

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(1級)問題より
記述式
【71】1753 年(宝暦3年)に、播磨や大坂(大阪)へ荷を
運ぶ「近廻り通船」が始まりましたが、円山川とどこの川を
結んでいたでしょうか。
正解は、【市川】です。
江戸中期、但馬沿岸の港は各地の産物を運ぶ北前船(当時、
但馬では廻船と呼んでいた)の寄港地として栄えていました。
山陰海岸から下関を回り、瀬戸内海を通って大阪に至る航路
が普通でした。この海路を近道で行くことが行われました。
「近廻り通船」という方法です。
これは、円山川をさかのぼって船で荷を運び、途中は陸路で
進み、そして市川と結んで船で播磨、大阪方面に荷を運ぶ運
送方法です。
この問題の、円山川とどこの川かというと市川となります。
円山川で船で行くことができる、たぶん八鹿あたりまで進み、
陸路で生野峠を越えて物資を運びます。そして、福崎のあた
りから市川を進む船に荷物を積みかえて、播磨沖の瀬戸内海
に進んだのでしょう。
現在の兵庫県内を、日本海から播磨灘沖へ近回りする通路で
す。
『たんのした』
「たんのした」って、聞いたことのない人にとっては、
「痰(タン)をする」に聞こえますね。全然違います。
「たんのする」は、「飽きるほど満足した」という標準語を、
但馬弁で言う時に使います。
「飽きるくらいに満足」ってどんなことでしょうか。食べた
いと思っていた珍しい食べ物を、嫌というくらい食べたとき
のことでしょうか。
「ケンちゃんケンちゃん、秋はいっぱいおいしいものが出回
るね。じいちゃんはいっぺん”たんのするほど〟松茸食べてみ
たいな~」なんて話します。
「ケンちゃんは一日中テレビばっかり見とって、たんのせ~
へんか」なんて注意します。