ドラム式を使いたい

2008年01月31日 | お客さん宅で
                      (玄関前の坂は雪)

朝から雪が激しく降ります。
雪って気温や気象状況によって一様ではありません。
今朝は細かい粒の雪がサーサーと、それこそ天から砂が落ちてくるように、
音を立てて降るものですから、たちまちのうちにあたり一面は真っ白な世界、
ふっと気がつくと、今度はとても大きな、ふわふわとした雪、わた雪です。
わた雪だって旅情たっぷりに降るなら可愛いもんですが、
猛烈な勢いで降るものですから、あっと云う間に道路に厚く積もってしまいます。

Mさんに洗濯機の修理に伺いました。
おばあさんが洗濯の係りのようで、故障内容を詳しく聞き、テストを繰り返し、貸し出すことにしました。
猛烈に降る雪の中、すべる坂道を「よっこらしょ」と、一人で運ぶのってとっても骨が折れます。
おばあさん、「私が洗濯係よ、新型のドラム式を使いたいわ」とおっしゃる。
『夜にお嫁さんに説明に来ます、ドラム式は洗濯物を取りやすくって、年取ってから使いやすいよ』と云って、
冷たい手をこすりながら、上からも下からも、雪にまぶれながら帰りました。

無財の七施

2008年01月30日 | お客さん宅で
                      (Kさん宅は雪の中)

お寺の住職さんが正月の挨拶で配布されたチラシに、
「施しのこころ」と題して、「雑宝蔵経」(インド原始経典・ぞうほうぞうきょう)の「無財の七施」(むざいのしちせ)について書かれている一文がありました。
「無財の七施」は、人さまに対して、誰でも、どこでも、すぐに出来る施しの心について説かれた教えです。

1.眼施(げんせ)、優しい温かいまなざしは周りを和ませます。
2.和顔施(わげんせ)、和やかな顔は周りを生き生きとさせます。
3.言辞施(ごんじせ)、明るい言葉は相手を喜ばせます。
4.身施(しんせ)、無料奉仕をすること。
5.心施(しんせ)、「ありがとう」「すみません」の、心からの感謝の言葉を述べること。
6.床座施(しょうざせ)、思いやりの心、譲り合う心。
7.房舎施(ぼうしゃせ)、求め来たる人に、その労をねぎらう心。の
七つの施しの心のことだそうです。
「無財の七施」は、商売でお客様への心遣いにもおおいに当てはまる教えです。

先日、Kさん宅に風呂の暖房の相談に行きました。
老夫婦でスキー民宿を長年やってこられましたが、年末、ご主人が大怪我で入院、今年は休業です。
訪ねた日も次から次へと、都会からごひいきのお客さんがお見舞いのご挨拶、
Kさんの奥さんに、慰めと激励の会話です。
心からのお見舞いをされている姿を聞いていましたが、
今日、「施しのこころ」の一文を読んでいて、『ああ、Kさん宅のあの情景こそが、無財の七施だ』と強く思い浮かべることになりました。

目の鼻血ですね

2008年01月29日 | 季節(冬)
                        (正午でも早朝みたい)

生まれて初めて、眼科で診察を受けました。
2日前から右目の白目部分が出血で赤い、「やばい、ビックリした~」という感じです。
眼科のお医者さん、「は~い、あごを乗せて、でこを当てて、目をしっかり開いて」と、
光を当て、レンズで目をしっかり覗きます。
「はい、目の鼻血ですね」、「心配ありません、2週間で消えます」と診断です。
結膜下出血(けつまくかしゅっけつ)と云って、白目を覆う結膜の小さい血管が破れて出血したものらしい。
ほとんど心配はない、『ああ、安心したホッとした』という気分でした。
今日は一日中寒く、霧が山の中腹にかかり、街もモヤが漂うような天気でした。
正午になっても早朝のような雰囲気、日差しも全くありません。
目は心配ないと云われたものの、少しは気になるし、ほんと「冬の寂し~い一日」という感じで過ごしました。
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99才の「はまちゃん」逝く

2008年01月28日 | ふるさとの話
                        (池上区の住宅地図)

池上区の住宅地図・最新版が完成、当店の宣伝を兼ねて地区の94戸に配ります。
地区内の全戸、全事業所と道路名をわかり易いイラストで描きました。
数年前から5~6回目の配布、とても喜ばれています。今回はアトム電器特選品カタログとメッセージチラシを付けて届ける予定です。
午前中、99才で逝った「はまちゃん」の葬儀に参列しました。
「はまちゃん」は私が子供の頃の「隣のおばちゃん」、わたしの両親が親しみを込めてそう呼んでいたので、近所の子供も「はまちゃん」と言っていました。
私の母からよく聞かされました。
「戦地でお父さんが留守の時お前が生まれ、駆けつけた隣のはまちゃんが名前を付けたんよ」と。
私の名づけ親「はまちゃん」は、私の両親よりずっとずっと長生きして100才にあと半年という天寿をまっとうされました。
30戸もなかった私の10才の頃、「はまちゃん」は47才の隣のおばちゃん、
午後、住宅地図を作りながら、なつかしい「昭和の、隣のおばちゃん」を思い出してしまいました。

ブンタン(文旦)

2008年01月27日 | その他
                       (直径20cmのブンタン)

おととい、大阪の親戚から「九州のお土産よ」といって、もらって帰った果物にはビックリしました。
とにかく大きい、直径は20cm、胴回りが60cmもあります。冬みかんと比べるとその大きさが分かります。
さっそく食べようと皮をむきますが、これがものすごく分厚い、厚さが2cmくらいあり力が要ります。
中の実はちょうどグレープフルーツの赤身、水分が少なくパサッとした食感でした。
食べ終わってから親戚に電話を掛けお礼を言うと、「九州のぼんたんですよ」と説明、
ぼんたん、ブンタン、どうもよく分からないので調べてみると、
熊本県八代市が特産の、世界最大の柑橘類「晩白柚(ばんぺいゆ)」のようでした。
電話でも、「皮も食べられるんよ」と云ってましたが、厚い皮は砂糖で煮て「ブンタン漬け」として売られているそうです。

人工巣塔にコウノトリのペア

2008年01月26日 | ふるさとの話
                      (点に見えるペア)

昨年の7月、46年ぶりに自然孵化で誕生したコウノトリは、今頃どこで冬を過ごしているのかな、
ちゃんと餌を取って元気にしているかな、なんて、
豊岡の人達は皆心配をしています。
100羽近くが生息するコウノトリ郷公園には、連日全国から観光バスがやってきます。
次の新しいペアが、巣塔に来ているとニュースです。
今日、Iさんにテレビを配達の途中、六方田圃の巣塔を見ると、2羽のコウノトリが仲良くいるではありませんか。
あまり近づけないので、大きな立派な親鳥も点にしか写りません。
寒い冬空の下で巣作り、春には新しい卵が孵化し、夏には大空に飛び立つかもしれません。
豊岡には、田鶴野地区や出石にも人工巣塔があり、それぞれ別のペアが巣作りを始めるかも、
今年もコウノトリの話題が発信され、豊岡の名が全国に知れ渡るような気がします。

一日中、雪

2008年01月25日 | 季節(冬)
                       (湯気立つ、消雪の水)

今日は一日中降っては止み、やんでは吹雪く、だらだらとした雪降りでした。
雪国にとって冬の雪は道路をふさぎ、行動の邪魔になり、寒く暗くうっと惜しい気持ちになる存在です。
『雪のない土地がうらやましい~』、『降るならスキー場だけにしてくれ~』、『水不足は困る、山には積もってくれ~』と、勝手なことを思います。
地下水を道路に少しずつ噴水して、降る雪を融かしてしまう「消雪装置」、
当地では、豊岡市の駅通りが最初だと思います。
チョロチョロと出る水は、雪が降り始めると感知する装置がポンプのスイッチを入れ、一晩中融かし続けます。
雪道をノロノロと走る車は、消雪水できれいになった道に入るとホッとしたものです。
今では、街の主要な道路や橋にどんどんと敷設され、ずいぶん走りやすくなりました。
古くからの消雪道路は水の出方がバラバラで、勢いよく上がる水はまるで噴水、
つい最近の分はピタッと足並みそろえて水が出ます。
車屋さんからの帰り、豊岡の山本地区100mくらいの消雪道路は最近出来たのか、実にきれいにそろって水が出ています。
暗闇に見通して見ると、まるで巨大なムカデが湯気を出してうねっているようでした。

雪国より、大型液晶の納品

2008年01月24日 | お客さん宅で
                        (雪でノロノロ運転)

本日は店を臨時休業です。
なぜかというと豊岡よりはるばる150km、大阪の親戚に52型液晶テレビの配達です。
このところちょっと気温が下がり雪模様が続いていましたが、
出発の時から結構な吹雪、走るにつれてどんどん激しくなり路面も真っ白、視界も悪くなります。
高速に入ってすぐに大渋滞、上り坂で大型の車が動けず道をふさいでいます。
それに冬用タイヤ規制などが重なったのか、渋滞はピクリとも動かず、
とうとう別ルートに回るため高速を離脱、さっぱりな日となりました。
それにつけても、日本海側からひとつ山を越えると、
そこは車に差し込む日差しが暑いほどに晴れている、えらい違いです。
テレビを納品し夕食に向かう頃、大阪の夕暮れは身に染む寒さながら、
晴れた西空はとてもきれいな夕陽、『こりゃあ、我が但馬はきっと雪だ』と、予想の通り、
帰りの夜道は凄い雪で、またまたノロノロ運転、ほんと疲れる「雪国から、雪が珍しい町への納品」でした。

ちょっと山は雪

2008年01月23日 | 季節(冬)
                      (但馬空港のYS-11)

店の周りの雪は、すっかり融けてなくなりました。
ところがビックリ、わが町内でもたった標高差200M程度しかないのに、神鍋スキー場のふもとの地区は雪がいっぱいです。
ふもとの万場地区にテレビの分配工事、
Tさんに、「町の電器屋さんは革靴ですか」と冷やかされます。
但馬は冬中、長靴が定番ですが、近年雪がすっかり少なくなり神鍋方面の仕事にうっかり革靴です。
つい先日の写真ですが、店の目と鼻の先わずか数十メートル高い、山の中のコウノトリ但馬空港は雪の中です。
YS-11の機体にも雪、駐車場も一面雪でした。
ところで展示されてるYS-11は、この但馬空港の他に国内の博物館などに9ヵ所だそうです。
国内の定期便は、平成18年9月30日が最後で引退、
182機製造された国産旅客機も、自衛隊などで活躍しているわずかな分と、
展示の9機以外は、東南アジアをはじめ外国で第二の活躍をしているそうです。

とんちんかん

2008年01月22日 | 世相雑感
                      (液晶テレビと記念撮影)

Tさんはもう91才、とても元気で「目の手術してから良く見えるのよ」とニコニコです。
今日は朝一番、娘さんから「テレビ、買い換えたいのですが」と、電話です。
取付完了、きれいに映るテレビをバックに記念撮影、「ブログに載せてもいいよ」と娘さん、
最新型の液晶テレビを気に入っていただき、こちらもほんとに嬉しくなりました。
ブラウン管テレビがもう無いわけですから、当然薄型テレビがどなたのお宅にも、普通に売れています。

昨日のテレビで、有名な経済アナリストが、原油高が物価に及ぼす影響をコメント、
「液晶テレビなどのデジタル家電は価格がどんどん下る、購入者は高所得者。それに反し日用品は原油高で価格上昇、購入する低所得者はもろに原油高の影響あり・・・・」と解説です。
『バカ云っちゃあいけませんよ』、
電気屋さんに聞けばすぐ分かるのに、液晶テレビはどのご家庭にも、普通に買っていただいています。
売れっ子学者も、世間をちっとも知らない「とんちんかん」な解説です。
そういえばちょっと昔にも、テレビで売れっ子の女性が、健康保険組合の話題の場面で、
「わたしは組合活動家をどうした、こうした」と、講釈です。
健康保険組合を、労働組合と勘違いして「とんちんかん」なお話をとくとくと、全国に放送です。
あんまり何でも、全分野にわたってコメントする人って、
結局、その分野しか知らない者が聞いたら、な~にも分かってないな~と思うことがよくありますね。

感動した~

2008年01月21日 | お客さん宅で
                    (七福神のテッシュペーパー)

Iさんところの男の子は小学一年です。
テレビの修理に伺うと、小生意気だった3~4才の頃と同じおしゃまな振る舞い、
でも、一人で将棋(本将棋)を指しているではありませんか。
正月の将棋大会で、「小1.2の部で優勝したよ」と、お母さんがおっしゃる、
ためしに、小6の優勝者と指して勝ったそうです。
『凄いなあ~』と、褒めてやったものの、『小6の子は落ち込んだやろな』と、すごく心配になりました。

Kさんから夕方、「FAXのインクリボン交換して」と電話です。
遠方の雪の積もる地区、息子が駆けつけると、
「近くの電気屋は、FAXを買い替えと言って来てくれないのに、あんたの店はすぐ来てくれた」と云いながら、
「すごく感動した~」と云って、えらい余分に代金いただいたとの事、
息子に言いました、『一日一善、お客様に感動を売ろう』と励まし、
『お客さんに同調して、近くの電気屋さんの悪口を話したらいかんぞ』と、念を押しました。

私はお寺のNさんに、明日使いたいと急な配達、
展示会に来られなかったので、『七福神の招福開運テッシュを、いっぱいお届けします』と、来場記念品を渡すと、
こちらも、「行かんのにもらえるの、感動した~」と、たいそう喜ばれてしまいました。

1月23日のお日待ち

2008年01月20日 | ふるさとの話
                       (シャープ液晶フェア)

今日は、本年最初の展示会、「シャープ液晶フェア」です。
豊岡の卸団地にある卸会館で開催しました。
寒い雪の降る中を大勢のご来場、多くのお買い上げをいただき、本当にありがたいことだといつもながら頭の下がる想いです。

夕刻からは、「お日待ち」の集まりに参加しました。
「お日待ち」は全国いたるところで受け継がれている年中行事のようで、
秋であったり、年末であったり、当地のように1月23日にするところがあります。
内容も秋の収穫に感謝したり、新年を迎える行事であったりしますが、
当地では、火の神様をお祭りする謂われだと聞いています。
秋葉神社のお札を奉った祠を前にして、隣保の者が宿の家に集まり、お供えしたお米とお神酒をいただきます。
秋葉神社は火の神様、村中に火災や災難が起きませんようにとお願いします。
そうして東の空にお日様が出る明け方まで篭もる慣わしだそうです。
今では律義に23日に集まることをせず、直前の土曜とか日曜日に済ましています。
本日は当隣保の「お日待ち」、その後は会場を移して新年会となるわけです。

施政方針演説を読む

2008年01月19日 | 世相雑感
                     (パチンコ屋の車・車・車)

夕刻から外気がググッと冷えてきます。
Yさんにお買い上げ御礼の、「アトムうまいもの市・飛騨のラーメン」を、届けての帰り、
パチンコ屋さんの広い駐車場はギッシリと車・車・車、皆んなパチンコ好きなんだなあ~。
朝青龍が勝った、白鵬が全勝だとテレビが実況、なんやかんや云ってもモンゴル勢頼りの日本の国技、日本勢の意地を見せてほしいな~。
テレビは顔ぶれ一緒のバラエティ番組ばっかり、ゲストの芸能人(?)の本業って見たことないな~。

食事の後、新聞1ページにぎっしり載った、「福田首相・施政方針演説」の全文を丁寧に読みました。
感想を二言で言えば、「細かい事を延々と首相に言わせないでほしい、役人の報告みたい」と、
「坂の上の雲・平成版及び国際版を、国民に切々と語りかけてほしいな~」ということです。
福田首相が全部草稿を作る訳じゃあ無いでしょう、
草稿プロジェクトの皆さん、国民を唸らせるような、そして首相に後光が射すような、台詞書けんもんでしょうか。
首相には「はじめに」と「むすび」だけにして、細々な中身は他の大臣に、
首相は思いのたけを、全国民のみならず全世界に向かって喋ってほしいな~。

時代、場面、立場が全く違うので比較するのが酷ですが、
隣町、出石町出身の代議士、斉藤隆夫の「昭和11年5月、2・26事件後の粛軍演説」や、「昭和15年2月、支那事変後の粛軍演説」、
その内容どちらも迫力ありますな~、ほんと参考になりますよ。

地デジは雪に強かった

2008年01月18日 | お客さん宅で
                    (タイヤの雪ドーナツ)

最近の冬はすっかり雪が少なくなりました。でも朝起きると窓の外の様子をすぐに確認します。
少ない雪でも屋根に上がる工事は駄目、多ければ朝一番の作業が除雪、
雪で走行が悪くなれば配達の練り直しと、冬の当地はいつも天気を気にせねばなりません。
今日は、窓から見下ろすタイヤ屋さんのタイヤに、雪のドーナツです。
10センチも積もっていませんが、屋根には上がれません。
日高町のTさん、「テレビがザラザラで映らん、すぐ来て」と、電話です。
駆けつけると、「窓からほうきで雪が落とせるとこに、アンテナつけ直して」とか、
「雪が乗っからないアンテナないの」とか、無理難題をおっしゃいます。
アンテナの放射器(ビームダイポール)に雪が乗っかると、映りがザラザラになります。
『なんぼ頼まれても、薄っすらとした雪の大屋根には上がれませ~ん』と、お断りです。
今度は竹野町のSさん、「古いテレビ出してきたけど、線がつなげん」と、電話です。
接続端子に合わせてつなぎ直し、『はい、出来ました』と云うと、
「今日は雪でザラザラやないの、茶の間のテレビは綺麗に映るのにおかしい」と、おっしゃいます。
『竹野町は地デジですよ、茶の間のテレビは地デジで綺麗なのよ』と、説明です。ほんと、ザラザラのアナログ放送も、地デジに切り替えるとハイビジョン画質です。
アンテナに雪が乗っても、綺麗に映る地デジは『すごい』と感心です。
でも、もっとこんもりと乗ったときには、画面が静止するのかバサッと消えるのかわからない、
ザラザラでも映るほうが良いのか、これまた心配なことが一つ増えました。

兵庫県南部地震

2008年01月17日 | ふるさとの話
                   (平成7年1月18日の朝刊)

平成7年1月17日、もう13年にもなります。
起床まであと1時間くらいの午前5時46分、我が家の2階も突然の大揺れ、経験にない長く続く大きな揺れ、
『ああ、もうあかん、屋根には大雪、家がつぶれるかもしれん』と思いました。
直線で約100Kmくらいの神戸が地震らしい、豊岡でこの揺れ、これはすごいことだと直感しました。
朝7時前からNHKは寸分の休みなく地震のニュースです。
NHKニュースで、地震の犠牲者が初めて伝えられたのを聞いて驚きました、
淡路島のOさんです。珍しいほうの苗字ですが私と同姓ではありませんか。
『ああ、死者が出てしまったか気の毒に、10人くらいは出るかな』と、思いながら見ていましたが、
次から次へと死者は増えるし、すごい被害状況がテレビで伝えられます。
翌日の新聞は、「近畿烈震・M7.2直下型、兵庫県南部地震、死者1131人不明822人」です。
今となっては10人どころか、6434人も亡くなる未曾有の大地震だったのです。
その新聞は大切に我が家に保存していますが、13年の月日の経過を物語るかのように、写真も記事も黄ばんできました。
恐ろしかったあれから13年、今日もあの日と同じように、雪が降り続く寒い一日となりました。