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八鹿地区の民家

2019年09月11日 | 但馬の建物
          城下町出石のシンボル・辰鼓楼


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成25年 第8回但馬検定(3級)問題より

【82】2004 年に「兵庫県景観形成地区」に指定された、養
父市八鹿町八鹿地区にある民家の特徴的なものは、何でしょ
うか。

(a)造り酒屋               (b)町屋
(c)うだつ                (d)白壁

正解は、(c)のうだつです。

養父市八鹿町は「うだつ」が多い町として知られています。
「うだつ(卯建)」は、屋根に取り付けられた突き出した壁
です。壁は防火壁の役割が主ですが、装飾した「うだつ」は
その家の裕福を示すものでもありました。
その「うだつ」のある建物が、旧八鹿町の調査では日本一の
数があるといわれる民家が集中しています。

JR八鹿駅から八木川に沿って、八鹿の街は商店街が続いて
いました。八鹿は但馬の養蚕の中心地として栄えました。
生糸取引の商いで隆盛を誇った時代、「大正ロマンの漂う町」
と評されました。
「うだつ」を造るには相当の費用がかかります。そのため、
裕福な家しか「うだつ」を屋根にあげることはできません。
すなわち「うだつ」は富の象徴であり、「うだつが上がらな
い」とは裕福な家に出来なかったの意味になります。
そういう「うだつ」が、町並みに日本一多くあるのが八鹿町
八鹿地区なのです。


『知らんがな』

但馬の言葉の特長のひとつに、言葉の最後に「~がな」と付
けるものがあります。
「知らんがな」の「がな」がそれです。

「~がな」は、標準語の「~よ」の但馬弁なのです。
「ケンちゃん、そなに怒らんでもえ~がな。じいちゃんが社長
会からの土産買ってこなかったからって、そんなに怒らんでも
え~がな」と、約束忘れていたことを謝りますね。


以命亭の元の住居

2019年08月04日 | 但馬の建物
       大塚国際美術館・ピカソのゲルニカ


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(1級)問題より

【66】新温泉町浜坂にある歴史民俗資料館「以命亭」は、
浜坂村の庄屋で造り酒屋でもあった屋敷を改修した施設で
す。誰の屋敷だったでしょうか。

(a)七釜屋森家       (b)高島屋森家
(c)江戸屋林家       (d)藤田屋林家


正解は、(a)の七釜屋森家です。

江戸時代、浜坂村でいち早く質屋を営み、酒造業でもあった
七釜屋森家の屋敷を町を買い取り、平成4年(1992)に「先
人記念館・以命亭」をオープンしました。
母屋には森家の遺品を展示し、酒蔵を利用した以命亭ホール
には各種の作品展示場となっています。

先人コーナーには郷土の先人、加藤文太郎(かとうぶんたろ
う・登山家)、前田純孝(まえだすみたか・歌人)、森梅園
(もりばいえん・漢学者)、藤田威(ふじたたけし・画家)
などを紹介しています。


『はしっこ』

「はしっこ」って、いちばん端のことなのです。
但馬弁では、なぜか知りませんけれど「〇〇っこ」のように
「~っこ」と呼ぶ表現があります。列のいちばん最後の所を
「はしっこ」と言ったり、紐(ひも)の最後の端を「はしっ
こ」と言います。
それとよく似たものに、部屋のいちばん隅のところを「すみ
っこ」と言います。

「ミオちゃん、そのヒモのはしっこ持っといてね。じいちゃ
んが入り口の寸法計るから、はしっこちゃんと持っといてね」
なんて頼みます。


香美町の登録有形文化財

2019年08月03日 | 但馬の建物
         眉山より徳島市全景を眺める


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(1級)問題より

【65】明治初期に建設された、入母屋造の屋根をもつ母屋
や白の漆喰塗りが特徴の建物で、香美町で初めて国の登録
有形文化財に選ばれたのは、次のうちどれでしょうか。

(a)赤木家住宅        (b)森田家住宅
(c)平尾家住宅        (d)宿南家住宅


正解は、(b)の森田家住宅です。

香美町香住区隼人にある森田家住宅は、香美町で初めて国の
登録有形文化財に選ばれたものです。
森田家住宅は、庄屋でもあり大規模な養蚕農家の建物でもあ
ります。明治3年(1870)に建てられたこの住宅は、入母屋
造の屋根を持つ母屋、白の漆喰塗りの土塀、付属室や中門・
塀が評価されて、屋敷内の4点が文化財登録されています。
第二次大戦の前後までは、地元の桑の葉を使った養蚕が大規
模に行われていた建物です。

ちなみに、(a)の赤木家住宅は、豊岡市引野にある代々大庄
屋の赤木家の住宅です。赤木家住宅は定型的な農村住宅で、派
手さはないが威風堂々した存在感に圧倒されます。
赤木家からは、「砂防の神様」と呼ばれた赤木正雄氏が生まれ
ています。もちろん、建物は国登録有形文化財です。

(c)の平尾家住宅は、豊岡市森尾にある江戸時代には但馬屈
指の大地主で大庄屋をつとめた家です。
約4,000㎡の屋敷には、大小20もの建物が点在するとても規模
の大きな屋敷構です。もちろん、建物は国登録有形文化財です。

(d)の宿南家住宅は、養父市八鹿町宿南にある茅葺き屋根が
残る養蚕農家の建物です。
養父市には824軒の養蚕農家がありましたが、宿南住宅は最古
のものと言われ、とても希少価値のある物なのです。宿南住宅
は県指定の建造物文化財となっています。


『じべた』

ふるさと但馬では、昔から「地面」のことを「じべた」と言い
ます。もしかしたら「地べた」って書くのかな、「地辺田」っ
て書くのかな。とにかく、地面は「じべた」なのです。「じべ
た、じべた」と言うのです。

「ケンちゃんケンちゃん。じべたに座ったらズボンが汚れるが
な。座るときわな、ちゃんとなんぞしいて(敷いて)座らんと
あかんわな」と話します。

以命亭

2019年07月21日 | 但馬の建物
         円山川の水の流れ穏やかに
              

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(2級)問題より

【76】新温泉町浜坂にある歴史民俗資料館「以命亭」は、浜
坂村の庄屋で造り酒屋でもあった屋敷を改修した施設です。
誰の屋敷だったでしょうか。

(a)七釜屋森家        (b)高島屋森家
(c)江戸屋林家        (d)藤田屋林家


正解は、(a)の七釜屋森家です。
江戸時代の浜坂村で質屋を営業し、酒造業もしていた七釜屋
森家は立派な構えの建築です。この屋敷建物を町が買い取り、
平成4年(1992)に「先人記念館」としてオープンしました。
ここには、郷土の先人、加藤文太郎(登山家)、前田純孝
(歌人)、守梅園(漢学者)、藤田威(画家)などが紹介さ
れ、浜坂の歴史民俗資料館として、古きよき時代を今に伝え
る役割を果たしています。


『よ~す』

「よ~す」は但馬弁です。「よろしいですよ~」の但馬弁で
す。
「そんなに心配してもらわんでも大丈夫だって。よ~す、よ
~す。そんなに困っとらんから」と、心配する相手に返事を
します。

これが「よ~すか~」と言うと、「よろしいですか、結構で
すか」と言う但馬弁になります。
「よ~すか~え」と同じ感じです。
「もう帰ってもよ~すか~え。そ~す、いつなっとかえって
おくれんしゃ~」と言います。


香美町の名家

2019年07月20日 | 但馬の建物
          六方平野は稲穂がいっぱい
              

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(2級)問題より

【75】 明治初期に建設された、入母屋造の屋根をもつ母屋
や白の漆喰塗りが特徴の建物で、香美町で初めて国の登録有
形文化財に選ばれたのは、次のうちどれでしょうか。

(a)赤木家住宅        (b)森田家住宅
(c)平尾家住宅        (d)宿南家住宅


正解は、(b)の森田家住宅です。
森田家住宅は、この地方の大規模な養蚕農家でした。また、
庄屋屋敷としても貴重なもので、国の登録有形文化財に選
ばれる建物です。
第2次世界大戦の前後まで地元で栽培された桑の葉を使って、
大規模な養蚕が行われていました。外壁、屋根が新しくな
っていますが、内部構造材は建築当初のままで現在に残さ
れ保存されています。

ちなみに、(a)の赤木家住宅は、豊岡市引野の砂防の神様
と言われた赤木正雄氏の生家です。
(c)の平尾家住宅は豊岡市森尾にあり、江戸時代に大庄屋
を務めた但馬屈指の大地主の平尾家の住宅です。
(d)の宿南家住宅は、養父市八鹿町宿南にある養蚕農家の
建物です。但馬地域で最も養蚕の盛んだった養父市で、養蚕
住宅としては最古のものと言われ、現在も覆いのない茅葺屋
根が残る貴重な建物として保存されています。


『のんのんしんちぇ』

「のんのんしんちぇ」って分かりますか。但馬地方では、仏
さまのことを「のんのんさん」と言います。まあ、仏壇のこ
とを「のんのんさん」と言いますね。

「のんのんさんに手を合わせような」と子供に言います。
「しんちぇ」は「しましょう」の但馬弁です。なので、「の
んのんしんちぇ」は、「のんんのさんに手を合わせて拝もうね
(仏さまに手を合わせて拝もうね)」という意味になります。

今日もミオちゃんに「のんのんしんちぇ」と、お茶とうをしな
がら誘います。


中3階建住宅

2019年06月20日 | 但馬の建物
            アジサイ
              

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(3級)問題より

【95】養父市大屋町大杉地区は、全国的にも珍しい中3階
建ての住宅があり兵庫県景観形成地区にも指定されていま
すが、何をするための住宅だったでしょうか。

(a)木彫   (b)養蚕   (c)酒づくり   (d)味噌づくり


正解は、(b)の養蚕をするための住宅です。
大屋町大杉地区を走っていると、道路沿いに巨大なカイコの
オブジェが現れます。
養父市大屋町は、古くから養蚕(ようさん)の盛んな地方で
した。農業を補う重要な副業です。

大杉地区を眺めますと、屋根に換気口のついた中三階建ての
住宅が並びます。住居内で養蚕を行うための職住同居の建物
です。
三和土(たたき)で仕上げた土間、壁土に砂を混ぜた砂蔵、
吹き抜けの漆黒に光る梁、そもそもが中三階建ての建物は全
国的にも珍しいものです。

兵庫県景観形成条例の景観形成地区に指定されているこの地
区には、養蚕農家を保存しようという働きの中で、古民家を
コミュニティセンター「ふるさと交流の家いろり」や、美術
館「木彫展示館」、分散ギャラリー「養蚕農家」として再生
されています。


『じょろむし』

 秋のころから、ジョロジョロと動きまわる虫がいます。但
馬では、この虫の呼び名がいろいろあるのです。
「カメムシ」と言ったり、「おひめさん」と言ったり、「ヒメ」
という時もあります。
もう一つ、とても使われる名称が「じょろむし」です。あるい
は「じょろ」とか「じょん」とも言います。

「今年もようけじょろむしが出てきたで~。じょろがようけ出
る年は、大雪になるんだってな。そんな怖がっとらんとじょろ
さん捕まえんと。ケンちゃんはじょん、じょんと追っかけとる
けど触ったらあかんよ。ムチャックチャ手が臭さ~なるで」と、
一匹のじょろむしに家中が大慌です。


豊岡1925

2019年06月01日 | 但馬の建物
     舞鶴若狭自動車道の西紀サービスエリア
              

(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成26年 第9回但馬検定(3級)問題より

【8】今年4月、豊岡市役所の正面に、ホテル、カフェレス
トラン、ショップを備えた施設「豊岡1925」がオープンしま
したが、この施設は、何をテーマにした施設でしょうか。

(a)麦わら細工  (b)お菓子  (c)豊岡かばん  (d)出石そば

正解は、(b)のお菓子です。
昨日は、5年前にオープンした城崎国際アートセンターのこと
を書きました。今日の「豊岡1925」の施設も、同じ5年前
の4月のオープンでした。

「豊岡1925」という名の由来を書いてみます。

大正14年(1925)5月に北但大震災がありました。豊岡中心部
の建物は多くが倒壊し消失してしまいました。その後、建物は
火災に強い洋風建築として建てられました。

豊岡稽古堂(旧豊岡市役場)や旧兵庫県農工銀行豊岡支店です。
豊岡の中心部大開通りの斬新な洋風建築は、豊岡復興建築群と
して今の時代にも大切に残されています。

昭和9年(1934)に建設された兵庫県農工銀行豊岡支店は、と
ても重厚なルネッサンススタイルの建物です。その後、山陰合
同銀行、豊岡市役所南庁舎別館として使用され、平成26年
(2014)に、豊岡市立まちなか交流館(豊岡1925)として
改修されました。

豊岡はお菓子の神様タジマモリの町です。建物の中にはお菓子を
テーマにしたショップ、カフェレストランとして、町の集いの場
として活用されています。
震災の1925年を忘れることのないように、施設の名前に採用さ
れています。  


『いごく』

 但馬の人は、どうしてか動くことを「いごく」と発音してし
まいます。
「うごく」で良いところを「いごく」です。
不思議ですね、「いごく」、「いごいた」と「う」の発音が「い」
になってしまうのです。

「ケンちゃんケンちゃん、レゴで作ったヘリコプター今にもいご
くようだね。本当に上手いこと作れたね」と、ケンちゃんを褒め
てやります。


生野町の旧医院

2019年04月26日 | 但馬の建物
   国府コミュニテーセンターの玄関は花いっぱい


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(2級)問題より

【39】朝来市生野町にある旧医院で、色彩を施した格天井等
の特徴があり国登録有形文化財に指定されているのは、次の
うちどれでしょうか。

(a)旧海崎医院        (b)旧小出医院    
(c)旧上垣医院        (d)旧川崎医院


正解は、(a)の旧海崎医院です。
明治20年(1887)頃に建設された海崎医院は、外科医海崎
一貫の治療の場として建てられました。明治期の建物の特徴
がほぼ完全に残る貴重なものです。

 ちなみに、(b)の旧小出医院は養父市八鹿町伊佐にある医
院で、大正7年(1918)に完成した大正期のものです。
(c)の旧上垣医院は朝来市和田山町に昭和5年(1930)に
建設された、上垣新吾医学博士の医院です。但馬地方に現存
する貴重な洋館建築です。
(d)の旧川崎医院は不明です。


『てしょう』

 どこでも使っているかと思いましたが「てしょう」って標準
語ではないのですね。「てしょう」は、漢字で書いたら「手塩
皿」のことだったのです。
子供のころから現在でも、「小皿」のことを「てしょう てしょ
う」と呼んでいました。正しくは、沢庵や漬け物惣菜を皿に載せ
る時、「てしょうに取って食べようで」と小皿のことを言うので
すね。

小皿にとる食べ物によっては、醤油や塩を付けて食べるからでし
ょうか、「手塩皿(てしょうざら)」と言うそうです。
「てしょう取ってくれ~や。ケンちゃんにも1枚やってくれんか。
おかずを取って食べたいから」なんて言う時に使います。

但馬の文化財(建物)

2018年11月07日 | 但馬の建物
       神鍋高原万場地区、吊るし柿のすだれ


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より

【89】1887年(明治20年)頃建設された「旧海崎医院」は、
明治期の状態がほぼ完全に保持され、国登録の有形文化財
になっていますが、次のうちどこにあるでしょうか。

(a) 朝来市生野町       (b) 養父市八鹿町
(c) 豊岡市城崎町       (d) 香美町村岡区


 朝来市生野町口銀谷(くちがなや)にある「旧海崎医院」
は、明治20年(1887)頃、外科医・海崎一貫(いっかん)
の治療の場として建てられたものです。

外観はペンキ塗りされた羽目板張り、鎧戸のついた両開き窓
は洋風のデザインです。
奥には縁側があり、雨戸が建て込まれた和風の作りとなって
います。

屋根は、軒蛇腹(のきじゃばら)をまわした寄棟瓦葺きと、
下屋根の付いた切妻屋根の組み合わせです。
内部は真壁造りで、柱や額縁は白木、療治場は板敷きに漆喰塗
で、色彩を施した格天井があります。

細部まで極めて質の高い造りの、明治期の建物なのです。
その状態が完全に保持されている、貴重な建物なのです。
国の登録文化財に指定されて保存されています。

答えは(a)の朝来市生野町です。


『おんなじ』

 「ケンちゃん、おんなじことを何べんも言わすなっちゃ。した
らあかんことを何べんも注意されたら、しまいな~怒られるで」、
なんて言う時に、「おんなじこと」の「おんなじ」を使います。

「おんなじ」は但馬弁です。「同じ」の但馬弁なんです。
なぜだか分りませんが、「おなじ」の「お」と「な」の間に「ん」
をはさけて「おんなじ」なんです。

但馬の人は、「同じ(おなじ)」をなぜだか知りませんが、「おん
なじ」と言うのです。

但馬屈指の大地主

2018年11月03日 | 但馬の建物
   大津・坂本ケーブルカーは日本一の長さです


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より

【83】江戸時代に大庄屋を務めた但馬屈指の大地主の住まい
で、豊岡の森尾地区約4,000㎡の敷地に大小20もの建物が
点在する住宅は、次のうちどれでしょうか。

(a) 宿南家住宅        (b) 旧栃尾家住宅
(c) 森田家住宅        (d) 平尾家住宅


 豊岡市森尾地区のほぼ中央にある大きな屋敷内には、川が
流れ周囲を塀で囲まれたその中に、母屋をはじめ離れ、蔵、
小屋、隠居部屋など大小20もの建物が立っています。

江戸時代、元禄期から幕末に至る約180年の間に、207町
歩という土地を集積し、但馬最大、県下でも屈指の大地主とな
ったのが平尾家です。

平尾家の主屋は明治29年(1896)、豊岡の宮大工の建てたも
のであるが、寛政2年(1790)建築の蔵、文政9年(1826)
建築の離れなど、江戸時代の建物も残っています。

平尾家住宅は、国登録の有形文化財にもなっている、とても立
派なものなのです。答えは、(d)の平尾家住宅です。

ちなみに、(a)の宿南家住宅は養父市宿南(しゅくなみ)にある
享和年間(1800年ごろ)に建てられた、茅葺屋根の養蚕農家の
大きな住宅で、県の指定文化財にもなっています。

(b)の旧栃尾家住宅は、養父市大屋町大杉にある明治中期に建て
られた診療所とその住宅です。
現在は、養父市立木彫展示館として活用されています。

(c)の森田家住宅は、香美町香住区隼人にある明治初期に建てら
れた大規模な養蚕農家の建物です。
入母屋造りの母屋や、漆喰塗りの土塀、中門等が非常に貴重なも
ので、国の登録文化財に指定されています。

ふるさと但馬には、江戸時代からの旧家や大型養蚕農家の立派な
住宅が多くありますね。


『はんぶんこ』

 「ケンちゃん、ミオちゃん。そのお菓子仲良くして、半分づつ
に分けて食べるんだよ」と、母ちゃんが言ってたね。

じいちゃんが子供のころには、「半分づつ」のことを「はんぶん
こ」って言ってたんよ。
いくつかあるものを、仲良く半分づつに分けることを「はんぶん
こ」って言ったの。

なので、「ケンちゃん、ミオちゃん。そのお菓子なかように、は
んぶんこにして食べにゃ~な」って言ったんよ。

それから、もしも一つの物、大きなせんべいがあった時、それを
半分にして仲良く食べてという時は、
「大きいせんべい、はんぶわけにして、ケンちゃんミオちゃん仲
よ~に食べて~よ」って言ったよ。

一つの物を二つにして二人で分けることを、「はんぶわけ」って
言ったの。
「はんぶんこ」も、「はんぶわけ」も、但馬の人はやさしくやさ
しく、子供に仲良くお菓子やせんべい分けるとき言い聞かせる時
の言葉だったんよ。

加藤文太郎の記念館

2018年11月02日 | 但馬の建物
  ミシガンは、勢いよく回転する赤いパドルで進みます


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より

【82】「加藤文太郎」は、新温泉町出身の登山家で、その生
涯が著書「孤高の人」により多くの人々に感動を与えてい
ますが、同氏を顕彰し、山をイメージして建設された公共
施設は、次のうちどれでしょうか。

(a) 町役場   (b) 文化ホール   (c) 図書館   (d) 駅


 加藤文太郎の山登りの業績を顕彰して建てられた建物は、
「加藤文太郎記念図書館」です。

記念図書館には、スキーをはじめとする登山用具などの遺
品や、新田次郎氏の名作「孤高の人」の資料などがたくさ
ん展示保存されています。

答えは、(c)の図書館です。

大正昭和の時代に「単独行の加藤」と呼ばれた登山家は、
新温泉町浜坂生まれの加藤文太郎です。

加藤文太郎は民間企業に勤務する一民間人で、登山家とし
てはタブーとされていた単独行での登頂がすべてでした。

作家・新田次郎は中央気象台に入庁し、富士山観測所に勤
務していました。
新田氏が交代勤務で富士山観測所に登る途中、富士山に登
山で登ってくる加藤文太郎に出会います。

五合目付近だったそうです。

単独で駆け足の速さで登ってくる加藤を見て、「天狗のよ
うだ、なんという速さで駆け登ってくる登山家は」と新田
の脳裏に焼き付いたそうです。

加藤と新田、二人の偶然の出会いはこの富士山の五合目の
時一度だけです。

後になって、加藤文太郎の生涯を描いた作家・新田次郎氏
の名作「孤高の人」が生まれ出版されます。

多くの人に感動を与えた加藤文太郎の登山家としての人生
は、昭和11年わずか30歳の時、猛吹雪の槍ヶ岳で生涯
を閉じました。


『なめくじら』

 ケンちゃんは「ナメクジ」って知ってるね。「カタツムリ」
って知ってるね。

「ナメクジ」は、「カタツムリ」の殻がなくって、ヌルヌル
と這い回る、少しジメジメした所の木の下なんかにいる奴な
んだわ。

「ナメクジ」って言うね。

その「ナメクジ」を、但馬の人はどうしたわけか「なめくじら」
って言うの。
なぜか分からんけれど「鯨(くじら)」になってしまったの。

「裏の庭のジメジメしとるとこ、そこの転がっている木をよけ
たら、なめくじらがよ~けおったで。
気持ちわり~わ、なめくじらは」なんて言うときに使うね。

「ナメクジ」って言えばいいところを、なぜか但馬では「なめく
じら」なんだね。

出石町の象徴

2018年11月01日 | 但馬の建物
     琵琶湖・大津港の外輪船ミシガン


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成30年 第13回但馬検定(3級)問題より

【80】昨年88年ぶりに大修理が行われた但馬の小京都・豊岡
市出石町を象徴する時計台は、次のうちどれでしょうか。

(a) 新古楼  (b) 辰鼓楼  (c) 新香楼  (d) 辰古桜


 出石を象徴する時計台は、辰鼓楼(しんころう)と言いま
す。
但馬の小京都といわれる出石に観光で寄られた方が、まず見
るシンボルがこの辰鼓楼なのです。
出石城をバックに、辰鼓楼の写真を撮る観光客の姿が列をな
します。

ここの町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区です。そこ
に立つ辰鼓楼は、明治4年(1871)当時は辰の刻(7時から
9時)を知らせる太鼓の楼閣でした。

明治14年、地元の医師が大時計を寄付して時計台となりま
す。
石垣を含めると木造4階建て地上20mの、城下町にとても
マッチしたデザインの時計台なのです。

昭和4年に昭和の大修理、それから88年後の平成の大修理
が、昨年(29年)10月に完成したのです。
答えは、(b)の辰鼓楼です。


『ときたんま』

 ケンちゃん、このごろ豪華列車「瑞風(みずかぜ)」をあ
まり見かけないね。

「じいちゃんじいちゃん。ケンちゃんはね、豊岡駅でときた
んま見るよ。昨日も母ちゃんにアイティに連れてってもらっ
た時見たよ。ときたんまなんだけれど見るよ」。

「たんま」って但馬弁なんよ。
「ケンちゃんはたんまに病院に行くね。ちゃんとお医者さん
に見てもらっとるか」なんて使う「たんま」です。

「たんま」は「時々(ときどき)」の但馬弁なんです。
「たんま」は「ときどき」なんだけれど、さらに頻度の低い
「ときどき」のことを、「ときたんま」って言うんだよ。

瑞風を本当に時々なんだけれど今でも見ることを、「ときた
んま見るよ」というときに使うんよ。

但馬弁て何かしら、やさしい響きの言葉だね。

但馬の貴重な建物

2018年09月10日 | 但馬の建物
     日高町久斗の大規模太陽光発電所


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より

【98】新温泉町の浜坂先人記念館は、江戸時代に商業・酒造
業で財を築いた森家邸宅の一部を改修した施設ですが、この
施設の別名は次のうちどれでしょうか。

(a)井筒屋    (b)以命亭     (c)永楽館    (d)松籟庵


 江戸時代に、浜坂村でいち早く質屋を営み、酒造業などで
財を築いたのは元七釜屋森家です。
平成4年に森家の屋敷を町が買い取り、「先人記念館」をオ
ープンしました。

その名は「以命館(いめいかん)」と呼びます。

名前の由来は、森家の隠居所から「君子は易に居て以て命を
埃つ」の「以命」から付いたと言われます。

浜坂の先人、加藤文太郎(かとうぶんたろう:登山家)や、
前田純孝(まえだすみたか:歌人)、森梅園(もりばいえん
:漢学者)、藤田威(ふじたたけし:画家)などが紹介され
ています。

答えは、(b)の以命亭です。

ちなみに、(a)の井筒屋(いづつや)は、朝来市生野町口
銀谷(くちがなや)にある旧吉川邸で、現在は「生野まちづ
くり工房井筒屋」として町づくり活動の拠点となっています。

(c)の永楽館(えいらくかん)は、豊岡市出石町に残る芝居
小屋です。明治時代に建設された当時の舞台機構がそのまま
残る、近畿地方では唯一残る歌舞伎や演劇に使用されている
常設の芝居小屋です。

(d)の松籟庵(しょうらいあん)は、JR浜坂駅前にある、駅
開業と同時代に建築された古民家をリフォームした観光案内
所です。お客様を招く「招来」と未来にかける「将来」と言
う言葉にひっかけた松籟庵は町づくりの拠点です。


『いぬる いんだ』

 ケンちゃんね、昨日は帰りしなに土産忘れんように頼んだ
こと書いたね。
「帰りしな」って、「いにしな」のことだと書いたね。

「帰る」は「いぬる」って但馬弁では言うと書きました。
今日は「いぬる」と「いんだ」の但馬弁の話を書くね。

但馬弁では「帰る」ことを「いぬる」と言うんよ。
「いにしな:帰りしな、帰り際」の「いに」は、「往ぬる」
から来てるの。

古語で「往ぬる」と書いて「いぬる」って読むんだよ。
なので、「いに しな」は「往にしな、帰りしな、帰り際」
ってなるの。
難しいかな。

但馬弁の「いぬる」の元の話はこれまで、使い方は「外が
暗ら~ならんうちに、いぬるわ」、「もうそろそろ、うち
にいぬるわ。今日はいろいろありがとう」なんて言う時に
使うんよ。

それからね、「帰った」は但馬弁では「いんだ」と言うん
よ。
「家に着いたら電話してよ」と言うところを、但馬弁では
「家にいんだら、ちゃんといんだで~って電話せんとあか
んよ」と言うんだよ。

「いぬる」も「いんだ」も但馬弁らしい響きだね。

但馬の貴重な建物

2018年09月09日 | 但馬の建物
        国道9号線 ごはんや下荒河食堂


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成27年 第10回但馬検定(3級)問題より

【97】香美町香住区の森田家住宅は、入母屋造りの屋根や漆
喰塗りの土塀などが評価され、国の登録有形文化財になって
いますが、この家屋はもともと何の建物だったでしょうか。

(a)廻船問屋   (b)酒蔵    (c)養蚕農家    (d)道場


 ふるさと但馬には、古くからの由緒ある建物がたくさんあ
ります。
元酒造業であった浜坂の森家は、先人記念館の「以命亭」に、
「砂防の神様」の生家である豊岡市の赤木家は、記念館とし
て保存されています。

同じく豊岡市の平尾家は、江戸時代に大庄屋を務めた但馬屈
指の大地主で、約4000㎡の屋敷の建物は一般に公開されてい
ます。
養父市にも朝来市にも、それぞれの町には同様の建物が残っ
ています。それぞれは、国登録有形文化財として大切に残さ
れています。

香美町で初めて国の登録有形文化財に選ばれたのは、香住区
隼人(はやと)にある森田家住宅です。

森田家住宅は明治初期に建てられ、大規模な養蚕農家の形式
を残しており、庄屋屋敷としても貴重なものです。
白の漆喰塗の土塀、付属室と中門・塀の4点が、国の有形文
化財として登録されました。

答えは、(c)の養蚕農家です。


『いにしな』

 旅行先のミオちゃんから電話です。「じいちゃん、おすし
食べに行ってきたよ~」、「よかったね」。

代わったケンちゃんから電話です。「今日早から恐竜図鑑買
ってもらった。明日は恐竜博物館に行くの」、「よかったね」
と話します。

ケンちゃんミオちゃんは、父ちゃん母ちゃんと夏の忙しかっ
た骨休みの旅行です。
ケンちゃんの電話が続きます。「じいちゃん、日曜日の但馬
検定頑張ってね。2級は難しいけれど絶対頑張ってね」と話
します。

今日の試験を心配してくれてるのです。
おっと、但馬弁の話ですね。

電話でケンちゃんに返事をします。「ケンちゃん、父ちゃん
によ~く言っといて。いにしな車に気を付けて、安全運転で
帰ってきてなって言っといて」、「それから、いにしなにみ
やげもん忘れんように言っといてな」と話します。

ケンちゃんは「分かったで、帰るときにどこかによって土産
買うように言っとくよ」と返事です。

今日の但馬弁は「いにしな車に気を付けて」の「いにしな」
です。

「いにしな」は但馬弁なんです。
「帰り際」を但馬弁では「いにしな」って言うのです。

「帰る」ことを、「いぬる」と言うのです。
「会社からいにしなに、スーパーによって缶ビール買ってき
て~な」なんていう時に使います。

「帰り際」を「帰りしな」とも使いますが、但馬弁では「い
にしな」なんです。

もういっぺん言います。
旅先でケンちゃん見てたら「いにしなに、忘れんようにみや
げ買ってきてな」。

木彫展示館

2018年07月25日 | 但馬の建物
                 明るいうちのお月さま


(但馬ふるさとづくり協会転載許可済)
平成28年 第11回但馬検定(1級)問題より

【79】養父市大屋町にあり、現在は養父市立木彫展示館として活用されている
明治中期の建築物は、何でしょうか。


 養父市立木彫展示館として活用されている建物は、明治中期に建てられた診療
所であった旧栃尾家住宅です。

大屋町大杉は、3階建ての養蚕農家住宅がまとまって残る、県の歴史的景観形成
地区です。
その地区の入り口の位置に、栃尾家住宅があり診療所でした。

切妻造りの屋根に下屋が寄せ棟となって、一階は簓子(ささらこ)下見腰板張り
の建物で、当時の生活文化を現代に引き継ぐものとして、歴史的に貴重なもので
す。

現在は、「木彫フォークアート・おおや」の入賞作品を常設展示して、木彫等の
創作活動ができる「木彫展示館」として活用されています。

建物は、平成23年(2011)に県景観形成重要建造物に指定されています。

答えは、【旧栃尾家住宅】 です。


『かど かどっこ』

 「ミオちゃん、花火が上がりだしたで~。はよ~かどに出て見ら~や」と声を
かけます。

日高の夏祭りの花火が上がり始めました。22日の夜は日高の花火です。

「はよ~かどに」と言うように、「かど」は但馬弁で玄関先のことなんです。
家の外、家の表のことを但馬弁では「かど」って言うのです。

「さあさあ、家ん中ばっかりおらんで、かどに出て遊びんしゃあ」って、子供たち
に言う時にも、外のことを「かど」って言います。

ところが、同じ「かど」でも漢字で書いた「角(かど)」は、四角い形の隅のこと
を指します。
あるいは「あの角を曲がってその先に」と言うように、家並みの最後のところと言
う時にも使います。

その「角(かど)」のことを、但馬弁では「かどっこ」と言うのです。
「あのかどっこを曲がって、ちょっと行った先だがな」とか、「この冷蔵庫大きい
ので階段のかどっこに当てんように気をつけようで」なんて時に使います。

但馬の方言でしょうかね。外のことを「かど」って言ったり、「角(かど)」のこ
とを「かどっこ」なんて言うの。

他のところでも言っているように思います。