、うちの息子わりかたや
さしいから~が」なんて使います。

「わりかし」も「わりかた」もなつかしい但馬弁ですね

但馬の伝説

2018年11月04日 | 但馬の伝説・昔話
        夕日に透き通るススキの穂


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より

【86】昔、近くの泉に水を汲みに行った小僧さんが大蛇にひ
と飲みにされた話や、突然大水が流れた話などが残る、兵庫
県と鳥取県の境になっている蒲生峠の近くにある山は、次の
うちどれでしょうか。

(a) 牛ヶ峰   (b) 段ヶ峰   (c) 三川山   (d) 妙見山


 この伝説は結構怖い話なのです。この舞台は、蒲生(がも
う)峠の近くにある牛が寝たような形の「牛ヶ峰」の話です。

昔、大きなお寺は山の上にあったため、水汲みは離れた「日
の水」という泉まで出かけていました。
何人ものお坊さんが、水汲みに行ったまま帰って来ません。

最後に行った2人のお坊さんは、一人は大蛇にひと飲みされた
と血相を変えて帰って来ました。
寺は大騒ぎになり、慈覚大師というお坊さんがワラ人形にもぐ
さを詰めて、大蛇に飲み込ませて火をつけようと提案しました。

やって来た大蛇は、人形をひと飲みにして火を付けられます。
「やった~」と大喜びする村人に、地震と山崩れが襲います。

小又(こまた)川はせき止められ、谷は大きな湖に変わってし
まい、寺のあった丘は小島になってしまいます。
そのため、山の中にある村なのに海上(うみがみ)とか、児島
(こじま)の地名が残ります。

何年かして、七美(しつみ)の方から来た娘が「6月10日に
はこれまで見たこともない大水が出る、丘に集まるように」と
告げます。

天気も上々なので、村人は「娘の言ったことウソだ」と丘を降
りようとしたその時、上流の方から地鳴りと一緒に山崩れでで
きた湖が決壊して大水が村を襲います。

土も石も一気に押し流して村を襲います。
その後、村人は娘の姿を見ることがなかったというお話です。

新温泉町に伝わる、「牛ヶ峰の大蛇と大水」の伝説なのです。
答えは、(a)の牛ヶ峰ですね。


『まっぺん』

 「ミオちゃんは、ビデオの録画みるの好きだね」、「そうよ
好きだもん」と話します。でも、もう7時です。

「ミオちゃん、じいちゃんにニュース見させてよ。な、もう大
人のニュース見る時間だよ」と言い合いになります。
そうすると、ミオちゃんは「まっぺん見たい。まっぺん見る見
る」と駄々をこねます。

「まっぺん」て但馬弁なんです。「まっぺん」は、「もう一度」
の但馬の方言なんです。
ミオちゃんはいつの間にか、但馬弁で返事なんです。

「じいちゃんじいちゃん、ミオちゃんの好きなマンガ、まっぺん
見たいわ。じいちゃんがニュース見るの後にして~」と、どうし
てももう一度見たいと言い張りますね。

但馬の民話

2018年06月22日 | 但馬の伝説・昔話
            鳥取浦富海岸の海岸遊覧船で


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(2級)問題より

【31】新温泉町の宇都野神社境内に湧き出る清水は、その昔、船の穴をふさぎ
遭難から救ったという伝承に由来する魚介類の名前を付けて何と呼ばれている
でしょうか。

(a)アワビ之霊水    (b)ホタテ之霊水    (c)サザエ之霊水    (d)アサリ之霊水


 新温泉町浜坂にはこんな伝説があります。

偉い将軍が軍艦に乗って、但馬に来られました。そして、賊を平定して但馬の人々

を救い大いに感謝されます。。

その時です。浜坂の沖で将軍の船には、大きな穴が開いていることがわかります。

そのままでは遭難してしまいます。

修理を仰せつかった、浜坂の宇都野真若命は困っていました。

ひそかに慕っていた村娘が、鮑(あわび)に化身して船底の穴をふさぎ、その間に

修理を終えて軍艦は無事浜坂を離れます。

宇都野真若命は、娘の優しい恩に報いるため、化身した大鮑を「船魂潮路守の大神」

として宇津野神社に祀ったそうです。

鮑が祀られた境内には、こんこんと湧き出る清水があります。これが「鮑之霊水」と

言って、今も湧き出て境内を潤しています。

新温泉町浜坂の宇津野神社に伝わる鮑の伝説です。答えは、(a)アワビ之霊水となり

ます。


『へだらく』

 ケンちゃんね、昨日じいちゃんが仕事中に、ケンちゃんの父ちゃんに注意された

んよ。

「じいちゃん、ズボンから白いシャツが出てるよ。だらしないよ」って言われたん

よ。

昔はね、「だらしない」を但馬弁では「へだらく」って言ったんよ。

「だらく」って漢字で書くと「堕落」ってことかな。

生活が乱れる、だらしなく品行がいやしいことかな。

堕落って、あまりいい言葉ではないわな。

その「だらく」に「へ」を付けると、「へだらく」なんだよ。

但馬弁の「だらしない」は「へだらく」なんよ。

ケンちゃんね、昨日の父ちゃんの注意は「じいちゃん、ズボンから白いシャツが出て

るよ。へだらくだな」っていうことになるかな。

父ちゃんの注意を聞いた時、フッとそんなことを思い出したんよ。

城崎の鼻かけ地蔵

2018年06月10日 | 但馬の伝説・昔話
           竹野・鋳物師戻し峠に向かう道にて


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(3級)問題より

【100】豊岡市城崎町に伝わる昔話「鼻かけ地蔵」のお地蔵様の鼻から出てくる
ものは、どれでしょうか。

(a)小判        (b)米        (c)小豆      (d)大豆


 ふるさと但馬ではとても有名な昔話です。

お地蔵さんの祠もありまして、毎年6月第一日曜日には「鼻かけ地蔵祭り」が

盛大に開催されますね。

このお話は、城崎町楽々浦(ささうら)での昔話です。

昔々、楽々浦に正直者の漁師が住んでいました。

夢に出てきたお地蔵さんが、「楽々浦の水の底に沈んでおるが助けてほしい」と

言います。

さっそく舟を出して網を投げると手応えがあります。

夢に出てきた石のお地蔵さんです。

漁師は、夢のお告げが本当だったと、川の木の下にお地蔵様を祀ります。

すると不思議なことに、お地蔵さんの鼻からポロポロとお米がこぼれてくるので

す。

一日中こぼれるので、お地蔵様の首に箱をかけてお米を受けます。

貯まったお米は村の人に分け、お地蔵様を大切に守っていました。

ところが、漁師はポロポロ出てくるお米がザ~っと出るようになれば、毎日働かな

くてもいいと考えるようになり、ノミとツチを持ち出し鼻の穴を大きくしようとし

ます。

手元が狂い、お地蔵様の鼻をノミで欠いてしまいます。

「しまった」と思った時には、一粒のお米も出なくなりました。

その後、地元の人は鼻の欠けたお地蔵様を大切にお祀りしました。

このお地蔵さまは、一つだけ願い事をすれば叶えてくれると言い伝えられています。

答は(b)の米でした。


『ダイコン』

 昔は食事のおかずって、あんまりいいものはなかったの。

じいちゃんの子供のころのお膳の上って、たいがい「イモのおかず」か、「ダイコン

のおかず」だったね。

特に「ダイコン」は多かった。

なぜだか知らないけれど、「ダイコン」のおかずは多かったね。

普通は、大根の煮たの。ご馳走だなあと思ったのは「干しダイコンの千切り」、あま

りおいしく思わなかったのは「ダイコンのおろし」なんよ。

じいちゃんの子供のころのおかずって、とにかく「ダイコン」の煮たのばっかりだっ

たね。

もちろん、全部家の畑で作ったものなんよ。

「ダイコン」が一番よく採れたからかな。

遠阪峠のお地蔵さん

2018年03月09日 | 但馬の伝説・昔話
    日高町池上 夕日に映える蓼川用水路 


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(2級)問題より

【79】朝来市山東町の遠阪峠にあるお地蔵さんをはじめ、但馬地蔵巡礼66ヵ所
のお地蔵さんは、何と呼ばれているでしょうか。

(a)地がため地蔵     (b)地ならし地    (c)地ひらき地蔵     (d)地おさめ地蔵



 昔々、大昔のことです。但馬は一面の泥海で、人々はとても難儀をしていまし

た。粟鹿明神はじめ但馬五社の神々が集まり、力を合わせて瀬戸の岩を切り開い

て、泥水を日本海に流しました。但馬の地は人の住めるようになりました。

ところが、乾ききらない土地も残ります。神々は見国岳と呼ばれた粟鹿山の頂上

に集まり、乾ききらない但馬の土地を眺めます。但馬全域に大きな梵の字を書き、

66ヶ所の要地に「地がため地蔵」をお祀りしました。その一番手前が遠坂峠の

柴にあるお地蔵さんです。66ヵ所のお地蔵さんは、但馬地蔵巡礼66ヵ所と呼

ばれています。答えは(a)の地がため地蔵です。


『スクモのくすべ』

 この頃、あまり見なくなったものに「スクモのくすべ」があるね。ケンちゃん

は「スクモ」って言っても分からんだろうね。「スクモ」は、お米のもみ殻のこ

となんよ。但馬弁でもみ殻のことを「スクモ」って言うの。

「くすべ」って言葉もあまり使わんから分からんだろうね。「くすべ」って、ゴ

ミや小枝や「スクモ」を燃やすことなんよ。火を着けてブスブス煙を出して燃や

すことを「くすべる」って言うの。「くすべ」って言葉は、但馬弁かどうかわ分

からんけれどよく使ったね。

「スクモのくすべ」は、田んぼでもみ殻を山のように積み上げて、真ん中にパイ

プで煙突を立て火を点け「くすべる」の。昔は、秋が終わって籾摺り(稲をもみ

殻と玄米に分ける)して出たもみ殻を、あっちでもこっちでも田んぼの隅っこで

「スクモのくすべ」をやってたね。

「くすべ」だからボ~っとスクモは燃えたりしないの。黒く炭のようになって残

るんよ。炭になったスクモは、田んぼや畑の肥料のようなものとして使うんよ。

昔はよく見かけた「スクモのくすべ」も、今はあまり見なくなったね。

但馬の国の始まり

2018年01月16日 | 但馬の伝説・昔話
         真冬の神鍋高原の風景


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より

【99】昔、但馬の国を治めようと天日槍命と大国主命が争ったという伝説が残る
藤無山は、次のうちどこにある山でしょうか。

(a) 朝来市山東町柴            (b) 豊岡市城崎町楽々浦
(c) 香美町小代区石寺           (d) 養父市大屋町若杉


 昔々の大昔の話です。出雲の国を治めている大国主命(おおくにぬしのみこと)

は、東の方の但馬の国も治めようと、但馬と因幡の境あたりまでやってきました。

ちょうど同じころ、新羅(しらぎ 朝鮮)の国から日本に移住してきた天日槍(あ

めのひぼこ)という神様が、定住するとろを探して同じところに登ってきました。


 そこが伝説に伝わる藤無山(ふじなしやま)なのです。二人は、藤カズラに石を

結んで振り回して投げて、石の落ちた方を治めようと決めました。

二人の神さまがあたりを探しても藤カズラがなく、仕方なくシラクチカズラで投げ

ました。1回、2回とも但馬の方に飛んでいきます。3回目で、大国主命の投げた

石が出雲の方に、天日槍の投げた石が但馬の方に飛んでいきました。


 大国主命は「ここを境に西の国を治める。しかし、この山はいくら探しても藤カ

ズラが見あたらない。この山を藤無山と名づけよう」と言い残して帰りました。

その藤無山は、現在の養父市大屋町若杉(わかす)のずっと山奥に入ったあたりで

す。

天日槍は投げた石の方角に歩いていきます。どんどんどんどん歩いて、3個とも石

の落ちているところにたどり着きます。天日槍はそこを住みかとして定住します。

そこが現在の出石あたりと言われています。

この質問の答え、藤無山のあるところは(d)の養父市大屋町若杉となります。


『おけら』

 ケンちゃん、きのうの話で「もぐらもっちはモグラかな、オケラかな」って書いたね。

じいちゃんが子供の頃は、「おけら」ってとてもたくさんいたんだよ。

「おけら」はね、イナゴくらいの大きさなんよ。頭の方半分は、クワガタみたいに前足

の動きがとっても強いの。下半分は、羽根のない殿さまバッタみたいな体なの。全体に

小さな毛が生えていて、手で握るとフワフワっとしているの。だけどね、とても強い前

足を力いっぱい広げて手の中で暴れるんよ。


 水の上を濡れずにスイスイ泳いで、すばしこく田んぼの土の中に潜り込んでしまうの。

普段は土の中に住んでいるんだって。田植えの時期や、台風で水が増えてきた時なんか、

水面にウロチョロ出てくるんよ。

そんな「おけら」が今では全く見ることなくなったけれど、昔はうじゃうじゃいたんよ。

「虫送りの火」の行事で、「もぐらもっちあっち行け」と叫んだ「もぐらもっち」は、

まるでモグラの前足のような「おけら」を言ったのかもしれないね。


 アンパンマンのやなせたかしさんが作詞した「手のひらを太陽に」の曲に出てくるね。

いろんな虫や鳥が出てくるね。だけど、今では「おけら」はどこに行ったのかな、まった

く姿を見なくなったね。

「手のひらを太陽に」
やなせたかし作詞・いずみたく作曲

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって
アメンボだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
トンボだって カエルだって
ミツバチだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから おどるんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから 愛するんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば
まっかに流れる ぼくの血潮
スズメだって イナゴだって
カゲロウだって
みんな みんな生きているんだ
友だちなんだ


香美町の民話

2018年01月15日 | 但馬の伝説・昔話
           真冬の西の空


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成29年 第12回但馬検定(3級)問題より

【98】香美町村岡区に伝わる「和田の竜」の伝説について、現在では何の節句に
菖蒲綱を作ると伝わっているでしょうか。

(a) 上巳の節句    (b) 端午の節句   (c) 七夕の節句   (d) 重陽の節句


 ふるさと但馬には、男の子の節句に菖蒲綱引きという行事があります。新温泉町

久谷の「但馬久谷の菖蒲綱引き」、新温泉町湯の「湯村の菖蒲綱引き」、そして香

美町村岡区和田の「和田菖蒲綱引き」です。

月おくれの「端午の節句」(6月5日)を中心に行われる民俗行事は、五穀豊穣と

村の発展を願って、菖蒲で作った綱を村を二分して引き合うのです。

「和田菖蒲綱引き」は、この地に残る大蛇伝説に由来して大蛇に似せた綱を村人総

出で編んで、3番勝負で綱を引きあい、村の親睦を深める神事です。答えは、(b)

の端午の節句にする行事なのです。


『虫送りの火』

ケンちゃんね、昔はほとんどのおうちが百姓だったの。なので、年中行事は稲作とか

田んぼの話が多いの。

夏になるある夕刻のこと、家の前の田んぼ道で虫送りの火って行事をしたんよ。縄に結

んだ一束の藁(ワラ)に火をつけ、ぐるぐると頭の上を回すの。火の粉がパラパラと落

ちる燃えるワラは、夕べの田んぼを照らしながらぐるぐると回るの。農家の家はみんな

やってた虫送りの行事なんよ。


 「もうぐらもっちあっち行け、たんぼの虫もあっち行け。丹後のあっちへ飛んで行け、

丹後のあっちへ飛んで行け」(もうぐらもっち:モグラでもあるしオケラのこと)と、

子供たちは大声を出して虫送りの火を回すんよ。稲作の害虫を退治する、農家の「虫送

りの火」なんよ。

大人がよく言ってたね。「それ見~、もぐらも虫も火にぼわれて、丹後の方に飛んで行

くわ。丹後の方に逃げて行くわ」と言います。丹後は豊岡の一つ山向こうです。

隣のおばちゃんは「見てみんしゃあ、丹後の方でも “但馬のあっちへ飛んで行け” と

火を回しとんさるわ」、「そうだなあ~あ、丹後と但馬の境のあの山のあたりは、もぐ

らや虫がうじゃうじゃしとるで、今夜は虫だらけだわ」と話します。


 じいちゃんが子供の頃は、夏のある日に「もうぐらもっちあっち行け。丹後のあっち

へ飛んで行け」とワラの火を振りまわしたんよ。